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【小説】しあわせ

私は幼い頃、「しあわせ」を「しやわせ」と言っていた。
美味しいものを食べた時。
遊園地に行って楽しかった時。
欲しかったものを買ってもらった時。
「しやわせ~」と言いながら“にしゃっ”と笑った私の顔を、父も母も微笑みながら「とっても可愛かったよ」と語ってくれた。

私が就職した年、父母は交通事故で他界した。
実家のクローゼットに仕舞われていたアルバムには、「しやわせ」な顔をして笑う私の写真が年齢順に綺麗に整理されていて、ページをめくる度にはしゃぐ私にカメラを向けていた父の姿と、現像された写真を微笑ましく眺めながら1枚1枚大切にアルバムへ貼り付けていた母の姿が思い出された。
もう二度と父にも母にも、私の「しやわせ」な顔を見せられないのだと思って涙が溢れた。

「しやわせ」の顔を閉じ込めて数年。
一人の男性に出会った。
出会いは友人に誘われた、所謂合コンというものだったけれど、友人たちの話を心の底から面白いと言った顔で笑い、お酒やご飯をとても美味しそうな顔で食べている姿を見て、「ああ、傍から見た“しやわせ”って、こういう姿なのかも」とぼんやり思った。
彼は彼で、表情の殆ど変わらない私のことが気になったらしく、お開きになった後で連絡先を聞かれた。
軽やかに次に会う約束まで取り付けられ、あれよあれよという間に数回デートを重ねた。
行く先はお決まりのような映画や食事だったけれど、不思議なくらいに彼と私は好みが合った。
ある日、彼がオススメだと連れて行ってくれたカレー屋のキーマカレーを食べた瞬間、
「んんっ、しやわせ~!」と声が漏れた。
そう言った自分にビックリして横を見ると、彼は「そういう顔が見たかったんだ」と言って“にたっ”と笑った。

彼と過ごした時間は、「しやわせ」だった。
でも、私が本当に、心の底から求めていた「しやわせ」は、埋められなかった。
彼と付き合い、月日が経つ事に、周囲は段々と結婚し、子供を持つ人が増えていく。
彼は、“結婚”ということを嫌がっていた。
「紙切れ1枚にどうして縛られなきゃいけない?」
「そんな契約がなくても、“家族”として過ごしている人は沢山いる」
確かにそうかもしれない。
でも、私が本当に欲しい「しやわせ」は、その紙切れの中にこそ、あるのだ。
それに気付いてしまってからは、もう彼とは一緒に居られなかった。
意見は平行線のまま折り合いはつかず、私たちは別れた。


「おかぁしゃんっ!」
振り返ると、幼い娘が“にしゃっ”と笑って私に抱きついてきた。
私の胸に顔を埋め、「しやわせ~」と呟いている。
娘の後ろから、夫となった人がゆっくりと歩いてくる。

私が欲しかったもの。
父と母に見て欲しかったもの。
私の求める「しやわせ」。

長い時間をかけてようやく手に入れた私だけの「しやわせの形」を、しっかりと抱きしめた。



*小説サイト『エブリスタ』で、“鈴乃さくや”名義で公開していたものです。

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