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六人のガールズによる、トカトントン

  あたしたち六人組のガールズバンド『トカトントン』は、結成したばかりのころは路上とかほかのバンドの前座で歌ったりしていたけれども、あるときインフルエンザで深夜の音楽番組の収録を休まなければならなくなった女性シンガーの代役に選ばれたことがきっかけで、あれよあれよという間にメジャーになった。
 
 それは視聴率がうんと低い、短い番組だった。あたしたち六人がそろって歌う姿はツイッターやYouTubeによってじわじわと拡散されて、業界の人の目に留まり、やがて出演依頼のメールや電話ががんがん押し寄せてくるようになった。音楽番組だけじゃなくバラエティやワイドショーや、はてはニュース番組にまで呼ばれた。
  急ぎ足で人が歩く通りでやるライブとテレビじゃまるで違うんだ。もっとくっきり、目薬みたいに入れられちゃうのかもしれないね、と六人のうちの誰かがわかりにくい喩えを言うと、他の五人はうんうんと頷いた。

 だけど、あたしたちは歌やパフォーマンスで人気が出たわけじゃない。あたしたち六人がそっくりだったから人気が出たのだ。
 一卵性双生児ならぬ、六卵。
  若い女の子は見分けがつかないとよく誰かが言うたわごとじゃなく、目も鼻も口も眉毛も顎の形も耳までも何もかもまったく同じ造形で、それなのに六人は正真正銘赤の他人だった。

 もしもあたしたちが似ていなかったら、今も警察に追っかけられながら通りで声を張り上げて、小銭を稼いでいたことだろう。男たちはホテルに誘おうとライブの最後まで貼りついているし、ひどい罵声を浴びせる奴はいるし、女の子たちは思ってもいないのにかわいー、とかなんとか言って絶対にCDを買ってくれない。そんな日々がずっと続いたはず。

  六人は年は同じだけど出身地は違う。学校も違えば、遠い親せきでもない。バンドが結成するまで一度も会ったことはない。ただなんとなく、どこかのバンドで人間関係に敗れた子、学校に行けなくなった子、暇だった子、目立ちたかった子、オーディションに落ちまくっていた子、そしてあたしの六人が弱い磁石でだらだらと引き寄せられて六人になったのだ。

 それぞれの名前の一文字をあつめて『トカトントン』という名のガールズバンドができた。
  六人とも背が低くて、髪型はいろいろだ。顔は同じでも、声は全然違う。高かったり、ぼそついていたり、舌足らずだったりといろいろだけど、歌唱力はみんな中の下と言ったところだ。

「おまえらの大事なことは似てるってことに尽きるんだからな。だからって作為的なのは駄目だぞ。おそろいのピアスをつけたり、服をそろえたりするなよ。ただしトーンは揃えろ。たとえば、カジュアルなブルー系とかな。踊りは下手くそだから、同じフリはやめて勝手気ままでいい。世界のどこかに自分とそっくりの女の子がいるかもしれないっていう幻想を抱かせるのがお前らの役目なんだ。男はそっくりの人形が動いていることに萌える。それがつくりもんじゃないってことが重要なんだ」

  マネージャーの高野は悪魔のようなことをびしびし言うけれども、本番でミスってもねちねち叱ったりしない。優しい言葉もないかわりに、セクハラもモラハラも毛ほどもなくて、あたしたちが体力を維持できる程度に仕事をとってきてくれて、あたしたちにできない仕事はとらなかった。

 作詞作曲は、六人全員の共同作業だ。あたしたちは、感覚が近いとか仲がいいなんてレベルじゃなかった。誰かがメロディを奏でたら、ほかのメンバーの頭の中にも同時に音楽が鳴りはじめる。まさに共鳴だ。
 中野塔子が歌う。佳代が詞を書く。サトウが二番の作詞をする。ミンがギターを弾く。トリエステが編曲をする。
それはいつでも入れ替わり可能で、トレードすることのできる臓器同士みたいだった。あたしの作業だけは代替え不可能で、それはいわば、全員の身体を包む皮膚となった。

  あたしは曲ができあがると、それを楽譜に書いてレコーディングの手配をした。五人に喉スプレーを配って、のど飴を舐めさせた。ライブ会場近くのホテルを予約して、入室前に全員の部屋のアルコール除菌する。ライブでおかしな行動をするファンがいないか、眼を光らせた。みんな命より大事なスマホをしょっちゅうその辺に放置して壊したり失くしたりするので、ロックをかけて鞄にしまってまわる。生理痛のひどい子にはピルを渡し、悩んでいる子の愚痴を聞き、肩をもみ、スクワットや腕立て伏せに付き合い、服を畳み、コートをハンガーにかけ、靴をそろえ、お茶を入れ、好きなお菓子を買いそろえ、食品アレルギーのチェックをし、カロリー計算をした。
 あたしがいて、はじめて六人のボディは完成するのだ。

