新幹線で大阪に向かっていると、浜松駅を超えたあたりで、手首で千切れた手が飛んでくる。イメージとしてだ。私としては血なまぐさい思いをいつもする。飛んできた手が私の肩をつかむ。
 きっと、何か無念があるのだろうか。そう思い調べてみると、戦国時代もかなりの合戦があったし、第二次世界大戦では浜松空襲と言われる、かなり大規模な空襲があったみたいだ。学校で習ってなかったから、調べてみるまで知らなかった。

 浜名湖から手が飛んでいるのかなと思ったけど、地図を穴があくほど読み返しても、ピンとくるところがない。
 浜松のホテルは、怪奇現象が起こるところもあるらしい。噂のあるホテルを回るか?とも考えたが、そうでもないらしい。
 浜松に住む友人に頼んで、車を出してもらうことにした。怪奇現象の噂のないホテルに泊まり、周りを見渡す。とても良い街だ。晴れていると富士山も見える。二拠点で暮らすとしたら、1つは富士山の見えるところに住みたい。そういう意味でも浜松は興味がある。
 浜松は食事も美味しいので、よその人が浜松の人を接待しても、満足させてあげることは出来ないらしい。さもあらんと思う。せっかくなので浜松餃子とやらを頂いてみる。水餃子も焼き餃子も、やたら旨い。

 いろいろ相談した結果、楊子橋に行くことになった。ドンピシャだった。沢山の人がこれまでも慰霊してきたはずだ。でも、凄まじい怨念がびっしり、橋に張り付いていた。車を降りて、橋の欄干をさすりながら、端から端まで歩く。車を出してくれた友人が、岡田茂吉の善言讃詞という、お経のようなものを唱えてくれた。私が集めた手首が、彼女のお経でシャボン玉のように輝き、そして、ピュンと音をたてて、天に昇っていく。とてつもなく美しい景色だった。
 彼女の知り合いが近くの寺に供養塔を奉納してあるというので、行ってみた。本殿には無さそうなので帰ろうとすると、奉納された菩薩が微笑んで見えた。二人で拝んだ。私にくっついてきた手が、身体を表し、大泣きする。
「あの橋で死んでも死にきれなかった。あそこから逃れられなかった。ここまで、来ようと思ったけど、来れなかった。」
と泣きながら言う。あまりの恐ろしさに動けなかったのだろう。そのまま時が止まっていたのだろう。ずっと、苦しかったのだろう。彼らの背中をさすりながら、こちらももらい泣きしてしまう。

 せっかく来たので、大きなとばりがあるあたりを剥がして帰ろうということになった。私有地で入れないところだったので、周りを車で回ってもらい、私は結界の周りのシールのようなものを剥がしながら一周した。

 他にも、いろいろな神社を回った。浜名惣社神明宮が、凄かった。何かに邪魔されて、水が枯れていた。車を出してくれた彼女が
「女性器がからからになっているみたいに枯れている。」
と言っていた。まさにそういう感じで、辛いけど、辛いと言えない、気の毒な感じだった。ちゃんと地元の方には大事にされているのが伝わるが、大事な所だけに、そういう意地悪をされていたのかもしれない。一緒にいる姫神様たちが
「大丈夫。」
と仰ったので、もう、大丈夫だと思う。

 最後に弁天島に行った。そこにも神社があった。お参りをしたとたん、夕焼け小焼けのメロディーが大音量で流れた。時計を見ると4時だった。冬だったこともあり、暗くなりかけていた。
「ぎりぎり間に合ったってことだね。」
と顔を見合わせて笑った。

 後日、浜松の彼女が、改めて弁天島の神社に参拝してくれた。たまたま、そこに居合わせた男性に、事情を話し、一緒に参拝した。男女で参拝して欲しかったらしく、それを実現できるのも、神様業の不思議なところだ。実際、私も彼女も、別に宗教はなく、彼女も、たまたま親から習っていた経をそらんじていただけで、信仰はない。こんな無信心な我々がなんで、こんなことしてるんだろうね、なんて笑いながらも、心が満たされる思いはある。

 弁天島の神社で、出てきた女性の霊?が、
「ここで夫を待ってるけど、来ません。東京の人でしょ?靖国神社に連れて行って。」
ということだったので、私も翌日、靖国神社に行き、彼らの希望を多分、叶えた。

 それからは、安心して、新幹線に乗れるようになった。


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