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歯車

  昔からカラスのような習性で、光るものを見ると拾わずにはいられない俺が、大学からの帰りの道の端にきらりと光るものを見つけたならば拾わずにはいられない。

 それは丸くて輪郭にぎざぎさのついた、十円玉くらいの大きさの金属だったが、俺は教科書でしか十円玉なんか見たことがなくて、かつてはあれで商品を購入していたなんて信じられないと人はよく言うが、俺はあれにも憧れがあって、いつか古物商とかいうところに行き、購入したいと思っていたから余計に道の端に光るものを見つけたことが嬉しい。

 俺はそれを、ジーンズのポケットにねじ込んで家に帰った。
「たかしー、おかえりー」
 キッチンから間延びしたおふくろの甲高い声がした。
「語尾伸ばしやめろよな、気色悪い」
「あらもー、きっついわねー。今日の夕食はポトフよ」 
  ポトフにはやたらと具材が入っていて、スプーンでにんじんのカタマリをすくって口に放り込もうとしたそのとき、スープ皿のなかにきらりと光るものが。
「このポトフ、なんか混入してるけど」
「そりゃあ、入ってるわよーポトフだもの」
 いや、そういう意味じゃない。
「今日のご飯は炊き込みご飯よー」
「ポトフに炊き込みごはんはあわないだろ?」
「だって、たかし好きでしょー」
  母親が炊飯器をぱかりと開けると、眩しい光がさしこんで、あのきらきらするものがぎっしりつまった炊き込みご飯が見えた。
「何だよ光る炊き込みご飯って。普通は、栗ご飯か豆だろ、あとは…」
  そのとき部屋のドアが勢いよく開いて、父親がずかずかと入ってきた。
「松茸だ。松茸ご飯を忘れているぞ、たかし。と言っても、うちじゃあそんなもの食べたことないが」
「帰ってたの、親父」
「今日は炊き込みご飯だとメールがきたからな」
「きらきら光る炊き込みご飯だけどな」
「何言ってんのたかしー、これ、ぜんまいご飯よ」
  どんぶりが俺の前に突き出された。たしかにそれはぜんまいだった。じゃあさっき俺は何を見たんだ。
「摘んできたのよ、川べりで。あそこにはぜんまい摘みのスペシャリストがいるのよ」
「スペシャリストがいたのなら、全部採り尽くされたんじゃないのか」
 親父がさも可笑しそうに笑う。
「ばかねえ、スペシャリストっていったら私のことじゃないのー」
  母親と父親がうねうねしている間に俺はぜんまい飯とスープを食い終わり、ポケットからきらきら光るものを取り出してじっくりと眺めていると、親父が「何をしてるんだ、たかし」と聞いた。
「これ今日、拾ったんだけど」
  親父は俺が掌にのせてやったものを、老眼鏡をかけてじっと見た。
「丸くて光ってて、まわりがぎざぎざしてるんだ。なんかの部品かな」
「は」と親父は言った。
 は?とは?
「はぐるま」
「はぐるま?」
「歯車というものだ。父さんも実物を見るのは初めてだが。人が機械と触れあうことはなくなって久しいからな。ぎざぎざした部分が別の歯車のぎざぎさとかみ合って動き出すことで、巨大な機械を動かすらしい」
「いまいち意味がわかんないんだけど」
「父さんもお前と同じ文系だからな。歯車には字義通りの意味と、もう一つの意味がある。それはあまり気持のいいものじゃない。組織のはぐる…。いや、これ以上は暗い気持ちになるからやめておこう」
 親父は口のなかで何かごにょごにょ言いつつ、話を促して欲しそうにしていたが、俺は放っておいた。なんでもかんでも言葉にすればいいってものではない、とくに親父の場合は。

