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新たな道のり

陸上競技人生も幕を閉じ、大学で競技する事をあきらめ
私は5人家族で、父、母は共働き姉、6歳離れた弟がいる
私が小さい頃は弟を保育園に迎えに行ってご飯をつくって食べさせていたこともあり
料理をつくるが日常だったきがする
そんなこともあり私が選んだ道は

調理師学校だった
スポーツしかした事なかった私
まさか、受験勉強をするなんて、、思ってもいない
筆記テストなんてしたことも無い
もちろん勉強なんてすることもなく受験を受けた
結果は……。点数的には不合格。専門学校を不合格……。
別室に呼ばれ、従姉妹のこねを使って裏口入学。
合格には変わりない。
そんな感じで調理師学校スタート
私はその頃
スキンヘッドで金のネックレス、金の指輪を指10本にしていたみたいな、アホ
ビーボーイ、ギャングが流行った時代だった
まー、毎日、怒られますよ 
ちゃんとしてこいと先生に

ちゃんと?ってなんだみたいに先生に楯突いてたな
毎日、飲み会。毎日女性と遊び。毎日二日酔い。まー、ひどい私生活
夏は学校抜け出して海で遊んで学校には帰らず
お昼休みの時間は学校の隣がパチンコ屋さんだから、そのままサボるのが当たり前
最低な生徒だ。
ここだけは言わせてほしい
かつらむきのてすと、大根を薄く剥くみたいなやつ
クラス1位。
技術のテストはオールクリア
負けるのは嫌いだからね
技術練習は隠れて家でやってた
俺頑張って練習してまーす、みたいのはダサいっておもってた人間
そんなある日、調理師学校の授業で料亭に会食に行ったんだ
とてつもない、広さ…庭に滝があり鯉が泳いでいる
座敷には生花飾ってあって、写真の中の雰囲気。
料理は今までカツ丼しか食べたことないような私が
細かな作業をされた野菜、魚、食材たち
もー、訳のわからない世界

きーめた、ここに就職しよっとみたいな感じで
だって新潟の和食で1番なんでしょ?
じゃー若いうちに苦労しよって
だって、歳とってから登るのって辛いじゃん
1番上から降るだったらいいんじゃねって浅はかな気持ちで

先生、ここに就職します

ダメ……。ここのお店は料理屋の後継や学校の推薦が無いと無理…。と、言われた
それでもなんとか就職したいですと言い
和食の先生に呼ばれ

勝山、厳しいぞ、殴られても諦めないか?
休みなんてないぞ、給料なんてないぞ
住み込みだぞ。

まー、私も就職したいって言ったのも自らだし
言葉を引くこともできず
就職させてくださいとお願いした
晴れて就職決定!
自ら厳しい世界に……。

調理師学校も卒業し

晴れて日本料亭に

まさか、こんな日々が毎日続くとは
まだ、わかっていない

見習い1年目

次回、地獄、極楽?

お楽しみに


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