なぜ生きているのか

私たちはなぜ生きているのでしょうか。
親が子孫を残すために私たちを生み出されたと考える人もいるかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。親の子孫を残すという目的だけのための存在ではないはずです。必ず何か人生の目的があるからこそ生まれてきたのです。前世でやりのこしたことを行うために転生してきたと考える方が、ずっと生きるために頑張らなくてはと思えるはずです。

輪廻転生があるかどうかは正直科学的に証明されていないので、三次元で生きている私たちには分かりませんが、仮にあるものと考えると目的があって生まれたと考え、ポジティブになれると思います。人生の目的―自身が背負っているカルマ―は何なのか。自己分析することが大切です。やみくもに努力してもそれが目的からずれていたらうまくいかないのは当然です。

就活生が良く自己分析をしていますが、自己分析は義務教育からするべきだと思います。自分自身を見つめるチャンスだと思います。それに気付かず、与えられた環境で限られたテストなどで競争しても人生の目的とずれている可能性があります。しっかりと教育というものを考え直す時期が来たと思います。

また、偏差値が高い・低い、容姿が優れている・優れていない等々、二つの選択肢で判断する社会を当然視していた今までを疑問に持つべきです。確かに、二項対立は便利で資本主義の世の中では特に役に立つことでしょう。二項対立で社会が善としているものを得たものが賞賛され、勝ち組と誇る。このような時代があったのも事実です。しかし、二項対立で負けてしまった人の対策は今までしていましたか。国家レベルでは社会保障などの制度を作ったりして格差是正などに役立ててきたことでしょう。しかし、負けてしまった人たちの心のケアははたして社会でできていたでしょうか。むしろ、社会的に淘汰圧をかけられ、生きづらくなっていた人が多いのではないでしょうか。

そもそも二項対立で勝ち・負け、善・悪を分けているのは人間ですので、人間の歪んだ価値観などで杓子定規として成立しています。他人が作った常識に合わせることを苦痛に感じる人のことを考えないで、その価値観を強要する。そして、その価値観などからはみ出た人は冷ややかな視線を浴びる。このような監獄のような社会に生きている人間もいることに気付いてください。

では、この社会を変えるように政治家になるべきでしょうか。答えはノーです。社会を変えることは正直難しいことですし、ひとりであがいてもすぐに変わるものではありませんし、リスクも大きいです。私たちが出来ることはせいぜい自分の心のコントロールになります。このような状況になったらどう対応すればいいのか、というのを知り、そして実践するのです。人生の成功というのは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさであると思います。

後者の豊かさを得るためには、まず自分の感情をコントロールする術を知る必要があると思います。私はなぜ今、この家族と過ごしているのか。私はなぜいつも人間関係で悩むのか。私はなぜこの事業に失敗したのか。私たちは常に上に挙げたような「なぜ」を繰り返すと思います。世間的に失敗とか良いイメージでないものほど「なぜ」を繰り返します。逆に成功している時は「なぜ」を繰り返すことはかなり少ないでしょう。人生をどう生きて、本当の意味で成功を勝ち取るか、それをひとりひとり考えるきっかけにしてください。

生きている意味があるからここに私たちが在るのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?