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なんでコンドーム自販機を巡ってるのか分からない

今から7年前。私は「編集・ライター養成講座」と言う講座に行っていた。が、途中で辞めた。

この講座は、運営元が大手企業だったせいか、通う生徒達の経歴がとても華やかだった。早稲田、慶応、一橋卒…、現在勤務している会社は大手企業。そして陽キャ。私が今まで生活してきた世界では会ったことが無い人々ばかり。初めてそんな人々と接した私は、自分へ劣等感を爆発させていた。
また養成講座とは言うものの、既にライターとして仕事をしている人々も何人かおり、私はただただものすごく羨ましく思っていた。

劣等感ばかりが募る講座で、生徒たちとSNSでも繋がり、流れてくる投稿を見ては、やっぱりジリジリしていた。
ある日「書きました」の見出しと共に、1人の生徒がWebメディアにコラムを書いたと投稿した。ライターの仕事をしている人が羨ましくて仕方なかった私は、すぐに投稿に付けられたリンクをタップしてそのコラムを読んだ。


くっ…………………っそ

つまんねぇ。


マジでびっくりするほど、面白くなかった。こんなにつまらないコラムがメディアに掲載されるのか?ホントか?オイ。強いて感想を言うならは「あなたは、超平和な環境で生きてきたんですね」だけ。
しかし更に驚く事が起こる。その人の投稿に対し、賞賛のコメントが溢れたのだ。

面白かった!
すごく良いね!
分かるー!

などなど。
オイオイ、マジかよ。このコラムのどこが賞賛に値するんだよ。とは言え、この方のお友達はみんな、褒め称えるのでしょう。しかし私にとっては、つまらないコラムでもWebメディアに掲載され、つまらないコラムなのに褒め称えられている現象はとてもショックだった。そしてこのことから分かったことがある。どんなにつまらないコラムを書いたとしても、

一流大学を卒業し、一流企業に勤める彼らの方が、私よりも圧倒的にチャンスを得る機会に恵まれると言うこと。


悔しくて悔しくて悔しくて仕方がなかった。私の胸の中は嫉妬と怒りで渦巻いていた。
またこの講座で今まで出会わなかった人々と出会ったことにより、存在は知っていたが、感じたことは無かった階層をハッキリと意識した。彼らは上層階にいて、私は最下層。住む世界が違うとはこの事だったのだ。

くそっ、あんなにつまらないのに。くそっ。

この講座の中で何とかして私は、私が取るに足らないやつでは無いと示したかった。だけどどうやって。くそ、くそ、くそっ!

焦るばかりで、実際にどう行動したかいいのかわからない。だけど劣等感と嫉妬と怒りはどんどん大きくなる。
結局私の胸の中の劣等感と嫉妬と怒りは、私の胃を痛める結果となり、仕事まで休んでしまった。
そこで「あれ?この講座ってそんなにまでして行くところではないんじゃない?」と気が付き、講座を途中で勝手に辞めることにした。しかし辞めても嫉妬と怒りは消えなかった。
くそ、くそ、くそっ!じゃあ…

彼らが一生かかっても出来ないことをやってやる。


と始めたのが、コンドーム自販機を巡る事だった。

Googleマップを駆使して、薬局を検索しまくり、Googleストリートビューで自販機があるかないかを確認して、ひたすら巡る。
最初の内は仕事終わりの夜に、毎晩毎晩、見知らぬ住宅地を怒りに任せて歩いていた。歩きながらも湧いてくる怒り。

ちくしょう!
なんでだよ、なんでなんだよ!

繰り返し出てくる言葉。結局1年くらいは歩きながら怒っていたと思う。同じ燃料で、よくもそんなに長く怒っていたなと我ながら思ったりもしたが、全然怒りは収まらなかった。
その間にコンドーム自販機のZineを出したり、写真の展示をしたりしていたが、怒りが原動力なのは醜いと思われそうで、人には言えずにいた。

だが怒りが原動力だったのは、最初の頃だけ。それから7年もの年月がたったのだが、今でもコンドーム自販機を巡っている。怒りの解消なら、もうその役目は終えた。一生かかっても出来ない事をやってやるとは思ったが、最初から同じ講座に通っていた人々に見せるつもりは無かった。なのになんで私はまだコンドーム自販機を巡っているのだろう。ついでにコンドーム自販機が好きなのかも、よく分からない。だけど続ける。
なんで私はコンドーム自販機を巡っているのだろうって、

分からん。

考えても分からない。辞める理由も、続ける理由も分からない。分からないけど、ただ巡る。それだけだ。

photomemo:今回の写真は怒りに任せて夜に歩いていた頃のもの。もうこの自販機はありません。

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