ハッピーアロハ

首都圏→北海道→東京→北海道各地→横浜→現在は、北海道在住。 私の人生が普通でないのは…

ハッピーアロハ

首都圏→北海道→東京→北海道各地→横浜→現在は、北海道在住。 私の人生が普通でないのは分かっていたが、特に波瀾万丈らしく、ずっといろいろな人から書く事を勧められてた。やっと書く気になりました。 2022/8/7追記;この続きは、同じnoteの「ミロス日記」に綴っていきます。

最近の記事

ミロス

離婚までのマイナスのモヤモヤをここに出させてもらい、 いろいろ明らかに出来て良かったです。 離婚後、2年半経った時に、久しぶりに会った友達から、ミロスが伝わりました。 その友達からもらったミロスの文庫本「THE ANSWER」をすぐ、2度読みました。細かい内容を理解した訳ではないけど、 私が、ずっと求めてた答えがここにある❗️と確信しました。 それで、すぐ、ミロスの学校に入りました。 私は、子供の頃から、 この世には、法則がある!と思っていました。 なので、それらしい法則

    • 離婚への道

      その後、次男は、中学で腰の圧迫骨折、その他の整形外科的な手術や内科的な入院もした。長男も手術や入院、三男も入院。何でこんなに何度も入院するんだろう?私の育て方が悪いのだろうか??と、子育てに自信が無かった💦 子供達が大きくなって、入院の事を夫に聞いたら、夫が付き添った以外は覚えていなかった! もちろん、夫に話してるし、私が付き添ったこともあるけど、、全く知らない、と言われた時には、絶望した。 とにかく、夫に子育てを助けてもらいたい!!と、ずーっと夫に言い続けて、父親の子育て本

      • 次男の入院

        3才の次男は、もちろん入院。私は、病み上がりだし、1才の三男がいるので付き添えない。夫が付き添う事になった。もう、養父母関係は遠いし、助けてくれなかった。 次男の炎症が早く引いて、手術が出来るようにと、私は、次男の大好きなステーキなどを作って、真冬の道を歩いて病院まで毎日届けた。 退院してから分かったが、そのおかずを夫が毎日食べていたと聞いてガッカリした。夫が言うには、だって次男が食べなかったから、と。大好きなステーキを食べないなんて、そんなはずは無い!と思ったけど、仕方が無

        • 丸太のジャングルジム

          2月に入ってすぐの土曜日。夫は、お休みの日で、家でゴロゴロ横になってテレビを見てた。 5才の長男が近くの、丸太で出来たジャングルジムのある公園に、近所の女の子と遊びに行った。すると、3才の次男も行きたいと言い出した。極寒時期のジャングルジムは、凍り付いているし、下はアイスバーン、氷の地面。3才には、冬のジャンプスーツを着せたら着膨れ状態。とっても身軽に動けないので、心配で、夫に、次男と一緒に行ってあげて!と、何度も頼んだが、、夫は、床屋に行く!と言って出かけてしまった。 それ

          ショック

          私がガンの病院から退院したのも、束の間!これから、怒涛の嵐が続きます。 もう、私は、訳分からず、ただただ、その時その時、必死で生きて来ました。 転勤も次から次、子供三人を必死で守る事だけを考えて生きていました。 ミロスを知ったら、生きていなかったと言うことかも知れないけど、 必死で、呼吸してたと思います。 でも、度々、息苦しくなりました。それでも、よく倒れなかった!と思うくらい、目まぐるしく動いていました。 入院中、私は病院で毎晩泣いていましたが、写真の中の子供達を見ること

          私が入院中の子供達

          私が、ガンで入院している間、子供達は、養父母の家に預かってもらいました。 そこには、私が短大に入り東京に行く時に、養父母の家にお手伝いさんとして来た、私より5才くらい年上の女性が働いていました。その人は、とても子煩悩で、自分のたくさんいる兄弟の結婚が波乱みたいで、自分は結婚はせず、養父母の家のお手伝いさんとして、養父母の最後まで見取りたい、と言ってたそうです。 その人は、私が養母や偽弟に虐められていたことは、知りませんでした。 子煩悩で私の子供達も可愛がってくれたお手伝いさ

          私が入院中の子供達

          ガン

          ガンになったことをすぐ夫に知らせました。 その日は、心細くて、乳飲み子を抱えて3才、5才の幼稚園児をお迎えに行き、そこで担任の先生達に伝えました。とっても親身になってくれ、ずっと夕方まで幼稚園で一緒に居てくれました。3人の子を抱えて、1人になるのが怖かった。 自宅近くまで帰って来て、近所の年配の知り合いに会い、また病気のことを話すと、「人は、病気では死なないんだよ!寿命で死ぬんだよ」と教えてくれました。それは、救いでした。 そして、家に帰り、子供達の世話をして、夫を待っていま

          つづき

          基本、ここにはマイナスなことを書いてます。 ミロスに出会い、マイナスだけでは存在しない、を知りました。 私の中で、モヤモヤになってたマイナスを白日のもとにさらし、マイナスをハッキリさせて、手離す(は·な·す)ために書いています。 結婚生活は、転勤転勤の繰り返し。夫は、出張、帰りは毎日深夜。子育ては、見知らぬ土地で、夫や身内もいなくて、必死で頑張りました。 念願の3人目を産んだ翌年、 前に書いたように、死んだと思ってた実母が首都圏で生きてる! 私が小学校入学前、最後に実母と

