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別れ。

正直、もう付き合いきれない。
もう12年以上もいるのだけど、あたしも限界。

あの夜、人生で何度目かの泡盛ロックは一気にあたしを暗いベッドの上へ運んだ。汚く湿っている髪の毛と放り出された液体入りのビニール袋を先に認識し、すぐに浮かんできた「どうしよう」は、この後、ちゃんとした「どうしよう?」として社会人のあたしにのしかかってくる。

強い女と言われ続けた。
グラスを片手に景気良く騒いでいる写真ないし動画は、スマホの中にも昔の携帯のSDカードの中にもいくつも保存されている。ついぞちゃんと見返した代物はほとんどないが、必ずそこにやつはそこにいる。ハタチやそこらから、やつとはうまくやっていると自負していたし、たとえうまいこと丸め込まれ恥ずかしい目に合わされたとしても、失敗もご愛嬌。いつの間にか身についたでんぐり返しの受け身姿勢は、どんなことでも無傷の夜の出来事として受け流すことができる技に磨き上げられていた。

大学時代、新卒時代、地元帰省、旅行やスポーツ観戦、人生の楽しい場面ではやつは憑き物のようなもので、おまけのような顔をしていつもそこにいて、気がつけば主役の座を陣取っている。そんな抜け目のないやつをライオンを買う大富豪のように飼い慣らしていることは、この上ない自分のステイタスだった。この場にいる誰よりもやつと深く親交していることが、強く生きる女の象徴だと信じていた。

やつを連れ回し、やつをいろんな人に紹介し、やつを介すればどんな場面も楽しく思えた。最初こそ、気を緩ますため、テンションを上げるため、無限の時間のような幻想を提供するために、控えめにヨイショの役割を買って出るものの、そこに巣食う魔性を知ってか知らずか、人はそのまやかしに格別の時間を見出してしまう。いつもそうだった、やつはいつも中心にいた。

やつはあたしをふしだらにさせた。親友の結婚式でつけた真珠のピアスも、誕生日に買ったダウンも、厳しい先輩が初めて励ましてくれた声までも、また手に入る代用品のように乱暴に脱がして、気持ちよく放り投げていくことを喜んだ。あたしは凍えてもなお、やつとあたしのお遊戯の一つだからと責めたりはしなかった。初めての人とは、潤滑油となり体を寄せ合うことに便宜を図ってくれたりもして、随分とありがた迷惑もこうむった。

気持ちが良くなることにもっぱら長けていたのは確か。泣きたくなるようなことがあればあるだけ、この時間を境に明日と昨日の自分がまるで違う女になるのだとフッと背中に重さのない翼を与えてくれたりもした。
喜ばしいことはさらに喜べ、悲しいことには寄り添ってくれたりもする一面もあるから、困る困る。だって、ほんとうのあたしを見せられるのはやつだけだったから。頂点に達した感情と興奮は意味もなく体力をうばい、正体なく眠りに誘い、朝、すっかりと違う自分に生まれ変わる。それが心地よく思えた。

働くばかりが能じゃないと、奮発して京都に泊まった。映画に出てきそうな祇園白川沿いの夜、特別な装いでやつはあたしを迎え入れた。「これがほんとうの姿」だと言わんばかりに、繊細な京の食を陣取った。日本が誇る京都でさえも、やつは負けず劣らず、その文化のそのものだったのだ見せつける。水のような純真さでに見惚れていると、それとはウラハラの熱の液体が喉を通り越し、豊かな自然の技が脳天を匂わす。あたしはやつにひれ伏し、観光客の一人としてその圧倒的な歴史と教養に酔いしれた。これがやつのほんとうの姿なのだと。やつに死ぬまでついていきたいと感嘆した。

だから、やつと離れることなんてこれっぽっちも考えていなかった。電車で通勤するのも、ランチにはサラダを先に食べてかかさず筋トレするのも、浮腫んだ足で台所に立てるのだって、先にお風呂に入るのだってやつがいたからやれたことだった。やつのためにお金を稼ぎ、休日にはやつとの時間を設け、それはこの上ない幸せなのだと確信しながら、やつとの時間が過ぎていくのを惜しんだ。

去年、久しぶりに幼馴染に会った。地元に帰って在宅でフリーの作家をしている彼女は、以前東京で会っていた時とは違っていた。仕事がうまくいっているということは一目で見てわかった。とても綺麗になっていたから。彼女とは昔からお互い同じような創作の道に進んだこともあり、高め合える存在であった。彼女の繊細な感性はあたしの俗っぽい態度を中和させ、宇宙を感じさせた。創作の苦労だって畑は違えど、その情熱を尊敬し合える中だった。彼女にしか話せないことが山ほどあるのに、あたしは彼女にたくさん嘘をついた。

彼女はもうやつに頼ってはいなかった。

向かい合う席であたしはやつと居並び、すっと姿勢が伸びた彼女に圧倒されながら、やつにすがった。出任せでもなんでもいいから、大ボラでもなんでもいいからと、彼女と同じ目線になりたくて背伸びをしながら

『あたしも来年からはフリーでやろうかな』
『えーいいなあ、私なんて全然』
『でも、食べていけてるんでしょ』
『それは実家だからだよ、そっちは東京だしすごいよ』
『全然全然』

やりたいことがあって同じように東京に出て一人暮らしを始めたあたしと彼女。あたしは医療職のため多忙な代わりに給料は良かった。だけど、やりたい仕事はそれではなかった。彼女はいつも、貧困に苦しみながらアルバイトをしながら漫画家になった。あたしは稼いだ金をやつに貢ぎ、足りない時間をやつに費やしていた。

振り返れば誰でもわかる、あたしはやつに踊らされていた。浮遊させる特別な力は紛れもない幻想で、のちに勢いよく床に叩きつけられてもなおその幻想を劇的な出来事として人に植え付ける。

こんなこと初めてではなかった。

吐物に湿ったシーツと大事なセーターを洗う。曇り空に知らないカラスが横切った。酸っぱい臭いが充満する部屋で木の床にも吐いたのだろうか、床をティッシュ拭くと思っていたよりも広範囲にそれが広がっているのに気が付く。自分がしたことだからと鼻を床スレスレまでひっつけ臭いを辿る。自分から出た物なのにこれほどまでに不快なものなのかと眉をしかめながら、できるだけ呼吸を浅く鼻を使う。嗅覚がベッドマット裏にたどりついた時にはもしかしたら声となって溢れ出ていたのかも知れない「もう生きたくない」

思いがそのまま音ととなったような感覚に、鳩尾の奥からぐっと込み上げるやつを必死に押し込める。昨日の出来事が鮮烈な色をかがげて蘇ってくる。お店の滲んだ薄緑の暖簾、凍ったイエローグラス、瑠璃色のガラスでできたお猪口、キンキン声で罵るあたしの唇、声をかけてくれる青いブルゾンの…だれ?

洗濯ができた。

先ほどのカラスだろうか大きな声で呼んでいるが姿は見えない。白く清潔に湿ったシーツを物干し竿にふんわりと広げる。厚い雲が陽の光に溶かされて、ほんのりとあたたかい。なんと優しいのだろうか。シーツも空もカラスも。

ありがとよ、酒。

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