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『スノーデン 日本への警告』

スノーデン関連本で3冊目にご紹介するのは、日本で2016年にスノーデンが基調講演を行ったシンポジウムをもとにできた『スノーデン 日本への警告』です。日本における監視社会の実態を垣間見ることができたことが大きな収穫となりました。

日本における民族差別的監視の現実

  日本における監視社会の現実という点で、この本を読むまで知らなかったこととして挙げたいのが、在日イスラム教徒が、その民族性と宗教を理由に追跡調査されていたということです。何の犯罪の兆候がなくても、尾行されて細かな行動履歴をとられていて、そんなことが全国的に行われていたようです。アメリカで始まったテロ対策の余波が、日本にも波及していたのですね。
 それに似たような事例として最近知ったのが、日本の警察による「レイシャル・プロファイリング」という、人種や肌の色を理由に捜査対象を選別する行為で、3人の在日外国人が、民族差別による頻繁な職務質問に対する愁訴をもとに、1月末、東京地方裁判所に愛知県を相手どって訴訟を起こしたというものです。
 このニュースをきっかけに遠い記憶がよみがえりました。数十年前に英語を習っていたとき、在日外国人が頻繁に警察の職務質問を受けると英語の先生が批判していたもので、そのときはただそんなことがあるんだと聞いていただけでした。そのあと、私自身が海外のいろいろな国を訪問して一人で行動していたことも結構あったなかで、警察に呼び止められるという経験は一度もなかったことを振り返って考えても、日本の警察の対応の異様さを感じました。日本は差別をしない国だという人もいますが、実際のところ、警察などの一部機関はそういった区別をしていて、そんなところから罪を犯していない人が犯人にされてしまう可能性もあるわけです。
 日本におけるレイシャル・プロファイリングについては、訴訟を起こした3人が外国特派員協会で会見を行ったこともあって、海外では結構報道されているそうです。そんななか組まれたデモクラシータイムス、2月18日公開のマイノリティ・レポートの特集では、レイシャル・プロファイリングを通して摘発件数をあげることが警官の昇進の路として制度化されていることを指摘していました。
 そういったことを含め、警察などのディープな活動実態を知らせてくれるような新聞、テレビあるいはフリージャーナリストの活動というのは、皆無に近いという報告が本書ではされていました。そして、メディアがその本来の役割を果たせないなか、警察捜査機関の監視活動を監査する機関として設置されたのが個人情報保護委員会ですが、少なくともこの委員会ができた直後のこのシンポジウムの時点では、十分な活動ができるような組織になっていないと指摘されており、この辺、その後の状況などはこれからの読書で埋めていきたいと思います。

報道の自由の大切さ

 民主主義社会における難問として、国家安全保障といった理由のために、政府が情報を開示しないことにはそれなりの正当性があるとしても、他方で政府が何をしているかについて市民が知らなければ、正しい判断はできないというものがあります。その難問の唯一の有用な解決策は、独立したメディアの存在だと、シンポジウムのパネラーは次のように指摘します。

自由な社会であれ権威主義的な社会であれ、政府は自らに都合の悪い情報を隠蔽する傾向があります。情報を公開すると困ったことになったり、説明責任を問われたりするので、情報を隠す傾向にあるのです。これは官僚が悪者だからというわけではありません。それが人間の性(さが)です。ここにこそメディアの役割があります。政府による情報の管理に対抗し、適切な形で情報を市民に伝えるという役割です。

『スノーデン 日本への警告』

 民主主義社会における報道の自由の大切さは前回のブログでも書かせていただきましたが、スノーデンはこの講演においても安全のためといった理由で制限されてしまう報道の自由の大切さについ次のように語っています。

自由で公平な社会を維持するためには、安全であるということだけでは足りません。権限を有する人たちが説明責任を果たさなければなりません。さもなければ社会の構造が二層化してしまいます。私のような一般人たちは法律を破れば厳正に処罰される一方、権力をもった官僚は同じように法を逸脱しても、国家安全保障のためであるなどと言い逃れができてしまいます。拷問をしても、国家安全保障のためとして免責されてしまいます。日本でも、たとえば犯罪と無関係にムスリム・コミュニティや神道関係のグループを監視しても、「監視する必要があった」という言葉のみで、結果について責任を問われなくなってしまいます。こういう傾向が続けば、すなわち、法律に反しても政府の関係者であれば免責されるということになれば、自由社会にとって回復できない打撃になるでしょう。

『スノーデン 日本への警告』

自由な報道というものは政府の言いなりになって書くのではないこと、開かれた社会における報道の自由の目的は政府による情報の独占に対抗することにあることを訴え続ける必要があります。