          結婚まで

          やっと北海道を脱出し、短大の寮生活が始まった。 もうあの忌々しい人質のような生活から解放され、ルンルンだった。 2年間の間に、数回、実父が寮に訪ねて来て、お食事などに行ったが、その時は、寮生を連れて行ったりして、2人だけにならないよう、距離を置いた。私を手離した実父に、心を開けなくなっていた。 また、養母もたまに訪ねて来て、北海道で、さんざん養母に虐められてたことを、実父に告げ口してないか、チェックしに来てるかのようだった。 短大2年終わって、本当は東京で就職したかったの

          北海道脱出

          中学生からは、偽パパ、偽ママを養父、養母と書きます。 猛獣男の子は、どうしようかなー???弟と表現したくない!!相手の態度が酷すぎる!し、、実際、、全く何処の誰か分からないし、、それは、気の毒とは思うけど、、、 前に書いたように、変態行動は、治らなかった! 私が高校生の時は、気が付いたら、お風呂覗かれてるし、、相変わらず、水洗にはなりましたが、私がトイレに入ってても、夜寝てても、部屋の壁に穴を開けられ、覗かれる。その子は、もう中学生なのに、ずっと養母とお風呂に入ってて、私は

          嘘2

          北海道に戻ってから、私は、もう元の家族に戻れないんだ!と思い、、 私の中から、元家族を消した! 偽パパ、偽ママと共に、猛獣男の子を弟として、生きていかなくてはいけない! と、無理矢理自分に押し付けた!って感じ。 こうして、対外的な、私の新しい家族の形が出来た! ①猛獣男の子は、私のことを、もらいっ子、もらいっ子と、中学生になる頃までいつも言っていた。 私は、同級生にしても、先生にしても、他の誰でも、そんな私を、可哀想!という人は、自分が惨めになるので、 大っ嫌いだった! 普

          利用

          また、北海道での生活が始まった。 私は、四年生、猛獣男の子は一年生に入学した。 お父ちゃんは、時々、北海道の家にお金を送っていたようで、偽ママは、私に、 「こんなお金で、子供育てられると思ってるのかねー」 と嫌みを言ってた。 だから、私は常に遠慮がち。 もちろん、教科書の参考書とか問題集を買ってもらったことが無い。 ところが、猛獣男の子が入学するなり、その子の参考書、問題集を毎年山のように買い与えた。 しかし、猛獣がそんなもんやるわけがなく、成績はひどかったらしい。 ある時

          地獄第二章の始まり

          あんなに会いたかった!お父ちゃんと住みたかった!チャンスがあったのに、私は逃してしまった💦もう、絶望感が私を包んだ!! 首都圏のお父ちゃんの家を後にしてから、、偽物(と言いたい!)のパパ、ママ、猛獣男の子、と一緒に、、うーん?パパはいたかなー?覚えてない。 とにかく、北陸へ向かった。 そこは、偽物のママの、親戚の家だった。 北海道のおばあちゃん(偽物のママの母親)も来ていた。 そこでは、法事が行われるようで、たくさんのお客さんが集まって来た。 その時、猛獣男の子に、お父ち

          地獄第二章の始まり

          複雑

          飛行機で飛んで、電車を乗り継いで到着したところは、父の家らしかった。 というのも、父と弟も住んでいるようだが、私の住んでた家ではなかった。 新しく建てたようだ。 なんと!その家には、父の再婚した後妻さん、弟、父方のおじいちゃん、そして、これまたビックリ!な話だが、、、 父の後妻さんのお母さんが、父方のおじいちゃんと結婚してそこに住んでいた。おばあちゃんを早く亡くしていたおじいちゃんも再婚して、そのおばあさんが、権力を握っている感じだった。 もう、訳分からない!を通り越して、、

          母の死、父の再婚

          北海道での生活が、居候状態でスタートしたので、私は、遠慮するのが当たり前になってしまった。 とにかく、お父ちゃんが迎えに来るまでの辛抱と耐えていた。 私が小学三年生になった時、旅行から帰った叔母さんから、お母ちゃんが死んだ!お葬式に出て来た、と言われた。 私は、それを聞いて泣いたという記憶は無い! 今、思えば、おかしな話だ。 子供の私が、親のお葬式に出席しないなんて! それもそのはず、前に書いたように、それは、嘘だったのだ。 でも、私は疑わなかった。 また、その後だと思う

          母の死、父の再婚

          タブーにしてた話

          小学一年生で初めて北海道に行って驚いたことはいっぱいあるけど、 1番は、トイレ!汲み取り式だった。私が高校生になる直前まで。 首都圏に住んでいた時は水洗だった。汲み取り式だけでも怖いのに、 叔母さんちの男の子にしょっちゅう覗かれた。 また、その子は、私の下着を盗んだ。どこに隠しても、無くなった。 別な意味でも怖かった💦 それは、私が、東京の短大に入って、北海道の家を出るまで、続いた。 私が、その子の母親に言っても、取り合ってもらえず、、中学生の時か?一時、おばあちゃんのとこに

          タブーにしてた話