「あの夏が飽和する。」感想 心えぐる現実と少年少女の思い

2018年の8月12に公開された「あの夏が飽和する。」、それは当時、予想をはるかに上回る強さで私の心を打ちました。

今回はこの曲に出てくる少年少女の無謀にも儚い夏の逃避行を思い出しながら、私の感想及び考察を書いていきます。

感想と考察には小説やコミカライズの内容は含まれませんので、ご了承ください。


「あの夏が飽和する。」とは

「あの夏が飽和する。」とは2018年8月12日にカンザキイオリさんによって公開されたボカロ曲です。
2020年には映像が大きく変わった「あの夏が飽和する。2020ver」が公開されました。
また小説が発売されたり、コミカライズされたりと人気の高い楽曲です。

この曲は簡単に言うと、少年と少女の二人きりの夏の逃避行と喪失を描いています。

初めて聞いたときの衝撃は忘れられません。何せ、泣いたほどですから。
それくらい私にとっては印象に残った曲です。

逃避行とその内容

夏のある日、少女が自分をいじめていた相手を誤って殺してしまったことが原因で逃避行が始まりました。
少女の逃避行に少年がついて行く形で始まり、その逃避行は少女が首を切って自害することで幕を閉じます。
そして少年は大きな喪失感を抱えながら生きる、というのが「あの夏が飽和する。」の大まかなストーリです。

少年と少女の関係

二人の関係については、曲の中で明言されていません。
ただ少年が自ら、死ににいく少女について行くほど仲がいいというか、少女のことを大切に思っているのは確かです。

遠い遠い誰もいない場所で二人で死のうよ。

「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ

歌詞にこのような言葉があることから、一緒に死んでもいいと思えるほど少年が少女のことを思っていることが分かります。

それにくわえて、

もうこの世界に価値などないよ。
人殺しなんてそこら中湧いてるじゃんか。
君は何も悪くないよ。君は何も悪くないよ。

「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ

と続き、少年は少女を肯定しています。
私は「あの夏が飽和する。」の中では、この部分の歌詞が一番好きです。

君は何も悪くないよ。とても優しい言葉だと思います。
そもそも少女をいじめるやつがいなければ、少女は犯罪者にならなかったわけですから、「君をいじめたやつが悪い」と少年は言いたいのでしょう。

少女にとっては、少年だけが特別な存在だったのだと私は考えています。
ひとを殺してしまったことと、死にに行くことを少年に教えにやってきましたから。
しかし私がそう考える一番の決め手は、

「君が今までそばにいたからここまでこれたんだ。
 だからもういいよ。もういいよ」

「死ぬのは私一人でいいよ」

「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ

この歌詞の存在です。
つまり少女はもう少し早く死ぬつもりでいたのですが、少年の存在によってそれが先延ばしにされたということです。
それに少年と心中するつもりはなかったようで、それくらい少女も少年を大切に思っていたのだと解釈できます。

少女は少年の目の前で首を切って自殺してしまいますが、これはかなり覚悟がないとできないことです。
自分で首を切るのは痛みを待つやり方ではなく、敢えて痛みを与えて死ぬやり方と言えます。
そこまで覚悟が決まっているのに、死を先延ばしにさせた少年は少女にとって唯一といっていい存在でしょう。

少女の絶望

少女が自害するにいたったその原因は、誤って自分をいじめてた相手を殺してしまったことですが、他にも理由はあります。
歌詞の中にそれは描かれていました。

「そんな夢なら捨てたよ。だって現実を見ろよ。
 シアワセの四文字なんてなかった、
 今までの人生で思い知ったじゃないか。
 自分は何も悪くねえと誰もがきっと思ってる」

「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ

上記の歌詞から、いかに少女が世界と他人に絶望しているかが分かっていただけると思います。

少女は幸せなんてものは信じていないし、むしろないと思っている。
そのうえ、人間なんてみんな無責任だと。

こういう価値観を抱くような人生を送ってきたことは、少女に十分すぎるほどの絶望を与え、実際に自殺してしまうくらいの苦しみだったことは想像に難くありません。

そんな少女にとって「君は何も悪くない」と言ってくれる少年はどれほど大きな存在だったのでしょうか。

逃避行が終わって

少女の死を見届けた少年は一人生き残り、少女のいない世界で生きることになります。

そして時は過ぎていった。
ただ暑い暑い日が過ぎてった。
家族もクラスの奴らもいるのに
なぜか君だけはどこにもいない。

「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ

少女が死に、逃避行が終わったあとに少年の中に残ったのは、大きな喪失感と寂しさでした。
少女の死をまだ受け入れられていない感じがします。
そして私が初めてこの曲を聞いた時に涙が止まらなくなったのは、ちょうどここです。

当時、私は学校で一番仲が良かった友達と仲違いをし、一切話さなくなりました。
一緒にいることを身勝手ながらも、当然のように感じていた私にとって大きな喪失感があり、なんで一緒にいないんだろうと、ふと思うんです。
その気持ちと重なって一時間近くは泣いていました。

私は私のせいで友人と離れてしまうことになったのですが、少年は自分の意思で離れ離れになったわけではないのでもっと辛かったと思います。
逃避行についていく時点で、少女と一緒にいたかったのは確かですから。

私は少年ではありませんが、すごく寂しい、という気持ちが心の中に広がっていく感覚がします。この歌を聞いていると。
少女の死は少年にとって一生の傷だと私は思っています。

最後に

少女にとって現実は心をえぐるものでしかなく、しかし少年だけは信じられる相手でした。
「あの夏が飽和する。」は悲しい物語ですが、少年と少女が互いを大切に思い合っていたことだけは私にとっての救いです。

この記事を読んで、「あの夏が飽和する。」に興味を持たれた方はぜひ聞いてみてください。
少年のその後を知りたい方は「死ぬとき死ねばいい」、少女のことを更に知りたい方は「人生はコメディ」をお聞きになることを推奨します。

ステキな曲に会えたことを嬉しく思います。

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