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自分の苦しみをつくった原因のひとつが親にあるかのような気持ちになる。【前編】


皆さんの家庭では、家庭内暴力と呼ぶ
夫・妻・子ども・祖父・祖母などの家族間で
暴言や暴力、時には破壊や破損を伴うような
状況になったことはありますか?

親が子どもに対して、虐待を行っていると
児童相談所が介入しますし、
夫婦間ですと、DVとなり、警察が介入します。

どちらもお互いの人生に深い傷を負わせることになり
ますし、人格形成や社会生活にも影響が出てきます。

そんな「家庭内暴力」のなかでも
子どもの家庭内暴力について書かれた
しつけの関係性という新井邦二郎さんのコラムに
今日のピックアップフレーズがあります。
こちら
* * * * *
自分の苦しみの原因のひとつが親にあるかの
ような気持ちになる。
そこで「加害者としての親」を攻撃してもよい
と考える。

#児童心理  2010年7月 NO.916 より
* * * * *

今でも思い出せば苦しいエピソードです。
我が家の経験を少しアレンジしたものですが、
良ければお付き合いください。

息子が小学4年生の時に、
「お母さん、子どものうちは頑張りたいんだ。
 でも、大人になってどうしようもなくなったら、  
 自殺してもいい?」

学校に登校する道すがら質問されて、
私はすぐに答えられなかったことがあります。
抱きしめてあげる事もできませんでした。
この時には既に、
障がいによる生きづらさと向き合っていたんでしょう。

そして息子が5年生になり、
集中時に口元を閉じて置けず、緩んでおり
先生だけでなくクラス中から嫌われ、担任の先生から
複数回に渡り罵られ暴言を言われ、成績表もなかった一年がありました。

6年生では、
今では当たり前になったタブレットによる学習を
取り入れてもらえることになり、
通級クラスに友達もでき、このお友達たちと一緒に過ごしたいと地元の中学に進学。

ところが、中学に上がり、
この子には暴力で発散してあげなくてはと判断し、
器物破損や友達同士のケンカ、先生の指導に対しての反発なども必要悪と許しており
支援クラスでは、毎日のようにトラブルが起き、
先生も怪我をされたりし、お手上げ状態。
ある日、大型の掲示物を息子が壊し、私が呼び出され、全てを知りました。
これらの張本人が息子でした。

暴力をチラ見せし、
わがままが効く場所の居心地に甘んじている
息子は、
まるで小学校入学以前のような幼稚なふるまい姿。
ものすごく腹が立ちました。
自律力の弱さに。
暴力がルールなく許可された空間が存在していることに。
担任の先生の独断的方針の間違いから、
小学校6年間の積み重ねが
こんなにも簡単に倒壊するのか?という恐怖と理解し切れずフリーズしました。

校長先生から担任の先生へ、暴力は絶対に許してはいけませんと、保護者の前だとと言うのに強く指導していたのが印象的でした。

暴れる息子を引きずって学校から出て車に乗り
帰宅して、そこからは二人きり。
息子の靴は片方しかありませんでした。

この日から学校へ行く事もできず、
発達障がいを持つ息子と私の新たなステージが
幕開けしました。

ふと中学生の時に流行ったMOONと言う曲が
私の頭をよぎりました。

新井さんのおっしゃるコラムの内容とオーバーラップするので、話は家庭内暴力へ戻ります。

子どもの家庭内暴力は、
「親に対する暴行と親への過度の支配に気づく。
子どもは親を自分の奴隷のように扱う。」

起こすきっかけとして、子ども側の挫折を
挙げることができる。
進路が難しくなったとき、
自分の苦しみをつくった原因のひとつが親にあるかのような気持ちになる。
そこで「加害者としての親」を攻撃してもよい
と考える。
そうした「地雷」状態の子どもに、文句をつけたときに、子どもは暴力を振るってしまう。

多くの場合、最初の暴力から、親は子どもを怖がり、徐々に親子の立場が逆転していく。

子どもが家庭を支配し、
親が子どもの顔色を見る生活が始まる。

いやいや、これはホラーです。
親の虐待は先に書いたように、
通報があれば
すぐに児童相談所でも、警察でも相談できます。

これが子どもから親への暴力となると、
基本は固定した相談先がなく、

危険と思われる通報には対応してくれますが、
ある程度まで状況が追い詰められてからでないと
公的機関は積極的ではありません。
手遅れ状態になります。
簡単に言うと、まだ初期の容易なうちに、
止める・防ぐ手を打つことはできない。
と言うことです。

そんな中、新井邦二郎さんは、
このような考え方の適用できない家庭内暴力
少なからず存在する事を後半で示唆します。

子どもに勉強を強いたこともなく、
子どもを叱ることが少ない家庭でも、
親を支配する家庭内暴力が起きている。
このケースの場合、
幼少期によい子だったので、
親がしつけをする必要がない。
このように親子間で「しつける-----しつけられる」
という関係性を成立させることができない結果、
後に親子関係の逆転が容易に起きてしまう。

つまり、幼少期のしつけの関係性の確立が
親子の立場の逆転を予防する。
と考えられるが、いかがであろうか?
と、問いかけます。

わかるような気がします。
ですが、いずれにせよ
親子関係の逆転が起きてからの現状は凄まじいものです。

我が家の場合、その頃の設定は、
・シングルマザー
・近くに親戚なし
・引越しして3年目
・まだ地域に馴染めてない
・息子も私も頼り先ゼロ
・逃げ道なし
・家庭内の登場人物が母と息子の2人のみ
・解決の選択種が少ない

これらの状況により、福祉サービスや公的機関の利用が一番のつながりでした。大変負荷をかけた事も本当です。

後編では、親子カプセル状態の親子関係の逆転を、
我が家の場合、どこに線引きをしたのか?を
丁寧に記しながら、続けて行きたいと思います。

長文お付き合いいただきありがとうございました。

家庭内暴力は、未来がない苦しみ、外に見えない辛さ、
生活も脅かされ、経験のある方は本当に辛いですよね。
ハリネズミに例えられますが、近づくと痛みを伴い、
でも近づかなければ支援ができないジレンマがあります。

最後まで読んでくれたあなたへ
今は辛いけど、状況は変化します。
あなたの心がラクになりますように🩵

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