見出し画像

海に還る ~彼女の旅立ち~

3月に大事な大事な友人を見送りました。そして日本時間の今日9月10日早朝、彼女は思い出のあるハワイの海に還ります。


彼女について


3月にとても大事な友人を見送った。二十年来のつきあいで、ちょっとだけ年上のとても素敵な人だった。


美人で男前


彼女を一緒に見送った弁護士さんの言葉だが、このうえなくぴったりだ。

花でいえば、百合や薔薇、芍薬など一本ですっと立っているイメージ。

とても凛として、厳しいけれど優しい。けして群れない人だった。

出会い


知り合ったのは会社の同僚として、彼女の勤めていた会社に自分が派遣社員としていったのが、始まり。

彼女は広報のマネージャーでキャリアウーマンという今では死語かもしれない言葉がぴったりだった。

一方こちらは人事部の派遣社員でそれほど接点はないのだが、小さい外資系の会社だったこともあり、毎月の女子会のメンバー同士ではあった。

その流れで複数でディズニーに行ったり、私が辞める前に人事のマネージャーだった女性と三人で会社の保養施設に行ったりというのはあったが、特に親しいという関係とは思っていなかった。

彼女と私


最初に二人だけで会ったときのことはよく覚えている。自分がもう退職が決まっていて、それを聞いたからなのか、彼女が「自由が丘に行きたい」と言ってきた。

当時私は東京の自由が丘が最寄りの駅で、なぜか自由が丘が最寄り駅と知ると、このような申し出を受けることがよくあった。女性にとっては行ってみたい街なのだ。

なので、この時もランチをして街を散策し、お茶をするというおきまりのコースを巡った。

採点の厳しい彼女のお眼鏡にかなうかちょっとドキドキしてお店をセレクトしたけれど、どうやら楽しんでもらえたようだった。

それを皮切りに、彼女から時々お誘いがあり、私がついていくという形で、とてもたくさんの時間を一緒にすごした。

美術館、ランチ、アフタヌーンティー、温泉、きれいなものに囲まれた宝石のような時間だった。

とはいえ、彼女が選ぶのは、別にブランド品やぜいたくばかりとかではなく、とても現実的で、かわいいものも大好きだった。

彼女がしていたのは、日々の暮らしを丁寧に、平均点ではなく、ベストを目指して送ることだったと思う。

日々の暮らしにベストを尽くすというのは書くのは簡単だが、やるのは簡単ではない。

それを実践している彼女のたたずまいやふるまいは、美貌とあいまって、周囲も背筋をただす感じがあったのだと思う。

彼女と一緒にいると、どんな場所でも軽んじられることはなく、気分のよい状態ですごせることが多く、私は美人な生活ってこうなんだと、よく感心したものだった。

私自身は10代のころから丁寧に暮らしたいと思いつつ、実際はキャパがとても少ないため、買ってきたお惣菜をパックからそのまま食べるような生活をしているので、どうして彼女が自分を気に入ってくれたのかはいまだに謎のままだ。

だが、彼女はなぜか自分を「彼女と同じ人種」とみなし、「私たち」とよく表現していた。

自分にとっての彼女との関係は、ほんのちょっとだけ背伸びした「ありたい自分」でいられる関係だったのではと思う。

きちんと生活し、きちんと装い、気持ちよく暮らしている私でいられる時間。

とても貴重な時間だったと今改めて思う。

べたべたする人ではなかったので、回数は多くないが、年に2~3回、会ったときはものすごくいろんなことを話した。

美しい音楽や絵画、ファッション、美容などその時々で興味があること、人間関係、お互いのパートナーのこと、家族のこと、仕事のこと、体調のこと、ありとあらゆることを話して、いつも時間が足りなかった。

彼女の言葉には不要なものがなくて、いつも心の底からの言葉だった。社交辞令やどうでもよくあわせるなどということは彼女の中には存在しない。だから彼女の言葉には嘘がなくて、シビアではあったけれど、優しかった。

彼女自身も前の職場をやめたり、持病が判明したり、私が転職したり、色々なことを積み重ねてきた昨年、それは突然起きた。

告知


前述のように彼女は持病があったため、コロナのリスクが高く、会うのを控えていて、会う代わりにラインの連絡が増えていた。そんな中、がんが見つかって入院して手術すると連絡がきたのが、昨年2021年の春。

コロナで病院は面会禁止で、差し入れとラインでやりとりをする中、術後の結果がでた6月に、夜少しだけ会うことができた。

そのとき彼女からかなり進行したがんがみつかり、抗がん剤の治療を進められているが、多少寿命が延びても、動けないのでは意味がないし、見苦しくなるのは嫌だから、治療は受けないつもりだと言われた。

