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裁きと責任は難しい

京都アニメーション放火殺人事件の裁判が始まった。

心神喪失状態か否かが問われる。被告は統合失調症だった、とのこと。

死刑と無期懲役、20年の分岐要素は?



バイトテロはルールではなくモラル違反だった。

そこで私刑として加害者の個人情報を晒す方が法律違反ではないのか?と思う。

Winnyを作った金子氏は国から犯罪者認定をされた。
しかし車や刃物と同じように、技術ではなく使う人の問題なのだが、彼は実刑判決を受けた。
いまも言い渡された罪状に疑問を呈する声は多い。この懲役刑さえなければ、金子氏は更なる研究ができただろう。


そもそも裁判には冤罪の可能性だってある。過去に事例は幾つもあった。証拠が無いのに無理やり罪をなすりつけて、拷問のような取り調べをする。最早どちらが触法行為の疑惑をかけられている人間か分からない。

人間は神様ではないのでミスをする。色々な人間が色々な場面でする。

これらのように、人は審判を間違えることが多々ある。

何が間違いで何が正解か分からない。適切な加減は誰にも分からない。そもそも正解がないのだから。

責任

「自己責任」
「責任とれるの?」

 《責任をとる》ってなんだろうか。

お金を払えばいいのだろうか。
自己責任という言葉がある。
自分に降りかかる事柄は、全て自分がまいた種という考え方だ。

自己責任論が極まると、映画《マッドマックス》の世界になる。ポストアポカリプス。つまり無政府状態だ。

しかしどこまでが自己責任なのだろう。

事故に遭うのは自己責任か、貧困になるのは自己責任か、病気になるのは自己責任か。

どこまでが自己責任かなんて誰にも分からない。
そして誰の責任かも分からない。

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