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将来は無いので過程も無い

よく「将来不安」ということを言っている人間がいる。
しかし将来ってどこら辺だろうか。
だって60代でそれ言ってるんだぜ。50代はガンになってバタバタ死んでいてもおかしくないというのに。
「自分は10年後も生きている」
と思っているのだろう。

将来ってどこだろうか。
いつまで経ってもたどり着かないものだったりする。
《いつか》を追っていても、その《いつか》は永遠に来ない。
「いつかやろう」
「明日やろう」
「そのうちやろう」
そうして時だけ経って、気付いたら墓の中だ。

こう…額から人参をぶら下げて走っている馬のようだ。

僕はいつか漫画家になるという夢を持っていた。本当に夢になってしまった。
漫画家になろうとはしたが、絵を描こうとはしなかった。ずっと頭の中でネタを練り練りするだけで、何にも進展しない。
「明日やろう」が1週間
続いたら、それはもう一生やらないと思っていい。
noteをインストールしたのは突発的だった。「明日インストールしよう」だったら一生やってなかった。大してやる気ないじゃんね。

将来などない。今が全て。今やりたくないなら、一生やりたくない。ある日突然やりたくなる時は来ないだろう。
「あした絵を描こう」という計画を立てたならば、その計画は死ぬまで続いている。
12歳からずっと先延ばししていたことになるな。10年以上か。来るはずのない未来の呪いから解放されて良かった。

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