九嶋流平
有料制なる思わせぶりな結界を設け秘密裏に駄作を量産せんと息巻く私は阿呆。
九嶋流平と申します。 細々とではありますが、音楽をやっております。 エッセイは自分のために書いているところがあり、うまく書けなかったり、いずれにせよ読みにくいものが多いかと思います。 それでも数十本に一本くらいはよいものができればと思って取り組んでおりますので、長い目でおつき合いいただければ嬉しく思います。 よろしくお願いいたします。 (基本は毎週土曜更新ですが、ペースが速まったりあいだが空いたりする可能性もあります。ご了承ください。) (2024/3/
日本を訪れる観光客や日本在住の外国人にスポットライトを当てる番組はナショナリズムのにおいに多少の警戒心が動くものの確かにおもしろい。YouTubeで「飲み歩き世界一周」の日本編を観たのは偶然だがこれも純粋におもしろかった。主人公のジャックなる米国人男性はⅩ(旧Twitter)によれば俳優/メディア司会者らしくこの「飲み歩き世界一周(Booze Traveler)」シリーズもWikiによれば自身が司会を務めるアメリカのテレビ番組ということである。動画はディスカバリーチャンネル
煙草のにおいが好きだ。 街中で煙草のにおいがたゆたっていると私はまず〈いいにおいがする〉と感じる。同時に風景が二段も三段も引きしまり色鮮やかに見えはじめる。ああ煙草のにおいか、とはそれから遅れて気づく。煙草の在り処を探す。すぐ前を行くおっさんの歩き煙草である場合が多いが中にはスーツ等の衣類にしみこんだにおいであることもある。引きよせられるように私は歩速を速め対象に近づき胸いっぱいにそのにおいを吸いこむ。 両親ともにノンスモーカーである私はこの嗜好が何の影響によるものか知
そういえば見なくなった、とは果たしていつからの「そういえば」なのだろうと思うほどにもう長いあいだ、下手をすると一〇年以上も見ていないのは二〇〇〇年の七月一九日に発行された二千円札である。本当に見なくなった。恐らくそもそも流通していないのだろうが私が最後にレジ業務を伴うアルバイトをしていた七、八年前の時点ですでに二千円札が入るとドロワーの端によけていた記憶があるからそのころからすでに相当下火、というか少なくとも厄介者的/闖入者的/トリックスター的扱いを受けるほどには変わり種で
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北海道生まれということをはじめて意識したのは二〇代の中ごろであったかと思う。割に遅い方かと思う。それまでずっと道内で生活していたせいもあろうが、といってきっかけは当時生活していた東京での直接的な人間関係を介してではなく、大学の授業であった。 そのころ私が在籍していた教育学部の授業のひとつに〈国民化教育〉なるテーマを扱う必修科目があった。雑に言えば戦後の日本の教育、特にナショナリズム界隈のテーマを扱う授業で、私には興味の薄い分野であったが、担当の教授が非常に気さくでよい方だ
弁当屋で同姓同名の男に会った。 ネットでの注文品を受けとるため入店すると昼の混雑時でまだできておらず私は店内でしばらく待つことになった。まもなく私の名が呼ばれレジへ赴くと「お待たせしました。」と店員はしかし三つ四つと弁当の入った大きなビニール袋を二つも三つも手渡そうとしてくる。明らかな注文違いに「あ、ええと、こちらは……」と注文者名を再度確認したものの相手が手許の紙きれを見ながら口にするのはやはり間違いなく私の姓名である。 注文ミスですかね、などとやりとりをする私たちの
考えてみれば行ったことのない場所というのは結構ある。いや考えるまでもなく無数に存在するわけだが、身近で/ほぼ誰にでも赴ける/ハードルの低い場所であるにもかかわらず、と前置きすれば事情はちがってくるだろう。東京タワー/スカイツリーにのぼったことのない都民などはその好例かもしれない。 私の場合、卑近なところからはじめれば、まずは〈牛角〉。焼肉を含め肉料理全般が得意ではないとの個人的な嗜好を措いても私のようなアラフォー世代でつき合いも含め牛角に入った例(ためし)のない人間という
文明などという大仰な言葉を持ちだすまでもなく昨今の過剰なまでのサービス/商魂には辟易というより端から興味を持てずただ冷視/冷笑するほかないこの性格は、ややもすれば単に金を稼ぐ不器用さに端を発する月並みな妬み/嫉みにすぎないのかもしれないが、そうした傾向/性質を持つ人間に起こりがちな思考なのかどうか、いずれにせよセルフビルドの小屋暮らしに惹かれたことがある。何のきっかけで知ったかは失念したが高村友也氏が恐らくは日本におけるこの界隈のパイオニアで、近年ではDIYの小屋に住まう若
ガスを閉栓して一年半になる。水道料金は月額二三〇〇円の固定制で家賃と一緒に引き落とされるから、現在の単身用アパートで私が個人的に契約しているインフラは電気だけということになる。 もともと調理台にガス栓はなくコンロはビルトインの電気コンロだったので、契約する必要のあるガスの用途は端からストーブと給湯器の二つに限られていた。夏場などはいずれもほとんど使用せず、請求額がたとえば二五〇〇円などとなれば月額二〇〇〇円の基本料金が占めるその割合に赤貧の身は顫えることもしばしばで、とは
就職という選択肢を考えたことが人生において一度もない。いや、さすがに頭をよぎるくらいはあったから真剣に、と注釈をつけておくべきか。 私は大学を二度出ており初めは当時まだぎりぎり四年制だった薬学部で、八割以上が大学院への進学、残りが就職という中、私は再度の大学受験という選択肢を採った。怠惰/柔弱/甘えとの世間的な印象をそれでも構わぬと思いきって言えば「働きたくない。」いや「絶対に何が何でも働きたくない。」との強い反抗心/気概が当時の私の支配的な感情で、ならばさしあたり大学院
先日ホームセンターからの帰り際に何か雰囲気が違ったなと違和感があったのだが、探ってみれば恐らくは社名が〈DCM〉に統一されたせいである。〈ホーマック〉なる文字/ロゴ/看板が撤去されていたそのせいである。 昔実家の近所にあった〈石黒ホーマ〉が〈ホーマック〉に改名されたのはWikiによれば一九九五年、これが二〇二二年についに〈DCM〉と改まったわけだが、容易に人名と想像される当初の社名から音感的にまだ辛うじてホームセンターの名残を残すカタカナ文字を経、味もそっけもないどころか