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【ショートストーリー】天邪鬼

助手席の窓から見える空は泣きそうだけど泣けない、私の心そっくりだった。別に我慢しなくてもいいのに。私は八つ当たりするように空を見つめていた。
自分から別れを告げた元カレとの偶然の再会。全く予期していなかった。別れてからすぐに物理的な距離ができ、会えない時間が増えた。会わなければ忘れられる、そう思っていた。実際、仕事に紛れてあいつの事をほとんど思い出さず今日まできた。だけど…。以前と同じように話しかけてくるあいつを見ているうちに気付いてしまった。まだ忘れられていなかった。思い出さないように目を逸らしていただけ。前に進んだつもりでいたけど、別れた時と同じ場所に立ち止まったままだった。その事実に気付いて呆然としてしまった。
あいつは自分の事を話し続けている。だけど一つも頭に入ってこない。どうしよう。このまま話続けていたら取り乱してしまいそうだ。そう思い始めた時だった。
「時間ですよ。そろそろ戻らないと。」
一緒に仕事で回っていた彼が話に割って入ってきた。仕事をしていて気が合い、仲が良くなった彼とはかなりプライベートな話もする。そういえばこの前、「付き合っていた彼氏に好きな人ができたので別れた」とだけ話した。傍で見ていて元カレだと気付いたのかもしれない。
「あ、そうね。じゃあ行くから。」
「じゃあ、またね。」
私は彼に引っ張られるようにその場を離れた。「じゃあ、またね」か。あいつらしい。あの子とうまくいっているんだね。だから何の気負いもなく「またね」と言えるのだろう。私は置き去りにされたような気がした。
車に乗ってしばらくは、あいつとのやり取りを何度も何度も反芻していた。なんで、どうして、そればかり考えていると車にブレーキがかかった。その瞬間我に返り、私は運転席の彼にお礼を言っていないことにようやく気付いた。
「ありがとう。」
絞り出すような声。やっとの思いでお礼を言った。彼のお陰であいつと笑顔のまま別れることができた。彼が私をあの場から引き離してくれたことで私は私を保つことができた。そのお礼だった。
「大丈夫ですか?」
次の赤信号で車を止めた時、彼が言った。
「無理しなくてもいいですよ。」
彼の気遣いが嬉しかった。労わるような言葉が心から嬉しかった。なのに素直になれない私は思わずこんな事を口走っていた。
「生意気言って。」
「これでも心配してるんですよ。」
口をとがらせて拗ねたように言う彼を見て、私は少し笑った。あんな事があったのに私は笑えた。彼のお陰だ。
「わかったわかった。ありがとう。」
君のお陰だよ…。続きの言葉は言わなかった。私はどうしても素直になれない。私より年下の彼に慰められたせいか。気恥ずかしさの裏返しなのか。
「私の心配より、自分の事心配しなよ。」
こんなことを言ってしまう自分が情けなかった。
ふと彼の想い人の事を思い出した。一度だけ街中で見かけたことがある。儚げな美人、という印象だった。彼女ならもっと彼の言葉に素直になるのかな。でもそんな彼女は彼の手を取らない。ある一定の距離以上彼を近づけない。彼もその事を理解している。苦しみながら。
「恋ってもっと簡単なものだと思っていました。」
彼が彼女の事を話してくれた後、ポツンと言った。
そうだね。本当にそうだ…。あいつの事なんか簡単に忘れられると思っていたのに。今でもあいつを引きずっている自分に無性に腹が立った。
気を逸らそうと窓の外を見た。空はこらえきれなくなったらしく雨が降ってきて、雨脚も少し強くなってきていた。まるで泣かない私の代わりに空が泣き出したようだ。どうせなら思い切り泣いてくれ。私の代わりに思い切り泣いてくれ。空に向かってそんなことを思っていた。
願いを聞き入れてくれたらしく、会社に着くころには車から出られないほどの雨が降ってきた。どうやら空は私よりずっとずっと素直らしい。私は苦笑いしながら雨を見つめていた。


こちらのストーリーの彼女サイドの話です。

ちなみに彼女は↓のストーリーにも出ています。

まだまだこのストーリーは広がりそうです。よろしかったら読んでみてください。


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