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#013 竹と瓦屋根

 北海道生まれということをはじめて意識したのは二〇代の中ごろであったかと思う。割に遅い方かと思う。それまでずっと道内で生活していたせいもあろうが、といってきっかけは当時生活していた東京での直接的な人間関係を介してではなく、大学の授業であった。
 そのころ私が在籍していた教育学部の授業のひとつに〈国民化教育〉なるテーマを扱う必修科目があった。雑に言えば戦後の日本の教育、特にナショナリズム界隈のテーマを扱う授業で、私には興味の薄い分野であったが、担当の教授が非常に気さくでよい方だったお蔭で私は徐々に興味を覚えるようになっていった。我が国のナショナリズムと言えば沖縄だが(そのため当該の授業でも沖縄には当然触れたわけだが)風土や言語や文化の異質性という視点を学ぶ過程で私は北海道にも通じるものがあると感じはじめた。
 考えてみれば子どものころから日本史は大の苦手で、その主な理由は親近感が湧かぬためであった。歴史の教科書に北海道が初めて登場するのは江戸時代であったか、苦手意識が強いせいで今もなお曖昧なのだが、ともかく〈蝦夷地〉としてちらと顔を出す程度、その後は開港のあたりで何の前触れもなく突如として函館が出現し、明治の手前で再び函館は五稜郭が登場するがしかし以降は再びだんまり、戦後になって札幌オリンピックや釧路湿原が登場した記憶もないではないが、いずれにせよ義務教育の〈歴史〉の全課程を通じておおよそこの程度しか北海道が出てこないのだから、興味が薄くなるのも当然だろうと私は今もなお己れの歴史嫌い(というか苦手意識)を正当化している。北海道関連で言えば私には日本史よりむしろ音楽の時間にアイヌの民族楽器〈ムックリ〉をつくった記憶の方がよほど濃い。理系だったため高校で日本史は一年間しか学ばず、つまり日本史/歴史を学んだ中高の全四年間より音楽のわずか数時間の方が私には強かったことになる。
 もし奈良や京都に生まれていたなら日本史はもっと身近な問題として切実にとらえられていたであろう。東京は無論のこと山口や長崎に生まれていても馴染み深い話題の続く期間は長く、たとえテーマが地元を離れたとしても地続きの物語として興味を維持し得たであろうから、やはり本州以南に生まれていれば自分のアイデンティティの延長物として日本史は私の興味を惹いたにちがいない。しかし北海道の人間にとっては前述のようにほとんどすべてがいわゆる〈内地〉の話なのであり、これは実感としては外国史に近い。後年関東で生活して実感したが本州と北海道とでは気候も文化もまるで異なる。そうなれば季節の感覚も当然異なってくるわけで、たとえば季語などはただでさえ旧暦換算で苦労するところを新暦に置きかえてなお理解に苦しむものもあるほどで、いや具体例を挙げ得ぬほど私はもうこの方面をすっかり棄権/放擲してしまっているのだが、ともかく日本の歌にせよ歴史にせよ〈日本文化〉なるものからの疎外感、および五感の感覚に抗うという無理を強いてまでこの文化に同調/同化させられるような強制力をも、幼い私は暗に感じとっていたように思う。日本史に対する苦手意識や抵抗感、他人事のような感覚は四〇近いこの齢になっても依然として残っており、日本文化は本質的には私とは不調和であるとの感覚はいまだに拭いきれていない。こうなると状況はやはり沖縄に似てくるように思う。

 それにしても本州で初めて竹と瓦屋根を目にした衝撃は今に忘れ得ない。〈青春18きっぷ〉を手に一人海を渡った青森県で鈍行列車の窓外にこれら二つの光景を続けざまに目にしたあれは確か一〇代の終わりころであった。はっきりと異文化を感じた。何かそら怖ろしいような、恐怖のような感情をさえ覚えた。
 これは自慢話ではないが、いや少しは自慢話なのだが、私はニュースの静止画でも動画でも提示された光景、街中/公園/郊外の映像からほとんど瞬時に「これは北海道である。」と言い当てることができる。十中八九、というか少なくともこれまでの五、六回はすべて当てている。それも家の形や車道の幅といった明らかな相違からではなく植物や空や道路の色といった曖昧な要素から私は判断している。だからやや余談になるが植物の種類や色が似ているせいか本州よりもむしろ同緯度のアメリカやヨーロッパの風景に私はより親近感を覚える。北海道の映像からはその場の空気やにおい、気温/湿度といった肌の感覚まで現地にいるように感じとることができ、実際には行ったことのない地域なのでどの程度妥当な感覚かは判断しかねるが、アメリカ北東部のキャンプ場やドイツの農村地帯を目にしてもほとんど反射的にこの種の〈没入体験〉は起こる。
 この感覚は基本的にはすべての人が持ちあわせている半ば本能的な直感なのではないかと思っている。たとえば東京生まれの人間が海外で何気なく地元の映像を見た場合、同種の感覚が呼びさまされるにちがいない。しかし私は同じ日本に住みながらにして国内のニュース映像にこの感覚を呼び起こされるわけである。この事実がすでに本州以南と北海道との少なくとも風土における致命的な差異を物語ってはいないだろうか。

 ただでさえ自分たちが不在である歴史を、本州とは風土も異なる北海道で学ぶのは、だから私には難しかった。

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