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本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、

本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。
2019年06月06日
実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。
内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない
つねに日本を嫌い、国民に上から目線の嫌味を言う朝日新聞の論調は、いまや多くの国民の心に刺さっていないのである。
要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた
ネット上のとくにツイッターではほぼ1ヵ月間、いつもの「反安倍」な人たちが、この風評をネタに怒りの気炎を上げていた。 その代表格は、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏である。
これは社会風刺ではなく、時代に取り残された人のボヤきだ。権力者や世の風潮にチクリとやるつもりが、書き手の「イタさ」だけが目立つ。 
この翌日、4月2日の素粒子はさらにイタかった。
しかし、「あなた方がありがたがっている元号は、奈良時代の酒席の挨拶なんだよ」という朝日のこの嫌味に反して、各社の世論調査では軒並み、国民の7割が、新元号に好感を寄せている

2019年06月06日
以下は有本香さんの論文の続きである。
『素粒子』の異常が示すもの 
朝日新聞には、夕刊にも長寿コラム欄がある。
『素粒子』と題され、皮肉を含んだ社会風刺を散文詩的に書くものとされているが、過去に幾度かその酷い表現で物議を醸した。 
その素粒子が、新元号が発表された直後、4月1日にこう書いた。  
新鮮?お堅い?語感は?第一印象は人それぞれに。
元旦から改めた方がわかりやすかったのは確かだけど、号令一下、来月から役所は使うし世の中にもあふれる。
決まる前に初めて、大々的に「予想」が飛び交ったから定着も早いか。
天皇退位に伴う248番目は「令和」。

一体、何が言いたいのか。 
これは社会風刺ではなく、時代に取り残された人のボヤきだ。
権力者や世の風潮にチクリとやるつもりが、書き手の「イタさ」だけが目立つ。 
この翌日、4月2日の素粒子はさらにイタかった。
  
「改元お祭り気分」余話。
外務省は元号使用を原則的にやめて、「基本は西暦を使う」方針への転換を検討中。
原案は英弘、広至、万和など六つ。
「安」の文字なし。
改元した内閣は半年以内に崩壊してきた歴史あり。
明治から大正への第2次西園寺、昭和への第1次若槻、平成への竹下。
単なる偶然だけど。

新元号に寄せて、定番の「反安倍」ネタ満開である。
ただし、この「安」の文字云々のくだりには、もはや憐れみすら感じる。 
ご存じない方のために説明すると、実は元号発表の1ヵ月ほど前からネット上を中心に、「元号に『安』の字が入るぞ騒動」が起きていたのである。 
火元を探ってみると、新元号を予想するNHKの番組でそれらしき映像が映ったとかいう程度のことで、確たる情報があったわけでもない。
にもかかわらず、ネット上のとくにツイッターではほぼ1ヵ月間、いつもの「反安倍」な人たちが、この風評をネタに怒りの気炎を上げていた。
その代表格は、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏である。


*私が、この男の名前を知ったのは、朝日新聞、週刊朝日、アエラを購読していた頃の事である。
私の周囲に居た人達と慧眼の士の読者は、私が、故・梅棹忠夫を京都及び京大が生んだ最高の人間の一人であると頻繁に言及して来た事はご存知の通りだが、この男は彼の弟子であると自称していたから私の目に留まった。
だが、5年前の8月以来、この男の本性が、明瞭に見えていた事に加えて、今回、有本さんが教えてくれた事実は、この内田樹が、正真正銘の下種野郎であることを確信させた。
こんな下種野郎が武道家を自称したりもしている事は、武道を嗜んだ人達や運動神経に恵まれた人達にとって鼻白む思いだろう。
下種の極みとは、こういう野郎を言うのである*

氏はツイッターでこう宣言した。 
僕は元号擁護論者ですけれど、新元号に「安」が入っていたら(「晋」でも)、死ぬまで二度と元号を使いません。
(内田樹氏、3月2日のツィッターより抜粋) 
この後も、反安倍人士が続々とツィッターに嫌味を投稿し続け、新元号発表の一週間前になると、タブロイド紙の日刊ゲンダイー面に巨大な見出しが躍った。 
「新元号 安倍 皇太子に『安』入り伝達情報」
ここで、また反安倍人士の怒りが噴き上がる。
「やっぱり安倍は新元号を私物化しようとしているのか」と。
しかし蓋を開けてみたら、案の定それは彼らの妄想に過ぎず、新元号は「令和」で、候補のどこにも「安」も「晋」も、影も形もなかった。
 
