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日本の民族性と民主主義

 前々から気になっていたことがあり、今般図書館で安田浩一さんの「右翼の戦後史」(2018年刊 講談社現代新書)という著書を発見して参考になったので、その内容含めてご紹介させていただきます。
※著書自体は6年前発行なのでやや古いですが。

 気になっていたのは、第二次世界大戦での敗戦から今に至るまで、また昨今の情勢では今まで以上に、日本におけるアメリカの支配力が高まっているということと、そのことが本来の日本人らしさや伝統、価値観へ及ぼす影響と、今を生きる私たちが認識する必要がある日本の民主主義のあるべき姿についてです。
 このようなことを意識するきっかけとなったのが三島由紀夫さんの自衛隊クーデター事件で、今から50年以上前のことですが、情報に触れるにつれ関心と疑問が強まっていました。昨年発行された平野啓一郎さんの「三島由紀夫論」も読んでみましたが、敗戦で日本が失ったもの、継続させるべきであったが喪失したものは何か。それが悪化していると感じる現代日本の民主主義(幸福度ランキングでは先進国の中では相対的に低い)とどう関連しているのか。結論は簡単には出ませんが考察するヒントをいただいたと感じました。
 そもそもの右翼の源流は幕末の尊皇攘夷に繋がる水戸学にあり、王政復古を果たすものの復古主義ではなく国家革新派でありました。
 明治維新後、実権を握った薩長の権威主義や腐敗に対抗する自由民権運動の中で日本初の右翼団体である玄洋社が結成されますが、この運動は右翼、左翼共の反体制活動のルーツとなっています。そしてこの団体の大きな目標は大アジア主義であり、西欧列強の植民地主義と対峙するためのアジアの民族自決を目指し、孫文の辛亥革命を支援しています。この大アジア主義がやがて大東亜戦争に結びついてしまうわけですが、皇室敬戴という根幹のスローガンに加えて、人民権利固守やアジアの民族自決という民主的なテーマを掲げていたことは注目に値します。
 その後、昭和恐慌に苦しむ庶民を顧みることなく私腹を肥やす一方の支配階級打破と天皇親政による国家主義体制を目指すグループによる血盟団事件や、五一五事件、ニニ六事件等のテロ活動(昭和維新)が天皇から拒絶され、軍部による挙国一致体制への取り込み、敗戦を経て戦後のGHQによる解体によって右翼活動は一旦断ち切られます。また現人神であった天皇の人間宣言により、大義を失うことにもなります。
 一旦終息した右翼ですが、東西冷戦という世界情勢によるアメリカ及び日本の体制側の要請から、戦前の反米から親米・反共へスローガンを変えて復活を果たし、国家権力や天皇制を脅かす社会主義革命から体制を護る勢力となります。その後は安保闘争の際は体制を擁護する活動をしたり、体制側に距離を置かれるようになったりとしながらも、宗教保守や神社庁とも連携しながら、元号法制化や改憲活動、教科書改訂等で存在感を示しながら現在に至りますが、その間ネット上での活動も活発化しています。
 私が考えるところでは、元々の要素であった人民重視や農本的な考え方、五族共和のような国際協調主義を現代、未来の日本にどう反映させていくかが重要な課題であり、日本人本来の穏やかさ、協調性や勤勉さ、独自で優秀な発想力を反映させた、世界における新しい日本の国づくりを国民全員で考えていくようになればいいなと思います。

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