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#017 二千円札

 そういえば見なくなった、とは果たしていつからの「そういえば」なのだろうと思うほどにもう長いあいだ、下手をすると一〇年以上も見ていないのは二〇〇〇年の七月一九日に発行された二千円札である。本当に見なくなった。恐らくそもそも流通していないのだろうが私が最後にレジ業務を伴うアルバイトをしていた七、八年前の時点ですでに二千円札が入るとドロワーの端によけていた記憶があるからそのころからすでに相当下火、というか少なくとも厄介者的/闖入者的/トリックスター的扱いを受けるほどには変わり種であったはずである。なるほど徐々に思いだしてきたがレジ内に二千円札があると確かに何か異様な感じがしたし直接に受け取った記憶はないがしかしもし客から二千円札を差しだされたら思わず、いや絶対にどういうつもりなのだと相手をガン見したにちがいない。恐らくは客の方でもふいに財布の中に迷いこんだ二千円札を扱いかねここぞとばかりに使用したまで、別にどうというつもりもなかろうが、よりによってこの店で/この私にとは何らかの意図があるのでは、あるいはここなら/こいつなら大丈夫だろうと何が〈大丈夫〉なのかは措くにせよともかくもそんな邪推を強いる気配が二千円札には確かにあった。対面で手渡すには何か勇気が要り、といって自販機/ATM/各種自動精算機には弾かれることも多く、私の印象では二千円札というのはなるべく引き受けぬよう人々に用心/警戒/忌避されながら一種の〈ハズレくじ〉として世間を渡りあるき最終的には悄然と銀行へと撤退する運命にある(銀行券に対し無礼千万な話ではあるが)そのようなある種ババ抜きのババ的存在であった。

 あれは二〇〇三、四年であったか、友人に一万円を借り、といって単に持ちあわせがなかったために当座の立てかえのような形で借りたにすぎずほの暗い/泥臭い金銭の貸し借りの話ではないのだが、ともかくその一万円を後日私はわざわざ銀行に出向き二千円札五枚に両替して返済したことがあった。今思えばセンスのかけらもないギャグだが心やさしき友人は笑ってくれ少なくとも驚いてはくれた記憶があり、そうなればなるほど発行後まだ三、四年しか経っていなかった当時でさえすでに一般には稀少であった記憶が甦るわけだが、だとすればあのあと相手は二千円札をどのように消化したのであろうと今さらながら疑問に、そして申し訳なくも思う。まさか意を決して財布の中に忍ばせ、〈大丈夫かどうか〉コンビニ店員を品定めして回ったわけでもあるまい。

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