4月2日の素粒子にある《「安」の文字なし》というくだりは、この妄想に基づく騒動を受けたものなのである。

新元号への嫌味は続く 
この頃、素粒子と合わせ鏡のように、天声人語でも新元号への呪いの言葉が続いた。 
4月2日の天声人語は、令和の由来を繙いて、大伴旅人に触れながら、こう国民を皮肉っている。  
「令和」にどのような感想をお持ちになっただろう。
令や和の字を名に持つ方は、これからしばらく話題に事欠くまい。
ここを商機と万葉集コーナーを設けた書店もある。
お祭り騒ぎはしばらく続きそうだ。 
続けて、《60余年の大伴旅人の生涯に、元号は驚くほど頻繁に代わっている。やれ吉兆の亀が発見されたと言って「神亀」。奇跡の水が見つかったと「養老」。(中略)まるで改元のインフレ期のようである》と書き、元号なんかありがたがるようなものじゃないよと国民を窘め、つぎのように結んだ。  
そんな時代を知る旅人だが、酒席で述べた挨拶が1300年後の元号になってしまうとは。
二日酔いの夢にも想像しなかったことだろう。

この嫌らしい言いよう。
 
しかし、「あなた方がありがたがっている元号は、奈良時代の酒席の挨拶なんだよ」という朝日のこの嫌味に反して、各社の世論調査では軒並み、国民の7割が、新元号に好感を寄せているとの結果が出た。 
まさにこれが本稿の趣旨なのだが、つねに日本を嫌い、国民に上から目線の嫌味を言う朝日新聞の論調は、いまや多くの国民の心に刺さっていないのである。


4月6、7日に、産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が実施した合同世論調査によると、新元号を「良いと思う」という回答は87%にも達した。
しかも、元号が国民生活に定着し、制度存続が望ましいとの声は、むしろ若い世代のほうに多いという結果が出た。 
同調査の結果を詳しく見ると、元号制度について「続けるほうがよい」という回答は、18~29歳85.4%、30代86.4%、40代87%、50代83.7%と現役世代では軒並み8割超えだったのに対し、60歳以上になると78.2パーセントと下がっている。 
最近では、新聞を読むのは高齢者だけというのは一種の定説である。
とりわけ朝日新聞に関しては、「中心読者は七十代」などと巷間言われるが、新元号にまつわる調査結果を見れば、この「噂」もあながちウソではないのだろうと思われる。


反安倍による自家撞着 
いま一度、『天声人語』に戻ろう。 
4月3日には、新元号「令和」の考案者ではないかといわれている万葉集研究者、中西進氏のことが載った。
中西氏の業績を誉め、《万葉研究ではまぎれもない第一人者だろう》と書いたところまではよい。
問題はこのあとのくだりだ。  
そんな中西さんが新元号「令和」の考案者ではないかと報じられている。
政府が明らかにしない限り、ご当人からは、そうとも違うとも言い出しにくいはずである。
万葉集が脚光を浴びるいま、その普及に尽くしてきた中西さんが、窮屈な立場に追い込まれてはいないか。 
え?
そうだろうか。
中西氏を窮屈にしている意味がわからない、と思いながら読んでいくと、唐突にある名前が出てきて、この日の天声人語はつぎのように終わる。  
安倍晋三首相はテレビ局をはしごして新しい元号に込めた思いを説いた。
だが、ほんとうに聞きたいのは碩学による奥行きのある解説だ。
考案者であろうとなかろうと、いまこそ「中西万葉学」の出番だろう。 
ここで「反安倍」をねじ込んでくるとは、あまりの無理やりぶりに笑いがこみ上げてきてしばらく止まらず、笑い続けた。 
要するに天声人語の書き手は、新元号決定のあと、あちこちのTV番組に安倍首相が露出したことを忌々しく思っていたのだ。
しかしここでもまた、世論は朝日の思いに反する動きを見せた。 
4月13、14の両日、朝日新聞が行った世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人が44%と、前回より3ポイントも上昇したのである。
一方、「支持しない」と答えた人は32%と、前回より5ポイントも下落している。
自社の調査でのこの結果は、朝日新聞にとって極めて好ましくないものだったにちがいない。