自由に動ける間は動いて、どうしても動けなくなったら、病院に入り、緩和ケアを受ける。

自由に動ける時間は三か月。

これは神様からの贈り物で、大切な人たちにお別れをいうことができる。すごくありがたいと彼女は言った。

他人に話したのは私が初めて。パートナーにも言っていない。もしかしたら言わないかも。

重荷を背負わせてごめんね。

逝ってしまうまでの短い間に何度も繰り返された言葉。

伝えてくれてありがとうと私は言い、できるだけのことをするから何でも言ってほしいと伝えた。

それから私たちは退院したら、まず彼女が食べたい鰻を食べに行く約束をして、その日を終えた。

向き合う日々


退院した彼女は怒涛のように荷物の整理をはじめ、冬物は全部処分したりとすごい勢いだった。動いていないと不安な部分もあったと思う。自分の中でリストを作り、内緒でお別れをしていった。

バツイチでこどものいない彼女の近い身内は弟さんとその子供のかわいがっていた甥っ子だったが、あいにくどちらも海外に滞在中で、コロナの影響もあり、簡単に行き来ができない状況だった。

もともと人に迷惑をかけることを極端に嫌がっていた彼女は、弁護士秘書をしているOさんという友人に相談し、手続きをやってくれる、これまた素敵な弁護士さんをみつけて、すべてを託すこととした。

怒涛のように手続きを進める中、何度も会い、ラインのやりとりをして、これまで以上にたからもののような時間を過ごした。

そんな中で、彼女が乱れたことはほとんどなく、むしろどんどん魂が浄化され、どんどん、どんどん優しくなっていった。

もともと優しい人だったが、厳しさに隠れていた優しさが、全面に出てきたような感じだった。

「私のまわりの人たちはみんな優しい」というのが最近の彼女の口癖だったが、その都度私は、あなたが優しいからだよと返していた。

人はこんなにも優しくなれるのだと、彼女に見せてもらった。

彼女は相変わらず時々「重荷を背負わせてごめん」と繰り返したが、むしろこんな体験をさせてもらってありがたいと、伝えた。

すべての経験は唯一だけれど、ほんとうに特別な体験だった。

実際にはいつも深い話をしていたわけではないけれど、限られた時間をむだにせず、惜しむような日々を送り、思いのほか、長く大事な時間を過ごした後で、彼女は年末に入院した。

旅立ち

当初はコロナもまた拡大し、万一入院できなかったりすると困るから、念のための入院と聞いたが、結果としては、これが最後の入院となった。

本当は面会禁止だが、偶然(笑)顔を合わせることは看護師も見逃してくれたので、入院してからもちょっとだけ顔を見たり、話したりできたのが、だんだん自力で動けなくなり、会えなくなってきたある日、面会の手続きをするよう彼女からラインが入った。

入院前から言われていて、最後の時が近づいたら、何人かお別れをさせてもらえるので、そのメンバーに入れておくと。

10分ずつ3人までということで、私と弁護士の先生と、弁護士事務所の友人のOさんだった。

すぐさま病院に連絡し、ワクチンの回数で危なかったが、なんとか面会許可をもらい、すっとんでいった。

結果としては30分ぐらいいさせてもらった。酸素チューブもつけた状態だったが、いつも以上に他愛のない話をして、すごした。

ただ、棺に入るときのお化粧を頼まれ、そこで初めて見送ってもいいんだとわかった。彼女のことなので、全部すんでからしか連絡しないようにしていてもおかしくなかったから、私はどこまで自分がかかわれるのか、その時点でもわからなかったのだ。

私と彼女の間では次の世界でも必ず会うということになっていたので、彼女はいつも大好きなパリに旅立つような感じで、ちょっと行ってくるといい、私はいってらっしゃいと言って、お互いじゃあまたねといって別れた。

次の世界で、じゃあ、またね。

2日後からラインが既読にならず、4日後に弁護士の先生から連絡が来た。病院に駆けつけ、霊安室の彼女にお別れをした。

葬儀は奇しくも彼女の誕生日だった。

弁護士の先生、事務所のOさん、弟さんの奥さん、私の4人で見送った。

知らせたら来たい人はたくさんいただろうが、彼女の意向でそうなったのだ。先生は僕とOさんの二人かと思っていたけど四人でよかったと言っていた。

彼女の希望通りの黒いけれども華やかなドレスで、これも希望の赤いバラと白い百合に囲まれて棺に眠る彼女を見て、Oさんが白雪姫みたいだと言ったが本当にきれいだった。

写真に残したかったが、もともと写真をとても嫌がる人だったので、あきらめた。とてもたくさんの時間を過ごしたが、残るのは記憶の中だけ。

そして、お骨も本人の希望で散骨となった。

ハワイ時間の9月9日、日本時間の今日9月10日 彼女が愛した甥っ子さんの手により、思い出の地、ハワイの海に還った。

散骨まではお寺にお骨預けてあったので、時々お参りに行った。もうそれはできないけれど、どこにあるかは関係ない。彼女はいつもみんなを見ているから。

私のイメージでは彼女は天にいて、うふふっと笑っているのだけれど、海と空はつながっている気がするので、それでいいのだ。海も空も私たちを包み込んで守ってくれる場所だ。

彼女が元気な時以上に、彼女のことを感じている自分がいる。

彼女に守られていることを感じている自分がいる。

それは旅立った彼女からの最大の贈り物。

ありがとう。

そしてまた会いましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?