「ねえ、あたしたちって…六人もいなくても、一人くらい抜けたっていいと思うんだ」
  あるとき、悩み多きミンが言った。
「ミン。六人そろって、トカトントンなんだよ」
  あたしはそう言ったけど、他の五人はとっくにミンの気持ちを知っていたらしく、驚きもしなければ加勢もしてくれない。あたしは歯医者にとめられているのにぎりぎりと奥歯を歯ぎしりした。
「もう、人前に出るの疲れたよ。たとえばほら、作家とか?DJでもいいな、それかビットコインとか、そういうのをやりたい」
「それって、全部まるで違う仕事だよ…」
「そうだよねえ。うちも前から思ってたんだ。六人って多すぎ。六つ子ちゃんとか聞いたことないもん」
  塔子が言うと、トリエステがのってくる。
「五つ子ちゃんはいるらしいよ」
「五人、一気に産むの?」
「さあね」
「五人なんて、めちゃ大変だろうなあ。ま、あたしらは姉妹じゃないけどね」
  サトウの声は少し寂しそうだった。
 
 どっちにしても、最早『トカトントン』の寿命はつきかけていた。
 ミンはとりあえず思いとどまってくれたけど、彼女は歌が売れないことや、ラジオからの依頼のないことを気に病んでいたらしい。ラジオだと顔が見えないから。メンバーばらばらでのオファーもない。常に六人セットだから、ギャラはあがらないしテレビ局も使いづらい。
  結局、ミンよりも先に中野塔子が脱退することになった。ネットではいろんな噂が出た。六人の不仲説とか。でも、それもすぐにおさまった。それからトリエステが故郷に帰り、佳代が結婚した。以外にも最後まで残ったのはミン。

「ねえ、トカトントンってどっから出てきたの」
  あたしたちが、ばらばらになるずーっと前、トリエステの疑問に塔子が答える。
「何言ってんのよ、ミン。あたしたちの名前の一文字でしょ…」
「違うよ」あたしは二人を遮った。
「えっ、違うの?」
「名前はそうだけど、もともと『トカトントン』って言葉があるの。言葉っていうより呪文かな。大昔のティーンエージャーに目茶苦茶人気のあったアーティストが考えた呪文。意味はわかんないけど…。たまたまその文字を見てたらさ、ああ名前の一文字と合致してるってことに気がついたわけ」
「そうだったんだ。でも、なんかいいよね、『トカトントン』って。つい口にしたくなる響きだよ。今さら言うのもなんだけど」
「だけど、みんな適当に言うからなあ。呪文の効き目ないんじゃない?とかとん、とか、とんとん、とか言う奴もいるっしょ。たったの六文字なのに覚えやしない」
「そんなこと言ったら、うちらの名前覚えてくれてるファンなんかいるのかな?」
「顔もそっくりだからね」
「あー、あたし整形でもしようかな。それか眼鏡かけるとか顔にタトゥー入れるとかして区別してもらえるようにさ」
「だめっ」
 思わずあたしは叫んでいた。みんながびっくりしてこっちを見る。
「ごめん、でもそれだけは駄目だよ…。わかってるでしょ、うちらが売れてる理由」
「だれどそれだってもう下降線じゃん」
「たとえ売れなくっても、あたしはみんなに同じ顔でいて欲しい。そして六人そろって歌いたいんだ」

 あたしたちは歌とか踊りとかキャラクターで売れたんじゃない。完全に同じ顔の女の子が、それも偶然の産物の六人がそろって踊って歌っていることが刺戟的だったのだ。でもそんなのは、すぐに飽きられてしまう。似たようなユニットがどんどん出てきていた。整形だったり、クローンだったり、人型AIだったり、遺伝子操作の子だっりしたけど、大抵あたしらよりずっと才能があった。みんな、踊りはすばしこくて愛嬌もあったし、話も面白い。

  それでもあたしは、『トカトントン』を辞めてない。これからだって、辞めることはないだろう。他のメンバーは、どうしているのか知らない。五人のうち誰もソロデビューはせず、別のグループに入ることもなく、女優やバラエティタレントやМCになることもなかった。

 あたしの皮膚はただの袋になった。夜中に生理用ナプキンを買いに走ったり、指揮棒を振りながら六人で仲良く歌うことはもうないんだ。
  一人になったあたしに仕事の依頼はない。街を歩いていると、時折「あ、あの…」と指さされることがあるけれど、声をかけた人の指の先はいつも虚しく漂って、名前は出てこない。「あの、トカトントンの…」と呟きながら、申し訳なさそうにあるいは少し腹立たしそうに足早に去って行く。二人いれば、もうひとりが急いでスマホで検索することもできるけど、トカトントンの画像につきあたっても、その中のどれがあたしで、あたしの名前がなんというかはわからない。