 それにしても、こんなもんで機械が動いていた時代があったとはね。円滑に動かすって、じゃあ一つでも欠けたらまずいってことじゃないか。その機械はどうなったんだ。ぶっ壊れたのか。
 俺は古い機械を展示している博物館を訪ねることにした。そこにいたガイドをつかまえて、歯車を見せてみた。
「これですか?」
 ガイドは、俺の手を覗きこんでから俺を見た。その目に憐れみのようなものが浮かび上がった。
「それ、歯車らしいんですけど」
「歯車とは、かなり古いですね」
「じゃあこれは、大昔の機械の一部なんですか」
「いや、それはどうかな」
「どういうことですか」
「それはたぶん、君の幻覚だと思うよ」
「何言ってるんですか?あなたも今見てたでしょう」
「見ましたよ。と言っても、君みたいには見えていない。君が歯車と言ったから歯車を思い浮かべたのです。でも、その幻覚が歯車だとわからずに見ていた君に、それは歯車の形に見えた。歯車を知らないのに。つまり幻覚がファクトを裏打ちしたわけさ」
 何を言っているのかまったくわからない。それども俺はガイドにちゃんと礼を言って、博物館を出た。ポケットに手を入れて、歯車の感触を確かめたがそれだって幻覚なのかもしれない。親父は俺に気づかってふりをしたのか。それとも親子だから同じ幻覚が見えたのか。それも気色悪いけど。

 俺はネットで歯車を調べようとしたのだが、文系に機械の話は難しい。歯車というタイトルの物語を見つけたのでそっちから先に行く。

『昔、奇妙なものを食べる癖のある男がいた。歯車を食べていたのだ。男は勤め先の工場から歯車をひとつずつ盗んでは、飲みこんでいた。もちろん消化はできない。行き場をなくした歯車は、男の意識下に潜り込む。歯車が脳に入った男は、毎日歯車の幻覚を見た。食べるほど好きな歯車が見えて男は大喜びだったが、盗みに気がついた社長が、そんなに好きならこれを食えと、工場で最も巨大な歯車を無理やり男の身体にねじ込んだ。すると、今まで食べた歯車と巨大な歯車とが合致して、男は一体の機械になった。これが人類最後の機械である』
 
 おいほんとかよ、と思ったらそれは素人の創作だった。俺はやる気をなくして、ネットを閉じた。あーとあくびしながら、ポケットに手を突っ込む。しばらくは気づかなかった。ポケットの異変に。いつも俺の手をちくちくさしていた歯車がなくなっていたことに。あわてて反対のポケットも探したけど、ない。もう一度もう片方も探したけどない。落としたのか?簡単に落ちるようなものじゃないはず。
 そのとき、携帯が光った。母親からの着信だ。
「たかしー、お父さんが」
「親父がどうした」
「倒れたのよー」
「え」
「といっても、風邪よ。でもたかしに会いたがって。お父さんったらすっかり弱気になっちゃってね。俺は組織のは…ってそればっかり言うの」
「は?」
「は、の後は言わないからわかんないのよ」
「いや、そうじゃなくて疑問のは?だよ。馬鹿かよ、親父は」
「あんた、なんて冷たいこと言うのよ」
「わかったよ、ともかく帰るよ」
 帰ってみると親父の熱は下がっていたが、遠くに住んでいる親戚が亡くなったとかで、名代で母親が通夜に行く。俺は親父に水分をとらせたり、パジャマを着替えさせたりしてやった。
「熱も下がったな」
「すまんな。この前お前から歯車を見せられてからというもの、幻覚続きでなあ。あっちゃっこっちゃで幻覚を見るものだから、熱が37度出ただけでもうろたえてしまう。まあわしも、そう長くはないだろうと言っても、あと15年はいけるだろうがな。あと何年になったら辛くなるのかなあ」
「長生きとかどうでもいいから、毎日楽しく生きろよ親父。ところで、どんな幻覚を見たわけ?」
「さっきの親戚のことだ。予兆というのを感じたのだよ。といっても、あの人はかなりの年だからそれもありなのだが、やはり怖かった」
「確かにそれは怖いよな」
 俺はさからわなかった。さからうと、かえって親父は落ち込んでしまうのだ。昔からそういうタイプで弱気だった。
「ところで歯車がなくなった」
「おまえ食ったのか」
「あんなもん食う訳ないじゃん。捨てた」
「なくなったと言ったじゃないか」
「ともかくないんだ、そもそも幻覚なのかもしれない。親父もそう見えたのか、それとも…」
「歯車はそもそも偏頭痛の象徴なのよ」急に親父が女みたいな声を出した。
「は、いま母親の口まねした?似てなかったけど」
「何言ってるんだ。俺の熱がうつったか」
  親父こそ聞こえなかったのかよ。早く寝ろ。

