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【小説】ワーママ!vol.1-1

1.国立映美 二十九歳 シングルマザー
 
「申し訳ありませんが、お先に失礼します!」
国立映美(くにたちえみ)は同僚達にほぼ九十度の角度で頭を下げると、素早く職場を後にした。
昼休みが終わり午後の仕事に取り掛かったところで、娘の咲良(さくら)の通っている保育園から映美の携帯電話へ着信があった。
咲良が発熱したので迎えに来て欲しいという連絡だ。
片付けなくてはならない仕事は幾つも残っていたが、同じ班の同僚に謝罪しつつ、分担してやって貰えるようお願いした。
「こっちは任せてください。娘さん、お大事に」
そう声は掛けて貰えたが、元々の仕事に加えて映美の仕事のフォローとなると残業は必須である。きっと内心穏やかではないはずだ。
「はあ…」
最寄り駅に向かって早足で歩く。頭を切り替えなくては、と思うが、職場への申し訳無さと居たたまれなさに思わず溜息が出る。
まだ日の高いオフィス街は、人通りもまばらだ。ふと道路を挟んだ向かい側の歩道に目をやると、映美と同年代くらいの女性が腕時計を見ながら足早に歩いていた。
彼女は仕事だろうか。それとも、映美と同じように保育園からお迎え要請がきたのだろうか。
――お仲間だったら良いな。
そう思った。

「ママぁ!」
「あ、国立さん。お帰りなさい」
保育園に着くと、赤い顔をした咲良が駆け寄ってきた。一緒に担任の保育士も歩いてくる。
「咲良ちゃん、給食を食べた後くらいからお熱が上がってきて、先ほど測った時には三十八度でした。吐いたりはしていませんけど、感染症だと困るので、念の為、病院を受診して貰えますか?」
「分かりました。これから連れて行きます」
時計を見ると、ちょうど掛かりつけの小児科の午後診療が始まったばかりの時間だ。
発熱のタイミングが良い点はありがたかったな、と不謹慎な考えが頭の隅に浮かぶ。
発熱がお昼前だった場合、午前の診療時間に間に合わず、一度帰宅してから午後の診療開始時間まで待ち、再度病院へ行かなくてはならないところだった。手間もあるし、何より子供の身体への負担も大きくなるように思える。
「咲良ちゃん、お大事にね。お熱、早く下がると良いね」
「せんせい、さようなら」
咲良は手を振ると、映美の横に並んで歩き出した。
 
小児科では、診察の結果「風邪ですね」と言われ、鼻水や喉の腫れを抑える粉薬と、高熱になった場合の座薬を処方された。
とりあえず、感染症ではなかったことにホッとする。
風邪であれば解熱さえすれば保育園へ行ける。しかし感染症の場合、その種類によって数日~一週間単位での自宅待機となってしまう。インフルエンザは解熱後五日間、手足口病は解熱し発疹が消えるまで等、細かく指定されている。その待機期間が書かれた書類を見た時、映美は軽く目眩を覚えた。その間は必ず家で咲良の様子を見ておく必要がある、ということだからだ。
映美の幼い頃は、熱があっても一人で留守番することなど日常茶飯事だった。逆に、誰もいない昼間の家の中で布団に入り、普段は見られないテレビ番組を好きなだけ見られる“非日常”が楽しみでもあった。だが今の御時世、幼児(しかも病児)を一人で留守番させるなど言語道断である。
「こんな時、旦那がいる人だったら交代で休んだり出来るのかなあ…」
病院から帰る道すがら、ふと頭をよぎった考えを、次の瞬間、全力で否定した。
「いや、あの人だったら、こんな状態になっても絶対に休んでくれる訳がないわ」
 
映美は、咲良が一歳になる前に離婚している。
原因は元夫・岩瀬孝和(いわせたかかず)による精神的DVとモラハラだ。
元々、亭主関白な部分はあったが、付き合っている間や結婚した当初は「そういう性格なのだ」と然程気にしていなかった。
ハラスメントが前面に出てきたのは、映美が咲良を妊娠した直後である。
孝和は映美が妊娠したら、仕事を辞めて専業主婦になるのが当然だと思っていたらしい。しかし、映美は仕事を辞めるのは嫌だと主張した。仕事が好きだったし、何より一旦正社員の椅子を下りると、再就職は難しくなる。
「家計も、一馬力より二馬力の方が良いと思うの。この先、どんなことがあるか分からないし。だから、私は働き続けたいと思ってる」
この言葉が、孝和の逆鱗に触れたようだった。
「俺が、家族すら養えない人間だとでも言うのか?!」
これまでとは違う剣幕に、映美は驚きで声が出なかった。
「そんなことを言う奴だとは思わなかった!だったらやればいい。俺はこの先、一切のことを手伝わないからな!!」
そう宣言し、そして実際、何も協力してくれなかった。
間もなく悪阻が始まり、映美が吐き通してフラフラになっていた時も、家事は全て映美が担っていたばかりか、孝和は気遣う言葉すら掛けてくれなかった。
「ごめん、今日は疲れて食事の支度が出来ていなくて…」
そう言うと、あからさまに嫌な顔をされ、
「自分が仕事を続けるって選択したんだろう。役に立たないな」
と、吐き捨てるように呟かれた。
洗濯物が溜まったままになっていると舌打ちをされ、部屋の隅に埃を見つけると「ここ、汚れてる」と不機嫌を隠さない声で指摘された。
孝和の態度や言葉に、映美は日々精神が削り取られていくような気持ちだった。しかし、産まれた子供の顔を見れば孝和も変わってくれるんじゃないか、考え方を変えてくれるんじゃないかと思い、必死に耐えた。
何とか産休に入り、無事に咲良を出産したが、しかし、産後も孝和の態度が変わることはなかった。
咲良の夜泣きが五月蝿いと言って耳栓をして眠り、沐浴はおろか、ミルクをあげることすらも、一切してくれなかった。
抱っこは気まぐれに何度かしてくれたが、咲良が泣き出すと「お腹が空いたんじゃない?おむつかな?」と映美の腕に返す有様だ。
いま思い返せば、初志貫徹する鋼鉄のような意志に感心してしまう程だが、もちろん当時はそんなことを思う余裕もなく、とにかく毎日を過ごすことに必死だった。
 
