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寄付してきました # あの記事の後日談

先日、投稿した以下記事の後日談を書こうと思う。


昨年12月に余命宣告を受け、今年1月26日に天国へ旅立った愛犬のここちゃん。

まだまだたくさん思い出を作っていきたかった。
せめてここちゃんの誕生日の5月4日までは元気でいてほしいと願って買っていた、闘病生活に必須のオムツ半年分。そのほとんどが使われることなく、役割を終えてしまった。

この残った大量のオムツをどうするか。
もちろん一番手っ取り早いのは捨てるかメルカリ等で売るという方法。でも、このオムツはここちゃんが必死に命を振り絞ってともに病気と闘った証。
そんなことできるはずがない。

何らかの形で想いを繋げたいと思い、いくつもの保護団体に電話したり、noteやX(旧twitter)で寄付の受け入れ先を探した。

けれど、「寄付したかったら送ってきて」というような高飛車な態度を取られたり、「オムツはもう充分足りています」と雑な態度で断られたり、結局、引き取り手は見つからなかった。

悔しかった···。
こちらも不用品処分の目的で言っているわけではない。ここちゃんの無念の思いや、生きることを最後まで諦めなかった思いを、寄付を通して同じように苦しい境遇にある動物たちに繋いでいきたいという願いから働きかけたものだった。

自分は何か期待しすぎだったのかもしれない。
例え善意であっても人に何かを期待してはいけなかったのかもしれない。そう思った時、自分が情けなくなった。寄付を断念した日、初めて仏壇の前で「ごめんな···」と言って泣き崩れた。

そんな時、思いもよらぬところから救いの手が差し伸べられた。仏壇に供えるここちゃんのご飯とおやつを通い慣れた商店街の小さなペットショップに買いに行った時だった。

このペットショップには約8年間、ここちゃんのご飯やおやつ、トリミング(毛のカット)でお世話になっていた。先月に行ったトリミングの際に、「これが最後のトリミングになるかもしれません」と状況を説明していたので、店長が開口一番、

「ここちゃんはあの後どうですか ? 」

と聞いてくださった。

「···亡くなりました。今までお世話になりました」と言うと、やはり深い沈黙が流れた。

「そうですか···最後のトリミングの時もお利口さんにがんばってくれましたね。辛いですね···」

そう言う店長の目には涙が浮かんでいた。
動物を失う辛さを誰よりも知っているのだろう。
一緒に泣いてくれる人がいたことに心底、救われる思いがした。

これまでの経緯を説明し、家に大量のオムツがあったので寄付したかったが断念したことを話すと、店長は少し思案顔を見せた後、

「うちでいただきましょうか ? 」

と切り出した。

「え、いいんですか !? 」

「はい、持って来ていただく商品と同じ商品を買うお客様に無償でお渡しさせていただきます。お客様も喜んでもらえると思います。もちろん◯◯さまの想いは充分お伝えさせてもらいます」

「そういうことならぜひお願いします ! 」

後日、早速、全てのオムツをその店に持参した。
あらためてここちゃんとお別れするようで寂しかったが、何よりここちゃんの遺したものが活きた形で使ってもらえる安心感の方が大きかった。

「責任を持ってお預かりさせていただきます」

8年間、ここちゃんがその人生の大半でお世話になった店。その店に寄付するのならここちゃんもきっと納得して喜んでくれるだろうな。本来、僕が意図していた寄付の形とは違うけど、きっとこれでいい。

「ここちゃん、ちゃんと渡してきたよ」
そう言って写真の中のここちゃんに微笑んだ。


虹の橋のふもとでずっと待っててな、忘れないからな。


● X(旧twitter。名前、虎吉)にここちゃんの闘病中の動画をあげています。よければご覧ください。



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