見出し画像

死ぬ気になれば

「死」という言葉は、口にしたくないですし、NGワードだったりしますから、あまり使いたくはありませんが、少しだけ話題にさせてください。

世の中で絶望を感じている人は少なからず居ると思います。人生の絶望感はどこから来るかと言えば、その多くは運命的な因果応報から来るものだと私は思っています。親の因果、家系の因果、先人たちの因果などが、現世を生きる自分を苦しめます。いわゆるカルマが原因だと思っています。残念ながらこればかりは、不条理であっても逃れようがありません。だから絶望感を抱くのです。

カルマは人それぞれ個人差や大小があると思いますが、それ以上にカルマそのものに気がつくかどうかも要因としては大きいと思います。すなわち絶望は、それだけ自分がカルマに気がついて、そのカルマを解消しなければいけないと思えるだけのセンスや器量があるからこそ感じるものだと思うのです。分かりやすく言えば、絶望を感じる人ほど、自分が請け負うべき運命や役割をしっかりと認識しているのです。

絶望は自分の人生が駄目だから感じるものではなく、自分の人生における課題や役割を認識しているからこそ感じる意識だと思います。さまざまなカルマに気がついて何とかしようと自分が思ってしまう自分の意識やセンスや能力にもっとフォーカスしてみてください。大変ですけど特殊な能力を持ち、それを引き受けたのです。とても素晴らしいことなのです。

とは言え、絶望感を抱けば、辛く苦しく生きた心地はしないでしょう。本当に生きているのが嫌になります。現代ではそんな時に生きることを放棄してしまう人は少なくありません。

私は死を選択するよりも、死んだ気になる方が選択としては楽で簡単であるように思うのです。死ぬことを選ぶくらいなら死んだ気になって行動することも出来るのではないかと思うのです。自分の今の立場や価値観やプライドがあるから絶望するのです。死ねば自分の絶望感は消滅します。立場も価値観もプライドも消滅しますから楽にはなるでしょう。しかし人生そのものも消滅してしまいます。それが良い選択だと思いますか。

楽になりたいだけなら、立場や価値観やプライドだけを消滅させれば良いと思いませんか。それこそが死ぬ気になる本質だと思いませんか。死を選択するくらいの意識で生きれば良いんです。そうすれば絶望感など存在しません。変なプライドを捨ててただ行動に移せば良いのです。恥ずかしいだとか損得だとか効果などを考えているから行動が出来なくなるのです。そして世の中や他人と自分を比較して絶望するのです。

広く世界を見渡せば、世界中には命を賭けて生きている人々がたくさんいます。我が国のようにプライドや価値観を固持して涼しい顔をして人生を送っている人々など極めて希だと思っています。世界中の多くの人々が死ぬ気になって生きているのです。野生の動物たちなどは毎日が死ぬ気で生きています。なのに死ぬ気にもなっていないのに死を選択するのは変だと思いませんか。

いきなり死ぬ気になるのも大袈裟だと思いますから、すこしその辺のブロックをはずして、大胆とか無謀とかと自分が思える行動を少しやってみると良いと思うのです。絶望という特殊能力を持っている優れた人だからこそ、死ぬ気で行う行動も成功するはずです。

この記事が参加している募集

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?