生きたい
ヒプノセラピストインストラクター講座の前日の夜に、娘の中学校のスクールカウンセラーから電話がありました。
友達とうまく付き合う方法がわからない
その場の雰囲気を察したり、相手の考えてることを想像したりできない。
一人は寂しい
死にたい
と、娘が泣きながら話していたと。
私も教員ですので、仕事で子供から同じことを言われたことはありますが、我が娘のこととなるとショックでした。職業人としての私ならどうする?
自問自答をしながら、でも娘は私達夫婦の子供でもあるから、親として考えたい、そして、旦那さんとも共有したい…と思いました。そうして伝えた旦那さんの反応は、
「そうか」
「じゃあどうするの?」
と、あまりにも素っ気ないもの。
え??
まずはショックを受けるんじゃないの??
これが女性脳と男性脳との違いなの?
戸惑い、なんとか自分をなだめました。
でも信じたかった。
言葉はぶっきらぼうでも、ショックを受けてないわけはないよね……??と。私は、その気持ちを分かち合えなかったことにがっかり、そして寂しく思いました。
14年も一緒にこの子を育ててきたのに、母として、妻として、家族としての私は何だったのだろう。
自己信頼=近くにいる人(家族・パートナー)への信頼
こんな娘をおいて、こんな話を聞いて、週末2日間をまるまる不在にする私って、母親としてどうなのでしょうか。
そんなモヤモヤを抱えながら始まったインストラクター講座では、耳慣れたヒプノセラピーの師匠藤原理恵さん(ちゃんりえさん)の話を聞くうちに、いつにも増してボロボロ涙が溢れました。
ランチタイムの後、
ホテルに戻る途中で思い切ってちゃんりえさんに
「昨日ショックなことがあったんです……」
と話してみました。
2つ、3つの質問をされた後、ちゃんりえさんは
「旦那さんは、子育てへの自信のなさがあるんやないか」
「今回が初めてじゃなくて、これまでも自分ではどうしようもできない、絶望を抱えてたんやないか」
と答えてくれました。
(これ、まさしくビンゴでした…(後日談))
「わかってもらえない…て、それは被害者意識やな」とも。
でも、それよりも。
いちばん重要なのは、私が私の人生を生きること、自分のいのちへの信頼や覚悟が足りなかったことだと教えてくれました。
娘ちゃんは、自分の人生を引き受けて、真剣に生きていこうと思ったからこそ、うまくやれない自分に絶望を感じるんやろ?
そこを信じてあげなくてどうする?
私が自分の人生、いのちを信頼しきれてないから、娘のことも信頼しきれない。
いい加減、目を覚まそう
って、体を張って娘ちゃんが伝えてくれてるんやないか
本当に死にたい人は、死にたいなんて言わずに死ぬ。
生きたいからそう言うんやろ
もっと、娘ちゃんを、ともちゃん自身を信頼しよう。
自分のいのちを信頼できれば、
娘ちゃんのいのちも信頼できるはず。
そこから、何かが切り替わった気がします。
ちゃんりえさんの声掛けは本当に的確に、その人の時機、ジャストなタイミングを見計らって降りてきます。
それまで、私は
「一人で頑張りたいんやな」
「ちゃんとしたいんやね」
「好きなだけやっとき」
と言われてきたけど、
今回は
「それは被害者意識やな」
「まーた、被害者意識か」
まさに今、私が向き合うタイミングなのかと思いました。
私が私を愛しきれてないから、愛されてないと思う。
母や旦那さんや、誰かのせいにする。
私が私を信頼しきれてないから
娘を信頼できず、
私が拡大するタイミングが来ても、娘の心配を理由に飛び込めない、
まずは、私を愛そう。
信頼しよう。
心からそう思えました。
ただただ純粋に愛されていたことを思い出す
底の期間が終わったのか。
インストラクター講座の最後のヒプノの実習では、信頼できるAkariちゃんの誘導により、ただただ純粋に愛されていた2〜3歳の私と、願いが光のように拡大していくポジティブな過去生に出会いました。
今まで、悲しく、辛く、寂しい思いを癒す前世療法ばかりだったけど
初めてのポジティブな体感の前世療法でした。
「生きたい」
自分のいのちを生ききりたい!!!
そんな光が灯った瞬間でした。
娘がそのきっかけをくれたのです。
その後、娘はぼちぼち…低空飛行ですが、自分のペースで学校に通い、本日学年末テストを終えました。
そんな話をオープンにしたインストラクター講座で、ちゃんりえさんや仲間から「(淡路の)アースバッグハウス作りにおいでよ」と声をかけていただきました。
初淡路。私達の「生きたい」という光が、ますます大きくなる2日間。
楽しみです。
自己信頼を取り戻すために伴走いたします
《自分に還るヒプノセラピー》
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