否定と批判と認知症

否定や批判をする、ということは時と場合によっては必要ではある。

しかし、それは客観的に見て、世の中や属しているコミュニティに本当に必要とされているときのみである。否定や批判を否定しているわけでもない。批判的なものの見方は非常に大切である。それをどう伝えるか、が大切だ。

なので、否定や批判をするときは「私はそう思う」などIメッセージで伝えるのがよいと思う。

世界中どこもそうだろうが、とくに日本では立場が下の(あくまでも立場)当たりやすい人を批判して、自分よりも立場が上の人には必要なときであっても何も言えない風潮がある。それは間違いなく保身である。とはいえ、保身も時と場合によっては大切なときがあるし、農耕民族で自然災害の多い日本ではいたしかたない部分もあるのだろう。

しかし、長期的視点で見れば、このままでいいのだろうか?と個人的にはしょっちゅう思っている。なぜなら、私たちや私たちの次の世代が生き生きと生きていけるようにするためには、今よりは物事を言いやすい世の中にしておく必要がある、ともずっと思っている。

それに批判や否定を続けていると認知症になりやすい、という傾向もある。
人間の脳は主語を認知しない。否定や批判をすることが多いイコール自分を傷つけていることになる。

否定や批判が必然なときは、本質を捉えた否定や批判をする前に熟考し、ものの言い方には気をつける必要があると私は思う。

それが自分の体と心を守ることにもなる。





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