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ボリス・ヴィアンの「脱走兵」?

ボリス・ヴィアン(Boris Vian)の Le Deserteur は、「脱走兵」というタイトルで訳詞されることが多いが、その日本語訳は正しいのか?
その疑問も含め、この反戦歌について、フランス語の観点から考察をしてみたい。
(この記事は、私のブログで人気の高い記事を転載するもの。)

タイトルは正しいか?

この歌は、シャンソンのお店では「脱走兵」というタイトルで歌われることが多い。徴兵の令状をもらって入隊する前に逃亡する話なので、脱走兵というのは、しっくり来ない。敢えて言うなら、「脱走者」が正しい翻訳だと思う。

大統領閣下、ではない

それから、この歌は「大統領閣下」で歌い始める日本語詞が多いが、これもかなり違和感がある。
「大統領閣下」というのは、外交用語だ。マクロン大統領を例にフランス語で言えば、
Son Excellence (Monsieur) Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron président de la République française
となり、「閣下」とするには、Son Excellence が必須だ。

原詞では、Monsieur le président だけなので、「大統領殿」が正しい翻訳となる。だから、外交文書に接したことのある私にとしては、違和感が強い。

「この世の果て」は大袈裟

沢田研二ヴァージョンで「見知らぬ国からこの世の果てまで」となっている箇所がある。これは、ちょっと大袈裟だ。
原詞では、De Bretagne en Provence(ブルターニュからプロヴァンスまで)となっている。つまり、フランスの国の西の端から南の端までというイメージしかない。

ムッシュ矢田部の訳詞

また、矢田部道一さんの作詞では、「武器を持たない 男はすべて 祖国のために ならないからと」という部分がある。

この部分は、原詞では、

Prévenez vos gendarmes
あなたの憲兵に通知してください
Que je n'aurai pas d'armes
僕が武器を持っていないと
Et qu'ils pourront tirer.
そして、僕を撃ってもよいと

となっている。

この部分は、普通なら、「武器を持っていないから撃たないで捕まえろ」と命令するところを「撃ってもよい」と撃たれる側が表明しているところがボリス・ヴィアンのエスプリだ。
つまり、「武器を持っていないと伝えれば、憲兵たちは撃ち返される(反撃される)心配がないので、安心して僕を撃ち殺せるでしょう。」ということを脱走者が言っている。
その裏の意味は、「どうせ、あなたたちは、武器を持たない市民であっても、戦争に行けとの命令に従わない(不服従)なら、国家の威信にかけて撃ち殺すんでしょ。」という皮肉なのだ。
個人対国家、つまり「個人の心情」と「国家の規律」の対立構図を歌の世界で創り出して、聞いている人にどちらが正しいと思うか?と問いかけているのである。

こういうエスプリの効いた歌詞回しを日本語に訳するのは、大変難しいことで、ぴったりした訳詞が存在しないのも仕方がないことなのかもしれない。

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