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行動力:極めてキメの粗い鳥瞰文


さて
ここ数年のくすぶっている生活を頭の上から考察していく!

行動を起こすのに大体4回くらい生まれ変わらんといけない性分は
どうしたらいいもんか。

生まれ変わるとは

生まれて 生きて 死んで また生まれ直す

みたいな感じやろうけど
人生の1ヶ月やらもっと半年の生活単位
あるいは10年20年くらい人生スパンで言い換えるならば

 やる気起こして準備して(生まれて) 
   やらんとって思って(生きて) 
     目を逸らして(死にかけ)
        疲れて(死んで)
          なんかやらんと!(生まれ直す)

って感じやと思います。

SNSやらで10代から自分の発信ツールを確立して
来月コラボ化粧品発売しまーすって
こんな成功体験を若いうちからできる人たちと
自分はどこが違うんやろかと思いながらインスタグラムを眺めて
かなしいかな惨めにさえなってしまう。

思えば
自分もある程度なんか成し遂げたこともある
天然酵母を起こしたり、社会人で大学入ったり、憧れていた土地に住んだり
庭もある古民家に住めたりしている(賃貸物件)

目標を立て楽しみながら準備をして苦労もして 
成り行きという名のリスクを楽しみつつ
一つの楽しみを見つけたりもした
これは小さいけれど成功体験としておく。

でも、30代も半ばに差し掛かると
仕事や恋愛も趣味も含めて
これまでの人生で私がやるべきことに
どれだけ向き合えたかが露骨に出てくる時期で
周りの友達や魅力溢れた若い人たちと
自分は果たして肩を並べることができるのか問題が
問われてくるのだと
気づくんだなと。

じゃあ、自分が得られた自分なりの小さな成功体験を糧として
胸を張ってみたらいいじゃない?

まあ違ったよね。

これまでの人生で求めてきたものは多く、得てきた。
水準を高めてもちゃんと適応できるだけの仕事とお金
どんな歪んだ思考もまあ受け入れてくれる恋人
行きたいと思えばどこにでも行けて
買いたいものは軒先にまで届いてくれる

安全で便利な生活をありがたいと感じる

でも最近は、欲しいものや目標さえも
見い出せんくなっていった。

なぜか

私が得られていないのは
これはおそらく、社会との繋がりを経て得られる成功体験

実は大学で自分の作品が上演されたこともある
そのことを思い出すとグレーな気持ちになるんやけど
喉に刺さった大きなトゲまだ抜けきれていない

小さな社会(大学)で自分の作品を認められた成功体験
その代償に 失ったのは人への信頼

作品は自分自身 だからこそ 作品の評価は自分へのそれ
今でも鮮明に蘇ってくるのは 先のとんがった言葉ばかり

社会との繋がりって評価の羅列でもある
その先に信頼があって当然やけど、
目まぐるしい現代では
何が信頼に値するか、わからないことが多すぎる
自分一人の目だけじゃわからない、よなあ

誰かに自分の言葉を見つめてもらう
信頼できるものを探し合う
怖いけど、とても価値のあること
便利な時代になったよなあ


あれから3年経ったのか
随分と自分の傷んだ心を癒すために
生まれ変わることに専念してきたけど
もうしっかりと養分飽和状態なのではないか。

 さて
    行動力


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