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信じること

私は、信じることが出来ていなかった人生であったように思います。全てとまでは言いませんが、本質的な意味で考えたなら、おおよそ信じているというような状態で生きてはいなかったと思います。私は信じるという本質的な定義を間違っていたように思います。

信じるとは何かを肯定することと同義だと考えます。私が肯定できていたのは自分の望む状態や結果を考慮して、その可能性の高いものを肯定するような意識こそが信じる状態だと思っていました。すなわち裏を返せば、自分の望む状況や結果に対して確信のないものは信じることをしなかったのです。

しかしながら、本当の信じることとは、その逆のものであると思うのです。結果が得られるかどうかの可能性で信じられるかどうかを判断するものではなく、逆に可能性や確信がないからこそ信じるものだと思うのです。根拠もなく、確信もないから信じるのです。

根拠や確信がないものを信じることが出来なければ未来など開けないと思いませんか。根拠や確信のある事象だけを信じるということは、そういう人生だけを選択するということです。それは規定や既存路線を踏襲するだけの人生と言うことになります。そこには自分らしさがありません。

自分らしさや自分らしい人生とは既定でも既存でもない領域です。すなわち前例のないことですから根拠も確信もないのです。根拠や確信を自分の信じることが出来る基準に置いていたら、自分の自分らしい人生ではなくなります。自分の自分らしい人生を送りたかったら、根拠や確信を重要視しては前に進めなくなるのです。どうなるか分からない状況に自分の身を置くからこそ自分の未来は開けるのだと思います。

確信や根拠のないものを肯定して生きて行くことは常に不安につきまとわれます。だからこそ信じることも出来なくなるし、根拠や確信を求めたくなる気持ちは分かります。しかし自分らしく生きていくことや自分らしい人生に意識を置くならば、根拠も確信もなく不安も当たり前のように付きまといます。だから信じるのです。それが信じることの本質なのだと思います。 

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