朝日にとっての平成 
平成の御代を、「反安倍一面トップ」という朝刊で締めくくり、御代替わりを祝う国民に嫌味を言い続ける朝日新聞にとって、この30年はどんな時代だったと言えるのか。 
同日の素粒子はこう言う。 
サ 30年余、いろいろあった 
ヨ 予期せぬ災害次から次に 
ナ 涙にくれた東日本大震災 
ラ 楽観できない原発の廃炉 
へ 平和憲法は解釈改憲され 
イ 今や集団的自衛権行使も
セ 正規でなく非正規が増え 
イ いつの間にやら格差社会 
レ 歴代政権の放漫な財政で 
イ いまの国債残高897兆円 
ワ 若い世代ヘッケを回した 
へ 減る人口で縮む国どこへ 
読んで目眩がした。
心に刺さったからではない。
哀れになったからだ。 
格差社会の頂点に立ち続けた挙げ句、「若い世代」に見放されたこの素粒子の書き手には、自社の平成30年余の歩みがまったく見えていないようである。 
そこで、余計なお世話かとは思ったが、不肖私が、数字と報道内容とで朝日新聞の30年余を振り返ってみることにした。 
まず、平成元年の朝日新聞の報道で真っ先に頭に浮かぶことといえば、「サンゴ記事捏造事件」である。
別名「K・Y事件」ともいうこの事件を、若い方はご存じないかもしれないので概略を書いておく。 
平成元年(1989)4月20日、朝日新聞夕刊に「サンゴ汚したK・Yつてだれだ」と題した写真付きの記事が載った。 
沖縄の、ギネスブックにも載った世界最大のアザミサンゴに、ナイフで「K・Y」というイニシャルの傷がつけられていたという内容の記事は衝撃をもって広がったが、そこには日本人のモラルの低下を嘆いた「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」というくだりもあった。
だが、実はこの写真は、朝日新聞のカメラマンが、自らナイフでサンゴに傷をつけて撮った悪質な捏造記事だったのである。
捏造が露見するまでの朝日新聞の対応も最悪だったが、その経緯はここでは割愛する。 
どんなメディアにも間違いや誤報はあるが、こんなデタラメをやってまで日本人を貶めようとする新聞社はさすがに他にない。
本来なら、この一件のみをもっても廃刊していておかしくない新聞なのだが、当時の朝日新聞は、朝刊8,108,004部、夕刊4,756,037部という部数を誇っていた(平成元年7~12月・ABCデータ)。

安倍vs朝日の闘争勃発…このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、
安倍vs朝日の闘争勃発 
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。 
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。 
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。 
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。 
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。 
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。

朝日新聞の窮状と反安倍 
ここでもう一度、内田樹氏のツィッターを覗いてみよう。 
朝日新聞はなんだか財政的にひどいことになっているみたいですね。
連載コラムの原稿料が20%カットになったという話を先日ある書き手の方から聞きましたけれど、今日オファーされた対談(1時間程度)の提示ギャラは1万円でした。
朝日新聞・・・だいじょうぶかな。
(4月16日) 
内田氏はこのあとも連続ツイートし、《僕はギャラが少ないって文句言ってるんじゃないですよ》などと自己弁護しながら、《このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る》と言い、さらにこう結ぶ。 
それがもたらす社会的影響の大きさを考えると、(中略)「どうやって新聞を支えるか」はメディアがその総力を挙げて論じるべきことなんじゃないですか?違う?
うーん。どことなく素粒子と似た、何を言いたいのかわからない呟きとなっている。 
一時間一万円を、安いと考えるか高いと考えるかはその人次第だ。 
ただ、内田氏だけではなく、不肖私も含め、言論を仕事とする者の場合、必ずしも拘束される時間で「ギャラ」が決まるわけでも保証されるわけでもない。
金銭的に割の良い仕事もあれば、そうでない仕事もある。
業界関係者がよく言う譬えに、「下調べにかけた時間などを含むと、ファストフードの店員さんより時給が安かった」というような仕事もある。 
しかし、仕事を選ぶ基準が金銭だけではないというのも自由な立場の言論人の特権だ。
割の良い仕事でも嫌なら断ればいいし、金銭的メリッ卜は少なくてもやるべきと思う仕事はある。
ある編集者は、このあと内田氏がはたして、一万円の朝日の「対談」の仕事を引き受けたのか否か、訊いてみたいと言っていた。 
一方、私が内田氏のツイートのなかで気になっているのは、氏の言う「朝日のような全国紙が突然消えたら大変だ」というところである。
氏は救うために知恵を結集せよと言っているが、はたしてそうだろうか。 
私たち日本国民は、平成の御代にメガバンクをはじめとする金融機関の統廃合や大手企業の合併、経営破綻を経験している。
それに比べたら、こう言っては悪いが、たかだか日本の全国紙一紙、しかも日本の国益と日本人の名誉にマイナスの影響を与え続けてきた一紙がなくなったところで、多くの国民にとって大事になるとは思えない。 
大変だ!と思っている内田氏らが、朝日の関係者と協力して「救う」手段でもなんでも講じればよい。


 

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