《仏教》思い通りの人生にならなくても
一見損で惨めで不幸に見える人生でも、他に何か得している。
芸能人になれない人生でも、芸能人が持っていないものを必ず得ている。
キラキラした人生を送れなくても、その平凡な人生には平凡なりの良さがあるのでしょう。
一般的に《老いること》《病むこと》《死ぬこと》は不幸とされる。
しかしそれ自体を不幸としているのは人間の解釈であって、老いと病気と死は事実でしかない。
それらを不幸だと思っているから苦しくなる。
ありのままを受け入れることが、幸せになるために重要な事だ。
不老不死は幸せか
解決不能な問題はただありのまま受け入れる。
老いないこと、健康でいること、死なないことは幸せではなく執着だ。
執着がなければ、つまり条件付けの幸せが無ければ、人は幸せになれる。
「これがなければ幸せになれない!」
それは幻想です。手放してごらんなさい。
手放せないでいると、いつまでも失う恐怖からは逃れられないですよ。
《障害受容》をするために必要な考え方だ。
そもそも障害というもの自体、人間の考えた主観である。
障害があるから不幸なのではなく、障害を不幸だと思う考え方自体が幻想なのだろう。障害があっても幸せにはなれる。真の幸せは、条件で縛られない幸せなのだから。
ただ生きているだけで幸せになれる。
参考動画
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