季節が変わったことについて

最近は、少しだけ寒くなってきましたね。素晴らしいこと。夏も好きだけれど、もちろんその他の季節もたいていは好きですから。最近、季節が変わって、考えることも増えたので、書いてみていいですか、そうですか。それではどうぞ。


金木犀が香って、朝の空気が糸を張ったようにひんやりとするあの季節の前に、我々はやらなければいけないことがいくつかあるわけだ。たとえば、たとえば、外で優雅に本を読むだとか、所詮その程度のことだ。されど、その程度のことすら満足にできないのでは、我々に自由があるだなんて嘘でも言えない。

おばあちゃんとポプリを作った。落ちた金木犀を拾って、応接間の大きな窓の前に敷いた新聞紙の上に広げた。これからしばらく乾燥させて、香りがたてば、瓶の中に塩と一緒に詰める。いつでもその香りは楽しめる。簡単な芳香剤だ。
ポプリは大切な人と作った方がいい。匂いと一緒に思い出されるのは、大事な人が笑った時の目のしわとか、口角のキュッとあがった感じだから。いわゆる、「プルースト効果」にすぎないのだけれども。
ポプリは作った方がいい。人間の記憶は永遠ではないから。匂いだけが記憶をたしかにしてくれるから。

銀杏BOYZの「少年少女」という歌を聴いた。大切な人が教えてくれた。アニメの主題歌だそうだから、アニメは帰りの夜行バスに乗りながらこっそり見ようと思っている。
恥ずかしながら、銀杏BOYZのことは知っていたが、ちゃんと聴いたことは無かった。なんだかこの手の音楽は、苦手なのだ。ぐっと、瞳の奥でこちらを捉えて離さないような真っ直ぐさが、苦手なのだ。ただ、これは少し違った。隙があった気がした。わたしでも入り込める隙があった気がした。許されているような、そんな気がした。
好きな箇所は2箇所ある。「少年は少女に出逢う」と、「きれいなひとりぼっちたち 善と悪ぜんぶ持って」だ。
「少年は少女に出逢う」に関しては、彼らの魂を感じる。だからわたしの心も自然と震えた。こう、全力で叫んで、叫びすぎて首筋の血管がクッと浮き出るような、パワーを感じる歌い方が好きだ。すごく良い。大好きだ。真っ直ぐすぎて、伝わりすぎて、少し重たすぎてよろめきそうになるけれど、それだけの覚悟がある音楽ならばこちらもしっかり聴こうと思わされる。
「きれいなひとりぼっちたち 善と悪ぜんぶ持って」の部分は、なぜ好きなのか分からない。ただ、なにかしている時にかけ流していると、いつもその部分だけが耳に入るのだ。けれど、その歌詞がわたしみたいな人の事も許してくれている気がする。善事だけじゃなくて全部もっておいでなんて言われてしまったら、背けていた顔もそちらに向けてしまいそうだから。
けれど、この歌は暑い時に聴くのがいいのだ。きっとそうなのだ。秋に「ボーイミーツガール」なんであまり聞かないわけですから、初夏とかに聴くのがきっといちばん良いのだ。いちばん、良いのだ!

初めて、人に会うためだけに旅行をした。突然行くことに決めたから、向こうも困っていたと思う、大変申し訳なかった。ただ、会いたくて仕方なかったので、許していただきたいものだ。自分で夜行バスをとって、乗り場まで行き、5時間と少しバスに揺られたあとは、電車で2時間ほど行った先に彼はいた。ジャージでへとへとで走って駅まで迎えに来てくれた。そういうところがあるのだ。
山梨県は、山がたくさんある。知ってた?彼の家の裏も、山のようにむしゃむしゃと草木が生い茂った謎の土地が広がっていた。緑の美しさはジブリさながらだった。彼の家に足を踏み入れたら、彼の匂いがした。人の家の匂いが好きだから、思わず深呼吸をしてしまった。とても、いい匂いがした。
かなり長い間滞在しているわけだが、彼は文句ひとつ言わずいっしょにいてくれている。そして、ついでだが付き合うことにもした。(あっ、そんなそんな、お祝いしていただいて、あの、ありがとうございます、ありがとうございます)。
別に彼のことはタイプじゃない。顔だってそんなめちゃくちゃ好きな感じではないし、性格だってかなりひねくれているだろうと思う。けれど、すごく好きなのだ。何があるか分からない、去年なんて「真っ直ぐで人間っぽい人と付き合いたい」なんて言っていたのにな。結局人間らしいひとと付き合いたいことには変わりがなかったものの、人間らしさを決める部分が変わっちゃったんだろう。
今日彼は夜勤らしい。2時番だから、起きておいてお迎えに行こうと思う。多少油臭くても、愛の力でそのくらいなんともない。気持ち悪い文章だ、己の浮かれがかなり分かりやすい。でも良いのだ。今は今しかないし。

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