  紛失した歯車の身代わりか、歯車男の声が聞こえるようになってしまった。そいつは歯車が大好き野郎で歯車を奪われたと信じている。いつもいきりたって、叫びまくっている。耳をふさいでも脳に入り込んでくる。

 ウアーッ!!俺は歯車の男だ!どうしてそれがいけないんだ。俺をぐるぐる回してくれればいいのだ。噛みあって回って、もっとでかくなりたいのだ、その姿を想像するのがたまらなく俺には快感なのだ!俺をそっとしておいてくれ!

 俺は歯車男を落着かせようと、ゆっくりと語りかける。声は出さず、目を閉じて頭の中に。
 そうですよね、僕もそう思います。僕は今工場でアルバイトをしていて、その工場は機械を導入するまでもない仕事を回されているのですが、僕はこれが好きなのです。たとえば規格外のじゃがいもをきれいに剥くとか、規格外のボタンを丁寧に縫いつけるとか、かたい雑巾が好きな人のために強靭な布と糸で雑巾を縫うとか。一つ目は大変ですが、一度クリアすれば後は繰返しです。しかし、これを少しでも早く、楽に、丁寧にするにはどうすればいいのか俺はずっと考えています。そのことがたまらなく楽しい。積み上がっていく、じゃがいも、ボタン、雑巾。目に見える仕事、快感です。企画?そんなもの目に見えない。営業も。ましてや物語とかクリエイティブとか、馬鹿ですか。俺の横にはえんえんと積み上がっていく成果があるんだよ。しかもそれは丁寧で早いし、手抜きをする方法まで知っている、単純作業は成果と成長が永遠に見え続けるからすばらしいんだ。なんで人間はこれを否定するのか、俺にはわからねえ。ねえあなた、俺は逃げているのでしょうか?

  途中から、俺の言ったことじゃなくなっている。俺はそうですねとかしか言ってない。口がかくかく開いて、そっから歯車が流れ出す。俺も歯車を食っていたのか、それとも幻覚なのか。

 規格外の海老をいじくっているとき、バイト先の上司に呼ばれる。
「君、家から電話だ。お父さんが倒れたそうだよ」
  まーた嘘だと思ったが、今日は俺も調子が出ないので帰ることにした。俺のそばには一匹の海老も積み上がっていない。
 家に帰ると親父は寝ていなかった。
「親父、熱は何度だよ」
「六度五分だよ、たかし」
「超平熱じゃんか」
「嘘をついて悪かった、怖ろしい予感がしたのだよ。お前に何かが起きているような気がして」
「怖いこと言うなよ」
「何言ってるのよ、ただの偏頭痛よ」妹の声がした。
「おまえいつ帰ったの」
「お父さんから私も呼び出されたの。お兄ちゃんが変なもの見せたとかいうし」
「それ、偏頭痛だから。お父さんも、組織の歯車とか鬱ってる場合じゃないから。いちいち言葉に騙されたら駄目だから。いい?目の端にキラキラまるい輪っかが見えたら、頭痛が起きる前触れだから、昔の人みたいにセンチになってないで部屋を暗くして」
 妹が雨戸を閉めたので部屋は真っ暗になった。あれ、でも俺に妹なんかいない。うちに雨戸はない。こいつは誰だ。親父、妹って誰だよ。親父は黙っている。隠し子か?本当に熱が出たのか?親父?返事しろよ。大丈夫だよ、歯車くらいで死なないから。
 今の女の声は幻聴だよ。でも親切じゃないか。親父、不幸のトランプあわせとかすんなよ。
 
 説得してる間に、ジーンズから歯車があふれ出してくる。母親が帰ってこない。部屋が暗くて何も見えない。見えないっていうか、意識がない。俺の意識がない。俺の隣に積み上がる歯車を感じて、俺は無性に組み合わせたくなる。でもこいつらが動き出して疾走するのも怖い。無性に怖いんだよ、親父。

おわり
本作は、芥川龍之介『歯車』のパスティーシュとして書きました。

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