見出し画像

人生の分岐点

それはいくつもあると思う。
女性は特にその影響が強く出るとも思っている。

ここ最近友人からの結婚・妊娠・出産などの報告が相次いでいる。
もちろん「おめでとう!」だし、そこに嘘はない。
でも年齢を重ねるにつれて「あぁ…またお別れなのか…」という気持ちが強くなってきてしまったのも事実。

私は恋愛的な意味で人を好きだと思ったことがもう何十年もない。
幼い頃にちょっとだけ憧れを抱いたりはあったがそれは友情の延長だったような気がしないでもない。
恋愛=結婚ではないが(現に恋愛感情はないままに結婚し、生活のパートナーとして過ごしている夫婦も知っている)やはり結婚に結び付きやすいのは恋愛感情からかなと感じている。
趣味で繋がっている友人が多い私は友人と会うのもそれ関連だったりする。
独身の私と既婚者の友人ではかけられる時間とかお金、熱量とか…そういったものが変わってくる。
それは当然。
でもこちらが勝手に声を掛けづらくなったり、気を遣ったりで疎遠になってしまうのだ。
現場へ行くにも「結婚したんだし、前みたいに誘っちゃ駄目だよな」がまず最初に来て、遠慮してしまう。
会うと楽しいけど特に生活に変化のない私と、大きな変化があった友人じゃ話が噛み合わないことも徐々に増える。
「愚痴は聞いて欲しいだけ」って言うけれど結婚したばかりの相手を悪く言う友人を見たくないとか「独身に戻りたいわ~」的な発言を聞いて前は独身には独身の事情があるって言ってたのになとか……いちいち引っかかるようになる。
きっと私が潔癖なだけ。
生きていれば愚痴りたい日もある。
ある意味信頼してくれてるから話してくれるのかもしれないし。
でも何だかもう根本的に分かり合えないような気になって寂しくなる。
本当私が勝手に。
子どもができたとなればそれがもう一段階進んで、趣味の話じゃなくて相手の子どもの話だけで終わる日もある。
命懸けで産んだ子どもが生きていく意味になるのは当然だ。
大変なことも多いだろうけど子どもほどの「最強の推し」は作れないんじゃないかと思う。
分かってはいても「私と会う時に私に分からない話を延々しなくても…」となってしまうのも止められない。
私自身の幼稚さが心底嫌になる。

私は結婚出産はするつもりはない。
「そんな決め付けなくても…」とよく言われるが自分が結婚して、子どもを産み育てる姿がどうしても想像できないのだ。
それを話しても「私もそうだったよ~」と言われる。
励ましてくれているんだろうけど結婚出産に興味がない私は「結婚出産しないと友人関係は続いていかないの?」とひねくれた思考回路を発揮する。
友人に直接言ったりはしないけど。
あなたにとって家族のいる世界が素晴らしいように私は今の生活にある程度満足しているのだ。
だからあなたは家族に、私は趣味に生きている状態で仲良くできないものかと考える。
不可能な訳ではない。
でも「前と全く同じ」はやはり無理なのだ。
環境の変化に極端に弱い私はできれば変わりたくない。
新しい世界を素晴らしいと肯定できた友人達に恐怖心を覚えてしまう。


でもめでたいと思っているのは本当。
信じられないかもしれないけど心からあなた達の幸せを願っています。
また時間ができたら遊んでね、っていうちょっと離れた場所から。

お気に留めてくださり、ありがとうございます。 サポートいただいた分は今後の執筆活動を充実させるため、有効活用していきたいと思います。