評価されるのが怖い
評価されるのが怖いのは、自分の正解とする価値観を壊されたくなかったから。
今は世界が広がって「お前は間違っている!」「そんな信条に価値は無い!」と言われる耐性もついた。
平凡恐怖からの解放と言ってもいいだろう。
自分の弱さを認めることが出来た方が良かったなと思う。
これを認められていれば、
今でこそバチバチに知能も心も身体も弱い、心技体全崩壊人間だと受け入れられるが、学生時代は認められなかった。
何も創作だけではない。
勉強や運動、趣味までがそう。
人に開示したくなかったということは、根本的には自信が無かった。怖かった。しかしプライドがそれを認めるのを拒否した。理性が拒否したのた。しかし本能は怖がっているので、やりたくてもやれない。ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる状態になっていた。
今でも挑戦が怖くなるようなものはある。
社会的な評価や顔出しテレビ出演などだ。そして労働だ。怒られるのはやっぱり怖い。慣れて耐性がつくどころか自己肯定心がゴリゴリ削られていく。
あと牛丼屋でチーズ牛丼頼むのも怖い。自意識過剰だ。
もし学生時代にタイムスリップしても、学校で怒られたり、周囲の人間から息が臭いと酷評される可能性があると思うと怖い。だからみんなブレスケアするわけだよね!?
好きな人に告白して拒絶されるのも怖い。原因もなんとなく分かってしまうからだ。
ブサイクとか、口が臭いとかだろう。
山本裕典のような顔で尚且つ口が臭くなければ大丈夫だ。
その上で断られても、単純に好みの問題だと自己解決できるからだ。
自信があるなら拒絶されてもダメージは無い。だって自信あるんだもん。自分のこと好きなんだもん。
自信がない状態で挑戦して失敗すると自己嫌悪にしかならない。
「ああやっぱりね」
と、自己肯定心がゴリゴリ削られていく。
誰にでもある感情だとは思う。「鼻くそついてる」とか「チャック開いてる」とか「口からうんこみたいなニオイする」なんて思われるのは怖い。
「評価されたい」
「何者かになりたい」
「でも評価されるのは怖い」
しかし自分の弱さを認めて客観的になったことで、かえって肩の力と無駄な理性が抜け、割り切って楽しめるものが増えたのも事実だ。そして何より人間味がある。AIや合理的思想に支配された現代において最も大事だと思う。
オマケ
投稿結果
初めて投稿した漫画が返ってきた。
しかし僕は結果を見たくなかった。
今思えば自信がなかったからだ。
自信があれば舐めるような目で見ていただろう。
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