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ダイエット - なんでコンドーム自販機を巡ってるのか分からない7

大人になってから、ダイエットを気にせず物を食べたことがない。きっとこれはカロリーが高いに違いないとか、こんな時間にこんな物を食べたら太るとか、そう思いながら食べてきた。
またずっと自分をデブと思って生きてきた。足が太い、お腹が出ている、あと5キロ痩せたい等など。
ボディポジティブは知ってるけど、自分にはそれを受け入れられず、昔ながらの細ければ美しいという価値観が捨てられない。ずっと頭の中にダイエットの文字がありながら、ずっと食べてずっと太ってきた。ダイエットを気にするのが、ただの儀式みたいになり、結局何もしないできたのだ。

しかしある日、これはヤバいと思う数字を体重計に見た。マジでヤバい。私は今まで通りに何もせず、この数字をこのままにするのか、私はずっと自分をデブと思って生きていくのか…。それは嫌だと、私のダイエットは始まった。

ダイエットとして行っているのは、地道なカロリー計算と運動。運動と言っても私はスポーツが苦手なので、ひたすら歩いている。それからエアロバイクを購入し、毎日240kcal消費分、漕いでいる。おかげで少しずつ痩せてきた。
しかし私はなぜ痩せたいのだろう。健康のためとは1ミリも思っていない。ただただ見た目のために痩せたい。

私のように中高年になると代謝が落ち、太りやすくなる。若い頃食べても食べても太らなかった人も例外では無い。私は中高年で痩せ、難儀な事をやり遂げ、かつてスレンダーな体型で若さを謳歌した人々を見返したいのだ。
ああ、なんて性格の悪いこと。見返したい具体的な誰かもいないのに、謎の不特定多数に挑むスタイル。これも私の自意識過剰さがなせる技なのだろうか。

毎日1万歩を目指して歩き、エアロバイクを漕ぐ。休みの日には自販機で街を歩き回る。結果、私は人生で今が1番体を動かしている。
私はスポーツが苦手と言うよりも、体育の授業が嫌いで、そのままスポーツ全部が嫌いになった。嫌い過ぎて、今日に至るまで体育の授業以外でスポーツをやった事がない。
でもどうやら体を動かすのは嫌いではなかったらしい。以前は休みの日に一日中家で過ごすのも多かったのだが、最近はずっと家の中にいると、外に出たくなってムズムズしてくる。
中高年になってから急に体を動かしているので、膝が痛いとか、腰が痛いとか、何らかの弊害が出るかと思いきや、今のところ何も無い。若い頃にスポーツをやっていたのなら、あの頃に比べて衰えたと思うこともあるかもしれないが、それも無い。これは私の体が若々しい証と言うことはないのだが、比べるものが無いのは快適だ。

若かりし頃、東京の青山を歩いていた私は、肩身が狭かった。向こうから歩いてくる女性達は皆、細くてファッションセンスもいい人ばかりだった。みんな美人に見えた。それに比べ自分は服のセンスも良くないし、太ってるし。あの日の感覚が今も忘れられない。
なぜ私は痩せたいのか。それは私は東京で素敵な女性になりたいから。その素敵な女性とは、今のところ「見た目」でしかない。女性の素敵さは見た目じゃないと分かっているのに、自分の素敵さには、まずは見た目が必要だと思う。見た目さえ取り繕っていれは、街を歩く素敵な人々のふりができると思っている。
愚かな発想と分かっていても、手放せない発想。私が育ってきた時代は、マスコミに登場する女性は、ほぼ美人で細い人だけだった。母はずっと美人は得だと言い、自らの体を骨と皮だけにしていた。
私は自らの見た目を何とか細く出来たとして、その後の私はどうなるのだろう。間違いなく、今度は体型維持のためにダイエットは続く。そして私は自分を成功者と見なし、かつての自分のような体型の人々を見下すのだろうか。それは少しも素敵ではないのに。それでも私は痩せたいと願うのだ。

photomemo:東京で撮影した廃自販機。このタイプの自販機は稼働していた当時から少ないタイプと思われます。

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