『スノーデン 日本への警告』

報道の自由を体現したタッカー・カールソン

 そんなことを読んでいたときに、まさにそのお手本をとなるような報道をしてくれたのが、タッカー・カールソンです。プーチン大統領へのインタビューを行って、いままで西側メディアでは知らされてこなかった、隠されていた情報などを私たちに提供し、プーチンという人物についても感じる機会を与えてくれたのではないかと思います。
 もっとも私はプーチンやウクライナ戦争について、オリバー・ストーン監督の映画などによってすでに西側メディアの見方は脱していたので、今回の話で新たに知ったこともありますが、多くの話はすでに知っていたいことを再確認するものではありました。さらに言えば、プーチンの話には、ロシア側のプロパガンダが含まれていると考えた方がよいこともあるでしょう。でもそこは、他の情報源にもあたって、彼の言っていることの真偽をそれぞれが確かめていく必要があるという別次元の問題です。まずはプーチンの言い分を聞き、それを鵜呑みにすることなく、真実の探求を進めていくという姿勢が各人に求められているのだと思います。
 そういったプーチンの主張であり、一面の真実を伝えることがジャーナリストの使命と、インタビュー動画を公開する前に発言し、投獄の危険をおかしてでもこれを行ったタッカーの勇気にとても感銘を受けました。そんなタッカーがワールドガバメントサミットでプーチンに今なぜインタビューをしたのかと尋ねられたときの発言で、スノーデンの暴露後にアメリカのNSA(国家安全保障局)などが批判にさらされて、一般市民への監視をやめたのかなど、あまり見えてこなかった実態を垣間見た思いがしたので、その部分を次に取り上げます。タッカーは次のように答えました。

アメリカの政府が、私のe-mailをスパイして、それをニューヨークタイムズ紙にリークし、このインタビューを阻止しようとしました。その結果、ロシア政府がこのインタビューをキャンセルしました。このインタビューを3年にわたってやろうと試みてきたのですが、国の情報機関が違法に介入して阻止したのです。そのことに怒りを覚えました。なぜなら、私は米国民で54歳、納税者で、法律を守っているのに、私が育った米国では、政府や諜報機関のNSAやCIAが外国に注意を向けているはずなのに、まさか米国民を敵にするとは思ってもいませんでした。それにショックを受け、憤りを感じています。それが発覚し、事実を確認し、彼らが容疑を認めたので、その後このインタビューをすると決めて取り組みました。それは、プーチンの人物像や世界をリセットし、わが国の経済に深刻な打撃を与えている戦争について彼がどう考えているのかを知りたかっただけではありません。国が不当なやり方で介入し、一方的にだめだと言ったからです。しかもその正当な理由もない。それは受け入れがたいことです。私は自由な国に生まれたのだから、自由な国の住人でありたい。この自由社会を維持するためなら、どんな小さなことでもするつもりです。

(Heavenese Style Episode 202、1時間33分から)

 タッカーの動機ともなった政府による罪を犯していない市民に対する監視について、スノーデンはアメリカにおける権利概念に反することを次のように語っています。

アメリカでは、憲法修正第四条により、私人間の通信や、家宅捜索、物品の捜索・差押は、裁判所が発行した個別の令状がない限り許されないとされています。(中略)犯罪にかかわったという疑いのない人や一切の悪事に関与していない人に関しては、推定無罪の原則が適用されます。つまり、誰の権利も侵害しておらず、誰にも危害を与えていない市民は、国に詮索されない権利を有するということです。

『スノーデン 日本への警告』

 タッカーはスノーデンのこと、NSAが一般市民を監視していたこと、その後の展開を熟知とは言わないまでも、それなりに知っていたでしょう。その彼が、自分がNSAやCIAによるスパイ活動によって実害を受けるまで、そのことに関心を払ってこなかったわけですよね。だから、ショックを受けて、それが彼の決心を固めさせた。そういう意味で、それ以前の彼は、自分が監視されていることにある意味無頓着だったということです。そこがこの監視社会の難しさだと感じました。
 スノーデンによると、ジャーナリストはテロリストほどではないけれども、ハッカーより危険な存在としてマークされているとのことです。ですから、そういうことに敏感なジャーナリストのなかには、気をつけている人もいるでしょう。でも、タッカーほどの人でも、自分の身に実害が及ぶまで、スパイされるままになっているわけです。
 そういう意味で、私もスノーデンの本を読んで、監視されている可能性を感じるようになって、現状においてそれで大きな被害がでているということはなくても、何かしなければいけないと考えています。
 国の政策を変えるといった力は今の私にはないけれども、政府による情報収集に協力するようなグーグルの検索エンジンは極力使わないようにするとか、パスワードを複雑にするとかもありますが、クラウドを極力使用しないようにするとか、スノーデンが薦めているようにパソコンを暗号化するといったことも学んで、実践に移していかなければならないと感じています。そんな自分としての取り組みを、このブログでもおいおい発信していきます。
 そうやって一人一人が気を付けていかなければならない社会に私たちは生きているわけで、便利さの背後にある危険性に気づいて、そこに対処しながら生きていかなければならないのですね。
 そういった私たち一人一人の姿勢が、政治にも反映されていくようになっていかなければならないと思っています。最後に本書のなかで印象に残った言葉で終わります。

民主主義というのは答えがどこかにあるものではありません。戦い続けなければならない闘争です。

『スノーデン 日本への警告』

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