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#008 文明周縁者

 文明などという大仰な言葉を持ちだすまでもなく昨今の過剰なまでのサービス/商魂には辟易というより端から興味を持てずただ冷視/冷笑するほかないこの性格は、ややもすれば単に金を稼ぐ不器用さに端を発する月並みな妬み/嫉みにすぎないのかもしれないが、そうした傾向/性質を持つ人間に起こりがちな思考なのかどうか、いずれにせよセルフビルドの小屋暮らしに惹かれたことがある。何のきっかけで知ったかは失念したが高村友也氏が恐らくは日本におけるこの界隈のパイオニアで、近年ではDIYの小屋に住まう若者の集まる千葉県某所の一帯がテレビで取りあげられていた光景などが記憶に新しい。山の中や恐ろしく郊外の一画をせいぜい数一〇万円程度という低予算で購入し独力かあるいは友人知人の協力を得ながら製作、というのが一般的/典型的な流れになるかと思うが現実的に検討すれば法規や世間体といった種々の壁に阻まれ実際にその世界に足を踏み入れるのはかなり難しい。
 私の見立てでは建築上の難所は基礎と下水で、平たい石やコンクリートブロックを等間隔に並べる〈独立基礎〉は手軽かつ低予算でセルフビルドには最適かと思いきや一〇㎡(約六畳)に満たない建築確認申請の不要な建造物でない限り一般には〈布基礎〉〈ベタ基礎〉なる本格的な基礎が必要で、これは個人でできないこともないようだが手間/体力/工程の面で怯まざるを得ず、といって依頼するとなれば予算は無論のこと基礎工事のみを引き受ける業者を役場に問い合わせる必要も生じ、建築においては基礎が重要であるとはいえその最初の段階からすでにかなりの煩雑さを要求されるのは閉口もの、あたかも気軽/軽薄/不実な来訪者に睨みをきかせる金剛力士像のごとく基礎なる最初の関門は我々新参者にその意欲/覚悟を相当程度問うてくるのである。その上水回り、特に下水にも魔は存在し、上水を山水/雨水/汲み置きにて代替、トイレをコンポストトイレ/バイオトイレにて済ませる、とこの時点でもすでにかなりの妥結/狭き門だが、これをくぐり抜けたところでしかしさらなる関門、下水ばかりはどうしようもなく、下水管のない土地や地域では浄化槽の設置が義務づけられている場合もあり公的な補助金は出るものの設置にはそれなりの費用が必要で、何より維持費が割に高額であった気がするからやはり容易に踏みこめる領域ではない。下水についてはそれなりに調べたものの不明点が多く、恐らくは各自治体でルールが異なったり曖昧だったりするのだろうが中にはし尿を含めた生活排水を近隣の土に還元しながら生活を営む人々もいるように想像するが実際のところはどうなのだろう。そしてこれらすべての問題を超越する並々ならぬ猛者あるいは真正の生活困窮者であればすでに世間体など構わぬ/構っていられぬ切迫者であるにちがいないが、しかし〈下水の問題をスマートに解決できる土地で六畳未満の小屋に住む〉との生活スタイルを親類縁者を含めた己れの人間関係の中で是認/肯定できるかとの問いも我々凡人には決して無視できぬ問題なのである。
 私は現在札幌で暮らしているが家賃が二万円台、税金の類いは措くにせよ切りつめれば食費/光熱費/雑費あわせ六万円以内で最低限の文明生活を維持できるわけで、小屋暮らしに必要な初期費用や生活維持費を鑑みれば周囲から異様な眼差しで眺められる代償を払ってまでそうした生活に移行できるほど少なくとも私は果敢ではないし何より切実ではないのだろう。文明を厭いながら主としては社会関係上の事由からこれに依存せねばならぬ私はだから煮えきらぬ文明周縁者として細々と生きるほかなく、森の生活と言えばソローを連想させるが人里離れた不便な土地や未開の原野で一人生活する覚悟も思い切りもない私はいずれにせよ本物の自然人/野生児/前近代的人間ではないようである。
 それにしても小屋に限らず自然の中で生活したいとの欲求は今もなお消えない。半ば選択の余地なく文明の中にとどまらねばならぬのもまた巨大化した文明のひとつの狡知かと思うが、どうだろう。

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