見出し画像

戦争というもの

私はずっと興味を持っている。
その理由は第二次世界大戦を体験した祖父と祖母の生き方を間近で見てきたからというのが大きい。


戦時教育

私はまだそこそこ戦時教育が盛んな時代に学生生活を送っていた。
終戦記念日に戦争にまつわる映画を見たり、読書感想文の指定図書に戦争関連の書籍が入っていたり……通っていた学校は該当しなかったが修学旅行が広島や長崎というところも多かった。
あれから幾十年が過ぎ、今戦時教育はほぼなされていないと知った。
理由は「子ども達のトラウマになるから」と聞いた。
教科書の戦争に関する記述がどんどん縮小され、戦争に関する書籍が有害図書に指定されたりという現実もある。
無理に学ばせて意味があるのかというとそうなのかもしれない。
だが「好きなことにだけ触れていればいい」「嫌なことは見なければ、知らなければいい」という昨今の風潮にはものすごく疑問が残る。
私が暮らす国・日本は被害を受けた国であると同時に他国を攻撃した加害者でもある。
それを未来ある若者が正しく学ぶことって実はものすごく重要なんじゃないだろうか?

私の祖父

祖父は海軍に所属していた。
身体的な問題で飛行機には乗れなかったからと聞いたことがある。
何日も何日も海の上で生活を送る。
周りは海水に囲まれているが真水はものすごく貴重で、天候が崩れる!となれば全員が石鹸を持って甲板に集合する。
雨をシャワー代わりに使うのだ。
ただ天気は気まぐれ。
準備万端で甲板に出ても結局雨雲が遠ざかって、しばらく石鹸まみれのまま生活したこともあったらしい。
祖父はこの話をする時、決まって笑っていた。
もう一つ、繰り返し聞かされたのは銃撃戦で鉄砲玉が実際に額擦れ擦れのところを通って行った、というエピソード。
祖父がもう少し前のめりだったら確実に命を奪われていた。
これも「俺は運が良かったんだ」という自慢話に近い感じで語っていた。

私の祖母

祖母は生まれつき体が弱かった。
だが、行動力の塊みたいな人で差別が激しい故郷を捨てて都会の軍事工場に就職した。
軍事工場はその名の通り軍事に関わるものを作る場所だ。
何度も何度も空爆を受け、その度に防空壕へ逃げ込む日々だったという。
しかし祖母は「夜の空襲は花火みたいに綺麗でね~」と笑った。
食べ物もろくに与えられなかったので芋のつるや身近な生き物である雀を捕獲して空腹を凌いでいたらしい。
「香ばしくて美味しかった」が祖母の感想である。
幼い私は「何て逞しい人なんだ…」と思っていた。
唯一彼女が顔を曇らせるのは同じ会社で勤めていた女性のことを話す時だった。
いよいよ空襲が激しくなった際に女性職員から先に逃がしてもらえることになった。
特に祖母は元々体が弱いのもあって一番最初の電車に乗れることになっていた。
しかしちょうどその日祖母は体調を崩した。
別の職員が代わりに乗ることになり、出発した数時間後にその列車は爆撃を受けたそうだ。
死者名簿の中にその女性の名前を見つけた時、祖母は「本当は私が死ぬはずだったのに」と思ったと言う。
祖母は別に常々「死にたい」と考えていたわけじゃない。
戦争という現実はありながらもその中で働き、友人を作り、恋もして生きていた。
生きて終戦を迎えた祖母は結婚出産を経て、今も元気に生きている。
それでも度々この話をしてはどこか遠いところを見つめている。

戦争を体験した人はどんどん減っている

当然のことだがその事実に私は恐怖を感じる。
祖父も祖母も私が自ら興味を持って読んだ戦争の本に描かれていたような悲惨な体験は絶対口にしない。
兵隊として戦場に赴いた祖父は早くに病気で亡くなった。
戦場を知っているということは命のやり取りを目の前で何度も見てきたはずだ。
祖父が人を殺したのか、殺していないのかは知らない。
もう一生聞く機会もないし、祖母も知らないのだと思う。
元々寡黙な人というのもあり、戦争の件以外もほぼ何も聞けなかった。
軍事工場で働いていた祖母はきっと未だに口に出せないことがたくさんあるのだろうと思う。
それを無理矢理聞き出すつもりはない。
いつだったか「貴重な語り部になれる」と誘われたこともあったそうだが祖母は断った。
きっと思い出したくもない記憶なのだろう。
もちろん今語り部として活動されている方のことは尊敬している。
自分の体験に向き合い、言葉にできるくらい、血のにじむような努力があったんだろう。
「伝えることが使命」と考えていらっしゃるのかもしれない。
けど私の祖父のように、祖母のように、笑って話せることは幾らでも聞かせてくれるが根っこのところを言葉にできずにいる人だって多いはずだ。
どちらが素晴らしいとか、そういうことじゃなくて……話せる人・話せない人のどちらにも大きな傷を残したのが「戦争」なんだと認識してほしい。

「知らない」じゃ駄目だ

と、個人的には思う。
人は争いを繰り返す生き物だ。
現に「負けたままじゃ駄目だ」と戦争を知らずに叫ぶ若者がいて、戦争をしたい偉い人がそちら側へ誘導する姿も見かける。
確かに敗戦国が不利なことだって多い。
人が多種多様な考えを持つことを誰かが止められるとも思わない。
だが「戦争」がどんなものだったのか、せめて知ろうとしてほしいと思う。
戦争をしたくないにしても、したいにしても「何故」なのか考えてほしいと思う。
私はきっと一生祖母の本心は聞けないのだろう。
ただ身近に戦争経験者がいたことで話されなくても感じるものはあった。
それが何なのかという明確な答えは出ていないのだが「戦争は繰り返しちゃいけない」と私はやっぱり強く思う。
せめて「知る機会」を奪わないでもらいたい。
一通り教わって、自分で考えて、導き出した答えじゃないと絶対に後悔するから。



#創作大賞2024 #エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

お気に留めてくださり、ありがとうございます。 サポートいただいた分は今後の執筆活動を充実させるため、有効活用していきたいと思います。