  さいきん、あたしたちは本当に似ていたのだろうかと思うことがある。とくにあたしはちっとも似ていなかった気がする。

  あたしは、昨日キョートというところの寺に行った。寺じゃなくて御堂か?三十三という数字が入っていたけど、そこはトカトントンの呪文が生まれるよりもっとずっと昔にできたそうだ。よくそんなものが残っていたと思うよ。
  御堂は人気がなくて、あたし以外誰もいないのではないかと思っていると、いきなり甲高い笑い声が鳴り響いた。見ると、五人の女の子が互いにもつれ合うようにして、笑っている。
「似てねーって」
  真ん中の、すらっとした長い髪の女の子が背筋を伸ばしてまっすぐ前を指さした。彼女の髪の毛は遠目でもつやつやとして見えた。あたしの髪には白髪がちらほら混ざっているっていうのに。
  彼女の目の前には金色に輝くカンノンという神様がいた。ここにはカンノンがびっしり立っている。その中には必ず自分にそっくりの顔をしたカンノンがいるという。それを見つけようと大昔からたくさんの人がここにやってきたそうだ。だけど大昔の顔だから、今のあたしたちの顔とはまるで似ていない。
「えー、似てるってあれ、ほらあれだよ。あの鼻のあなが…」
  似てねえといった女の子の隣の女の子が、観音の顔を指さし、お腹を押さえながらもうこれ以上しゃべれないというようにまた笑い出した。

  あたしはなんだかつらくなって、外に出た。御堂の前には看板があって、そこにはこんなことが書いてあった。

 大昔の人々は、千以上うえの数を数えられなかったのです。それ以上の数は、彼らにとって宇宙、曼荼羅のようなものでした。

  あたしはそれがなぜか、羨ましかった。億とか兆とか平気で言ってるあたしたちには、曼荼羅は見えない。観音たちはみな同じように笑っていたけど、あたしに似ている観音はひとりもいなかった。きっとあたしはこの世のものではないんだな。だけどそのことであたしは何か腑に落ちたような、肩の力が抜けたような気がしてもいた。
『トカトントン』。

 あたしはその呪文の意味が何なのか本当は知っていたのだ。それは、どんなものでも腑抜けにしてしまう、どんな絶望も興奮も感動も希望も、一瞬にして水抜濡れてふやけきった食パンみたいにしてしまう、悪魔の囁きだ。

「バンドの名前、なんにする?」
「んーっとね。バンビとか?」
「なにそれ」
「じゃ、キティ」
「ふるーい」
「トカトントン」
  五人の視線がさっとあたしをとらえた。
「なにそれ…」
「なんか変なの」
「でも、いいかも」
「決まりかあ?」
「トカトントン!」
  六人が同時に叫んだ。
「トカトントンには、みんなの名前の一文字が入ってるんだよ」
「わっ、ほんとだ。塔子、佳代、サトウ、ミン、トリエステ…」
「アナグラム?」
「それもあるけど、元からある言葉なんだよ」
「なんつう意味?」
「や、意味はない。っつうか、なんか語呂合わせみたいなのじゃない?あるじゃん、そういうの」
「あー、あるね、あるある」
  納得なんかしてないくせに、ミンはしきりと頷いている。トカトントン、この言葉にはそういう魔力もあったのだ。

  別れる前、あたしはミンに話した。
  ねえ、ミン。あんたたちは本当に似ていたよ。でも中身は全然似てなかったね。でもあたしは駄目だ。あたしの顔をよく見てごらん。
「見えないよ、ねえ、なんだか眩しくって目が痛いや。あたしちょっと顔を洗ってくるね」
  ミンがもどったときには、あたしはそこを去っている。

 トカトントン、トカトントン、あたしの人生を消してきた。
 あたしはの名前は「ん」。
 トカトントン、トカトントン。
 でもあたしは忘れっぽいからまた人生をはじめた。前の人生を忘れてた。今生きている人生すらあたしは刻々と忘れてる。あたしは五人の誰とも似ていなかった。だから町であった人はあたしのことが誰だかわからない。あたしは曼荼羅のなかにいるんだろうか。いいや、あたしにはそんなでかい数はわからない。だからまた繰返すかも知れない。
 
 だからどうか聴いてください。あたしたちの『トカトントン』を。

 
(トカトントンは、太宰治作『トカトントン』のことです。この作品を下敷きにしたパスティーシュとして、本作を書きました)


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