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コンドーム自販機と社会と私3 ~明るい家族計画と嘘

日本で最高のコピーは西武百貨店の「おいしい生活」だそうだ。このコピーがいかに素晴らしいかを説明されれば、理解は出来る。しかし私はこのコピーは好きではない。
このコピーが掲載されたポスターにはウッディ・アレンが映っていた。ウッディ・アレンは有名な俳優ではあるが、私は通が好む俳優と思っている。だから私はウッディ・アレンを起用したことにより、このコピーを「分かる人が分かればいい」ものと解釈し、コピーから疎外感を感じていた。また、自分達のセンスの良さをひけらかしているコピーのようにも感じていた。

私が日本で最高のコピーだと思うのは「明るい家族計画」しかない。このコピーがなかったらコンドーム自販機を巡る私は、存在していない。

このコピーと自販機を見て、私は、あの自販機は「セックスをしよう!」と言っていると誤解した。商店街や住宅街でいきなり「セックスしよう!」とはロックな自販機だなと誤解していた。
なぜわざわざ「明るい家族計画」というコピーを通じて「セックスしよう!」と遠回しに訴えなきゃならないのかについては「大人は本当のことは言えないから、わざわざコピーを作り、訴えている」とまた誤解した。
こうして私の中でコンドーム自販機は、超面白いヤツになった。

私がこの誤解をしたのは、まだ子どもの頃。子どもではあるが、私は大人は本当のことを言わないと知っていた。建前とお世辞という、その場を取り繕う嘘を言うのだ。その嘘がこれからどのように自分に言われるのか、また私はその嘘を他人にちゃんと言えるのだろうかとぼんやり思っていた。
大人になった私は、更に社交辞令と、空気を読む、顔色を伺うも知る。「今度ご飯でも」と言われれば、社交辞令だなと思い、この人ともう会うことは無いと理解し、私も他人にうっかり「今度ご飯でも」言ってしまった時は、また嘘をついてしまったと、少し自分にがっかりしていた。

そう言えば、サブスクでイギリス人男性が日本を観光し、体験する番組を見たことがある。あちこちで日本人が説明をし、「良くお似合いですよ」「とても上手ですよ」と言う度、男性は「でも日本人は建前を言うから、本当はそんなことは思っていないんでしょ?」と言い、それに対し日本人は「いえいえ…」と否定していた。
なんて寒々しいやりとりだろう。男性はこのやりとりを楽しんでいそうには見えたが、私は見ていて辛かった。やはりお世辞も建前も嘘でしかない。私には建前とお世辞の良さが全く分からない。

お世辞、建前、社交辞令、空気、顔色。これらを日々多く使う人々の視野はとても狭い。自分と自分周辺の人々だけを守るために使っているから。「自分達だけが分かればいい」なら、自分達だけの空間で行えばいいと思う。

嘘をついてはいけない。それは当たり前のこと。影響力の大きい人々の嘘は、その場だけをしのいだつもりでも、その後の何十年にも影響力を持つ。
もうきっと嘘にまみれて、明日が見えない。

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