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災害と高齢化

この写真は、節分の日に芦峅寺にある雄山神社にお参りに行った時のもの。雪が積もっていたし、震災の影響なのか、鳥居はくぐれないようになっていました。やっぱり、震災の影響があったんだなぁ・・・と感じながら、参拝してきました。

私は、自発的にテレビをみることは少ないのですが、朝食と夕食の時はテレビをつけています。最近、能登の震災のこと、そして復興に関する報道を行う番組が多いなぁと感じています。

若い方も出てくるけれど、高齢の方が目につきます。被災の程度にもよりますが、どうやって再建していくのだろう・・・。


高齢化と災害について考える

そんなことを、ふと考えていたところ、ちきりんさんのvoicyで震災のことを語っていたのでシェアしますね。ぜひ、聞いてみてください。

2011年の東日本大震災の時も、過疎化がすすむ地域の被災はあったけれど、その時よりさらに13年がたっている今。

被災されている人の高齢化は進んでいて、60代で、70代で、そして80代で被災するのは、全然意味合いが変わってくるよねと話されていました。

家を再度建てることができるのか、そして建てようと思うのか。

今までの生活が出来なくなり、一人で生活出来ていた人も出来なくなる。
近所の人や、介護サービスを使ってなんとか生活していた人も、生活が成り立たなくなってくる。

これが、高齢化のインパクトだと。

田舎の高齢者の生活

都会だとちょっと違ってくるんだろうけれど、田舎の高齢者って、人とのつながりの中で生活しているところがあると思うんです。

土地はあるので、畑を作っていることが多くて、畑で世間話をしていたり、作りすぎた苗とか野菜とかのおすそ分けをもらったり、あげたり。
愚痴をいいあったり、困った時は助けてもらったり、助けてあげたり。

人付き合いの濃度が違うっていうのかな。
どこに誰が住んでいるとかもみんなわかっているから、声もかけやすいし。

だから、震災で家に住めなくなるとか、近所のコミュニティが崩れると生活が成り立たなくなるとか、そういうことは容易に想像がつく。

なので、高齢・・・例えば、80代の独居とかだったら、どうやって生活を再建していったらいいんだろう。途方に暮れるだろうなぁ・・・と思ってしまう。

実際、近所にも親戚を頼って避難してきている人がいるし。
私の実家も、兄の奥さんが能登の人だから、奥さんの兄弟がしばらく避難してきていたし。

高齢になって、のんびりと老後の生活を、なんて考えていたのに被災したら・・・これからの不安って、考えられないものかもしれないなぁって思う。

それでも、生きていかないといけないし、何が正解になるんだろうなぁ。

病院にいても、在宅療養でも

報道の中で言われていたのは、能登の病院に勤務する看護師の中で、退職の意向がある人が25%いるという。
もう、病院運営の存続の危機ですよね。
看護師などの医療者自身だったり、家族だったりが被災していて、今のままでは生活がなりたたず、転居を考えていたりしているんだとか。

仕方がないことなんだけれど、そうすると、入院している患者さんの療養環境がなくなるということにつながります。

実際、私の勤めている病院でも被災者の受け入れが始まっているし、近隣の病院でも受け入れがすすんでいると聞いています。保険証がない方もいるらしく、公的な医療機関が主になって受け入れているようです。

でも、そうすると地域の患者さんの受け皿が少なくなってしまい、少々具合が悪いくらいでは入院が出来ないということもあるようです。

どこも逼迫していますね。

在宅で療養していた高齢者も、今までの生活って、今までの慣れ親しんだ環境があるから、なんとかギリギリ成り立っていたということも多いと思うんです。環境を失うことで、一気に廃用がすすんで生活が成り立たなくなったり、認知症がすすんだりするんじゃないかな。

在宅で活動していた医療者やサービス提供者(ヘルパーさん等)も、今までどおりにサービス提供ができないことも多いでしょうし。

病院にいても、在宅にいても課題が山積みです。

そして、自分ごと

私も夫も50代、そして一緒に住んでいる義母は81歳。
実際、震災の時は、本当に何かあったら、義母を連れてどんなふうに避難しようかって考えてしまいました。

自分が70代、80代になった時、もし被災したら、どんなふうに生きていくか。準備ももちろん大切、でも、シュミレーションをしていくことも、大切なことかもしれないなぁ・・・なんて思ったのでした。

地震の時、水害の時、火災の時。
その時々の、シュミレーションをしておくことで、少し精神的な安定や、生き延びることにつながるんじゃないかなって思うんです。

あなたは、どんな備えをしていますか?

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