手を差し伸べてくれたのは、咲良の一ヶ月検診で出会った保健師である。
顔色が悪く、咲良を抱っこ紐で抱えたままふらふらと歩いている状態の映美を呼び止め、咲良を別の保健師に預けて小さな談話室で話を聞いてくれた。
「大した話じゃないんです。それより早く帰らないと…」
「大した話じゃなくても聞きたいのよ。どんなことでも良いから話してみて」
妊娠中や産後に孝和から言われたこと・されたことをぽつりぽつりと話し始めると、涙が溢れて止まらなくなった。
「映美さん、あなた、ここまで一人ですごく頑張ってきたのね」
背中を優しく撫でながら、映美の母親くらいの年齢と思しき保健師は言ってくれた。
自分を肯定してくれる言葉が疲れ果てた心に染み込み、映美は嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。
「すみません…。こんなに泣いて、私の方が子供みたい」
「良いのよ、何も気にすることはないわ」
包み込むような声と同時に、1枚のポスターを見せられた。『それは暴力です』とメッセージが書かれている。
「あのね、映美さん。旦那さんがやっていることは、ここに書かれてある精神的DVに該当します。やってはいけないことなの。そのせいであなたの心は相当ダメージを受けてる。一度、心療内科に行ってみることを薦めます」
穏やかな、しかし、きっぱりとした声で言われた。
「あと、どなたか家のことや育児に手を貸してくれる人は居ない?必要なら代行サービスを紹介するけど、旦那さんの様子を考えると家に他人を入れるのは逆効果かもしれない。実家に帰れるのなら帰った方が良いと思うわ」
保健師はやるべきこと、やった方が良いことをさらさらとメモ用紙に箇条書きし、映美の手に握らせてくれた。

保健師の言葉に背中を押され、近所の心療内科に電話をかけてみた。幸いにも数日後に受診でき、『抑うつ状態』の診断と共に必要な薬を処方された。
そして孝和から逃げるように最低限の荷物だけを持って、咲良と一緒に隣県の実家へ帰った。
事の成り行きを全て話すと、両親は激怒し、義両親と孝和を呼んで五人(映美は心理的負担が大きいからと、留守番になった)で話し合いが行われた。
「映美が自分で選んだ道でしょう。俺は悪くない」
孝和は、そんな言葉を両親の前で堂々と言ってのけたらしい。義両親も、すまなさそうな顔はしていたものの、
「母親たるもの、家事と育児に専念するものではないか。それに岩瀬家の嫁になったのだから、ゆくゆくは私達のことも見て欲しいので、仕事を辞めるなら今のうちに…」
という、恐ろしくタイミングを読み間違えた主張をしたそうだ。
「家政婦や介護士は立派な“仕事”だ!!うちの娘は、賃金無しで働くあなた方の奴隷ではない!!!」
映美の父が怒髪天を衝く勢いで叫び、話し合いはそこで終わった。
 
結局、育児休業中に離婚が成立した。
映美は咲良と二人で暮らすアパート探しや引っ越し等で何度か隣県の往復はしたものの、一年間の育休期間ギリギリまで実家で過ごした。
母子二人となったので早めに復帰して働かなければという気持ちはあったが、うつの診断があったこともあり、両親が頑なに「早まるな。会社が許す範囲までは休んでおけ」と言って譲らなかった。
今となっては、両親のその判断は正しかったと思う。しっかりと体調を立て直す期間があったからこそ、今、働き続けることが出来ている。
また、やはり育児をする時に自分以外の大人の目や手があるというのはありがたかった。自分一人で咲良を見ていた時には、食事は掻き込むように食べ、トイレさえも隙を見て行かなくてはならなかった。ゆっくり食事が出来ることがこんなに幸せなことだったとは…。休業期間中だけは、両親の好意に素直に甘えさせて貰った。
“離婚”という出来事への精神的ショックも少なからずあったが、日々成長する咲良の可愛らしさに集中することで、そのショックも和らいだ。
一ヶ月検診の時に話を聞いてくれた保健師も何度か実家へ電話をくれ、「最近はどう?こちらに戻ってきたら、またいつでも話をしにいらっしゃい」と気遣ってくれた。
また実家がある自治体の保健センターにも連絡をしてくれたらしく、そこの保健師からの訪問もあった。こちらはかなり若い女性だったが、「私も育休復帰したばかりなんですよ」と言われ、子供のことなど色々と話が弾んだ。
また近くの児童館や子連れで行けるイベントも教えてもらい、体調に合わせて参加することで沈んだ気持ちも徐々に回復していった。
保育園の入園も激戦と言われていたが、シングルマザーになったこともあって、自宅アパートの近くの園にすんなり入ることが出来た。
ただ、やはり問題は復帰した後だった。

vol.1-2へ続く↓↓↓


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