「迷う音」 町子さんと小太郎
目覚まし時計の音で目を覚ました。でも、どこで鳴っているのか?そもそも、私は目覚まし時計なんて持っていない。どんなに夜更かししても、毎日きまって朝の五時に目が覚めるからだ。
台所にいってホットココアを作っていると、雨の音がする。でも、雨なんか降っていない。
突如遮断機の音がした。こんな時間に?貨物列車だろうか。きしんだレールの音がする。きっと錆びているのだ。汽笛が三度鳴る。ぼうっ。ぼうっ。ぼうっ。
どこかに目を覚まさなきゃいけない誰かがいる。音が間違って響いている。それとも、私の耳がずっと遠いところに行ってしまったのか。遠い国の誰かの音を聞いているのか。
夜更けの台所は寒い。くしゃみをすると、カゼひいた?と誰もいないのに誰かに聞かれて首をふる。ココアを飲みながら、耳をすませるうちに、いても立ってもいられなくなってきた。
こういうときは、とにかくいろんなものの上に乗っかることだ。本来乗っかるところではないところに乗っかるのが良い。
テーブルに正座して日本茶を啜っていると膝小僧が冷たくなったので、ベランダを伝って屋根に上った。隣の家の窓から誰かが睨んでいる。冷蔵庫の上はあつくて埃っぽく、漢和辞典は小さすぎる。
床に腹ばいになり、招き猫を背中にのせてもう一度眠ってて目が覚めると、大の字で仰向けに寝ていた。招き猫はなぜか元の棚に戻っている。
ちん、とトースターの切れる音。電熱コイルはオレンジ色に光っていたが、トースターのなかにはパンは入っていない。間違いは続いているのだ。
町子さんに電話をかけてそっちはどうかと聞いてみようとしたが、いくら話しても「てにをは」しか聞こえない。受話器を置いて町子さんの家まで直接歩いていくことにしたのだが、そのとき町子さんもちょうど私の家に向かって歩いていたようで、すれ違ってしまった。家に戻ると、すれ違ったほうの町子さんがまだ残っていて残念そうな顔をしている。輪郭がぼやけていて話しかけられない。
明日、ほんものの私たちが再会すれば消えるだろう。
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