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故郷の桜


毎年、桜の季節になると思い出す。


私は勤労学生だった。
看護師になるために看護学校に通いながら病院で働いていた。


そこに入院していた患者さん。
確か50代の男性で、末期の胃癌だった。状態が良くなく、
ほとんどベッド上で過ごしていた。


春先のある日のこと。

検温に行った時に、

「良いお天気ですよね。もうすぐ桜の季節ですね」

と、当たり障りのない気候の話をした。

「そうだね。僕は東北出身なんだけど、このへんより桜が咲くのが遅いんだよ。」

「そうなんですね。いつ頃咲くんですか?」

「ゴールデンウィーク頃かな。もう長いこと帰ってないけど、故郷の桜、綺麗だったなぁ。また見れるかなぁ…」

と言って、私を見るでもなく、視線を泳がせた。


もう、外出することはできない状態だった。
告知はされていなかったが、もう見ることができないと本人もわかっていたと思う。

見れますよとは言えなかった。
嘘はつけなかった。
本当のことなんか、もっと言えなかった。

当たり障りのないはずの気候の話は、
とても気不味い話になってしまった。

まだ若く経験の浅い私は、
「そうですね…」
と、何とも言えない言葉を返すのがやっとだった。


あの時、私は何て言えばよかったのだろう?

そう、桜の季節になると、
毎年、あの時のことを思い出すのだ。




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