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70年経ってまだこんな教授や新聞が歴史を偽ろうとする。悲しい話だ。

70年経ってまだこんな教授や新聞が歴史を偽ろうとする。悲しい話だ。
2020年10月15日
以下は、今日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
この論文も、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
この論文は、至上の論文である。
偽りの教科書
敵前逃亡を強いられたマッカーサーのマニラ奪回攻略戦は昭和20年2月5日に始まった。 
その前日、日本軍側から人道的申し入れがあった。 
マニラ市北部、古い歴史を持つサントーマス大の構内に英米民間人3700人が収容されている。 
マニラ占領時に敵性市民として収容された人たちで、このまま市街戦が始まれば銃砲火の巻き添えを食う。 
両軍の話し合いがつき、日本側警備兵65人の後方退去と収容者の解放が粛々と行われた。 
市街が二個大隊ほどの日本軍と70万の現地人だけになると、米軍は翌日から凄まじい艦砲射撃を始めた。 
それに先立つペリリュー、サイパン攻略では7000㌧の爆弾が降り注がれたが、マニラ市にはそれを遥かに超える爆弾が降った。 
市街は瓦礫と化し、多くの市民が死に、日本軍の抵抗は2週間で終わった。
マニラは制圧された。 
日本はその半年後の8月15日に降伏した。 
GHQは9月15日、「日本軍はマニラ攻略戦時に市民10万人を殺した」と日本の新聞に書かせた。 
当時はまともだった朝日新聞は「生き証人も捕虜もいる。その嘘を検証しようじゃないか」と書いたら直ちに廃刊を通告された。
朝日は米国の犬になることで許され今日に至る。 
それにしてもGHQの言い分は酷い。
米軍はその半世紀前に現地人40万人を殺して植民地にした。 
今回も砲爆撃を躊躇ったとは思えない。
無辜の市民が死ぬと、それをそっくり日本軍のせいにしてきた。 
日本軍2個大隊は米軍と熾烈に戦いながらなお毎日1万の市民を犯し、殺し回った計算になる。 
嘘が丸見えで、最近は4割が米軍の砲撃で死んだことを認め、残り「6万人を虐殺した」ところまで大幅値引きしている。 
戦後2代目の華人系大統領キリノもこの値引に反対だった。
彼の妻子は米軍の砲撃で死んだ。
考えてみれば彼が家族も財産も失ったのはすべて日本軍の侵攻のせいだ。
恨みは深い。 
彼は「妻子は日本軍狙撃兵が撃ち殺した」「次女は日本軍兵士が放り上げ銃剣で刺し殺した」と吹聴した。 
彼は昭和23年、大統領に就任するとその祝いにモンテンルパに繋がれたBC級戦犯3人を処刑させた。 
翌年、キリノは日本政府に80億㌦という法外な賠償要求を突き付けた。 
日本が難色を示して交渉が長引くと昭和26年1月、彼は戦犯死刑囚14人を一晩で処刑させた。 
日本側が渋れば残りの死刑囚も順次吊るしていくという脅しだった。
いかにも華人系らしいやり口にさすがに米国も動き、ダレスを派遣して死刑恐喝をやめさせた。 
脅しがだめなら戦犯を囲っている理由はない。
キリノは昭和28年、BC級戦犯全員を解き放った。 
この許しがたい大統領をNHKの中田整一が「妻子を殺した悪逆の戦犯にキリノ大統領が温情恩赦」の美談に仕立てて皆さまのNHKで流した。 
NHKは戦後ずっとGHQ製の自虐番組「真相はかうだ」を流し続けた。 
キリノの話も流した。
今さら真相も語れない。
いっそ騙し通せと思ったか。 
中田の嘘から70年。
先日の朝日新聞が夕刊一面で「キリノの美談が帝国書院の中学生の教科書に載る」と嬉しそうに報じていた。 
執筆は浪間新太。
記事につけたメモには「恩赦の前に17人の死刑が執行された」とある。 
執行を命じたのがキリノで、彼が対日交渉のカードとして処刑したとは書いていない。
書けば美談にもならないからだろう。 
信州大教授の大串潤児にも「BC級戦犯は悪い罪びと」と言わせる。 
現地の戦争裁判は華人系が仕切った。
セブ島に行ってもいない日本軍将兵に同島で住民を殺した罪で死刑を宣告している。 
どこが悪い罪びとか。
死刑囚の「巨額の脅しに屈するな。我々は喜んで死んでいく」という言葉も残る。 
70年経ってまだこんな教授や新聞が歴史を偽ろうとする。
悲しい話だ。

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