【小説】おにぎり屋一粒種
「はぁぁ、つかれた…」
無意識に声が漏れる程に、美帆は疲弊していた。
担当している仕事にトラブルが発生し、ここ10日は終電ギリギリでの帰宅が続いている。
夕飯は、同期の夏希が差し入れてくれるコンビニ弁当かファストフードだ。
外に食べに行く余裕が無い訳ではないが、少しでも早くトラブルの元となったバグを修正したい。
なので、夏希の好意はとてもありがたいし、毎日違うもの(一昨日はハンバーガーセット、昨日はパスタとサラダ、今日は幕の内弁当)を選んでくれる気遣いもとても嬉しい。
けれど、やはり少し飽きてきているというのが本音だ。
それに、パソコンと向き合ってかきこむように食べる食事はとても味気ない。
自分で選んだものをゆっくり食べたい…。
出来れば、温かくて優しい味のもの…。
でも終電間際じゃコンビニやファミレス、居酒屋くらいしか開いてないよー!!
夏希は受付なので、毎日定時の5時半に終業する。
その為、差し入れの夕飯を食べる時間は大体6時。
そこから仕事を終えるまでは飲み物しか口にしてない状態だった。
こんな時間に夜食をとったら体重に還元されるのは確実…とは言え、空腹なのは確かだった。
9月に入ったが、まだ夜になっても蒸し暑さが残っている。
最寄り駅から自宅までの道を歩きながら、美帆はじっとりと湿気をはらんだ空気に顔をしかめた。
「コンビニで何か買って帰ろうかな…」
ふと、路地の向こうの看板が目に入った。
“おにぎり屋 一粒種”
キャスター式のスタンド看板には灯りが点いている。
ということは、まだ開いてるってことなのかな…??
吸い込まれるように近付いていくと、ドアには『OPEN』と書かれた札が下げられていた。
中は見えなかったが、そんなに大きな店ではなさそうだ。
おにぎりなら夜食にもぴったりだな。。
そう考えて、思いきってドアを開けた。
「いらっしゃいませー」
女性店員の涼やかな声が響いた。
カウンター席が5席と4人掛けのテーブル席が2つ。本当に小さな店だ。
「お持ち帰りですか?店内で食べることも出来ますよ」
店内を見回しているとカウンターの中から店主と思われる女性に声を掛けられる。
他に店員が見当たらないので、この女性が1人で切り盛りしているようだ。
「えっと…まだ閉店時間じゃないんですか?」
「うちは1:30ラストオーダー、2:00閉店なので大丈夫です。ご遠慮なく!」
にっこりと笑った店主の顔にホッとして、
美帆は「じゃあここで食べます」と言いながら、カウンターの一番奥の席に座った。
「こちらがおにぎりの具のメニューです。店内でなら味噌汁がついたセットにも出来ますよ」
定番の鮭やたらこ、昆布、梅などの他に天むすや炊き込みご飯のおにぎりもある。
味噌汁も白味噌、麦味噌、八丁味噌や豚汁から選べるようで、目移りするくらいメニューが豊富だ。
「ええっと、じゃあ、おにぎりはたらこと鮭、麦味噌汁のセットでお願いします」
「はい!おにぎりはたらこ、鮭。それと麦味噌汁ですね。少々お待ちください」
カウンター席なので、店主がテキパキと動いているのが見える。
ビニール手袋をはめて炊飯保温機を開け、湯気の立つご飯を素早く握っていく。
そういえば、家でしばらくご飯を炊いてないな、、と美帆はぼんやり考えた。
実家が米農家のため、定期的に母から精米したての米が送られてくる。
しかし最近は自炊する余裕もなく、自宅の米びつの中身は減らないままだった。
「お待たせしましたー。麦味噌汁のセットです!」
ハキハキした声に我に返ると、目の前にお盆が置かれた。
空腹だったことを思い出し、口の中に唾が出る。
「…いただきます」
手を合わせて小さな声で呟き、予想していたものより大ぶりの鮭おにぎりに齧り付いた。
「ふぁつっ」
熱々のご飯で口の中を火傷しそうになる。
はふはふと空気を吸い込みながら咀嚼すると、パリパリの海苔、鮭の塩味が同時に感じられた。
美味しい!!!
思わず夢中になって二口、三口と齧り付いてしまう。
味噌汁も、少し熱めの汁に麦味噌の甘みが感じられて、身体の中から温まる感じだ。
そういえば、九州にある美帆の実家も、味噌汁と言えば麦味噌だった。
東京では麦味噌はなかなか売っていないので、久しく 味わっていなかった。
懐かしい味に顔がほころぶ。
横の小皿には香の物が付いており、胡瓜と茗荷とセロリの浅漬けだった。
出汁と塩気のバランスが丁度良く、カリカリとした歯ごたえも心地よい。
がっついたつもりはなかったが、あっという間に食べ終えてしまった。
「食後に温かいほうじ茶はいかがですか?」
店主が大ぶりの湯飲みにたっぷりのほうじ茶を注いでくれた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「こう言っては失礼かもしれませんけど、美味しく食べていただけたようで何よりです」
「あはは、お恥ずかしい…。でも、とっても美味しかったです。このお茶も、とっても良い香りですね」
「あ、嬉しい。私が焙煎したんです、その茶葉」
「えっ、自分で?!」
「そうです。緑茶のお茶葉をフライパンで炒めるだけなんで、簡単なんですよー」
笑いながら話す店主と向かい合って熱いお茶を飲んでいると、美帆は心の底からリラックスしている自分に気が付いた。
こんな気持ちになるのも久しぶりだ。
空腹も満たされて、気持ちも温かくなった。
良いお店を見つけたな、と思いながら店主に会計を伝える。
「ありがとうございます。お昼には定食もやってるので、是非またいらしてくださいね」
「えっ、昼間も営業されてるんですか?」
「姉妹で交代でお店に出てるんです。昼間は妹が担当で。夕方は2人体制でやってますけど、夜はお夜食がてら来てくれるお客さんがいらっしゃるので私が担当して、営業時間を延ばしたんですよ。」
2人でとはいえ、そんな長時間では大変なのではなかろうか…。
「これ、ショップカードなので、どうぞ」
おにぎりのイラストが描かれているカードには、なるほど、営業時間は
〝11:00~14:30(14:00L.O)
17:00~2:00(1:30L.O)”となっている。
おにぎりだけでこの美味しさなら、お昼の定食のおかずもきっと美味しいはず。。。
「また是非、食べに来ます!」
ドアを開けるとまた蒸し暑い空気が漂ってきた。
しかし、先ほどよりも不快には感じなかった。
寧ろ足取りは軽い。
「バグのリカバリまであともう少し。明日からまた頑張ろう」
美味しいご飯に元気をもらって、美帆はまた歩き出した。
*小説サイト『エブリスタ』で、“鈴乃さくや”名義で公開していたものです。
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