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人助けに対価を求めるということ

社会活動家として社会問題を勉強していると多々出現する「社会活動に対価を求めるか否か」というテーマ。
私は社会起業家として人助けを事業にしようとしている人間なので賛成派なのだが、なぜ賛成なのかを語ってみたいと思う。

まずはなぜ賛成なのか

結論から言うと「手を差し伸べる側の安定性」が大事だと思っているからだ。例えば下に例を挙げてみた。

社会活動に参加したいふたり
Aさん:衣食住に困らない生活・心身ともに健康
Bさん:衣食住すら困っている生活・心身の調子が不安定

ふたりが社会活動に参加したときどうなるだろう。言わずもがなAさんの貢献度が伸びるのではないだろうか。定期的な活動への参加、元気の伝染、メンタルや体力、他にもさまざまな要素があると思う。

安定性はお金に直結するからこそ

先述した「手を差し伸べる側の安定性」はその人自身の収入や資産、つまりお金に直結すると思っている。
でも世の中で働かずとも食っていけるという環境にある人は一握りであることは間違いない。そんな少ない母数の中で社会活動に興味がある人はどれだけいるのだろう?

社会問題の解決に取り組むためには、まず人員が必要だ。だから「お金に余裕がある→社会活動しよう」ではなくて「社会活動したい→でも収入も必要だ」と考える方が、よりたくさんの人を巻き込んで取り組んでいけるのではないだろうか。

おわりに

ようやく明日付けで前職の退職日になります。退職を決意してからこの一か月間、自分の働き方ややりたいことに悩んできました。

今現在はいくつかのNPO法人の職員に応募をしている状況です。NPO職員も営利目的の一般企業と同じくお給料が発生します。
私には私の生活があって収入も必要です。その収入で自分が健やかに生きる、そしてそれを基盤として人に手を差し伸べる活動をする。その活動から勉強する。そんな循環があっても良いのかなと思っています。





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