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【小説】ワーママ!vol.2-2

前回の話はこちらから。

その後も、何度か“亜美さん”の都合がつかない時にシッターとしてアルバイトに呼ばれた。真波が予想以上に公佳に懐いたという点も大きかった。
ほぼ毎日、真波から「今日はキミちゃんは来ないの?」と聞かれると百合香に苦笑まじりに言われ、とても嬉しかった。
百合香を好きということもあったが、それ以上に真波が可愛く、成長を見守りたいという気持ちも大きくなってきていたのだ。
また、バイトを続けるにつれ、真波が眠った後にリビングでお茶を飲みながら昼間の報告をするのが常となり、その時に田嶋家の事情も少しずつ分かってきた。
もう一人のシッター役である“亜美さん”は、やはり百合香の元恋人であること。
学生時代に知り合い、ずっと付き合っていたこと。
百合香が三十五歳になった頃、『子供が欲しい。出来れば自分もしくは亜美と血の繋がりのある子供を。そして二人で育てたい』と望んだこと。
しかし、それを受け入れて貰えず、別れたということ。
それでも『例え自分一人ででも、子供を産み育てたい』という気持ちが止められず、男友達に全てを打ち明けて協力してもらい、真波を産んだこと。
男友達には認知もしてもらわず--一切の援助も受けず百合香一人で育てるというという誓約書まで交わしたという--真波は”非嫡出子“として届けてあるということ。
百合香のセクシャリティや未婚で子供を産んだことの理解が得られず、親から絶縁されたこと。
保育園の件で頼る場所が見つからず、結局亜美に頭を下げてお願いしに行ったこと。
今は、亜美は“良き友人”として、公佳と同じくアルバイトとして協力してくれていること。
語られた内容はまるで小説の中のことのようだったが、 公佳には何となくすべてが“百合香らしい”と思えることだった。
そして、一層強く、百合香と真波の力になりたいと思うようになった。
 
シッターを初めて数ヶ月が経った十二月。
大学は試験の季節になった。試験ともなるとやはり学生らしく忙しくなる公佳を慮ったのか、それとも“亜美さん”の都合がつく日が多かったのか、暫くシッター依頼が来ない日が続いた。
翌日は試験がなく、その次の日は資料の持ち込みが許可されている試験で最後だったため、公佳は何となく田嶋家へ足を運んでみたい気持ちになり、手土産のケーキを買って電車に乗った。
マンションの入り口で呼び出しボタンを押すが、応答が無い。
―出掛けてる?でも、もう夕方だけど。
百合香は真波の生活リズムだけは神経質なほどに気を使っており、公佳にシッターを頼む時もご飯やお風呂、寝る時間だけは守らせてくれと頼まれていた。自分が不規則な生活で執筆活動をする分、子供にしわ寄せは行かせたくないという親心らしい。
この時間は、いつもならほぼ必ず在宅してご飯を食べている時間だ。
何か嫌な予感めいたものがして、公佳は預かっていた合鍵を取り出した。
念の為、部屋のチャイムを押しても反応が無かった。意を決して、鍵を開ける。
「お邪魔します…」
家の中は静かだが、正面のリビング扉のガラスと、そして廊下の途中にある百合香の仕事部屋のドア下からは電気の光が漏れていた。
そっと仕事部屋の前を素通りして、リビングの扉を開ける。
「…!」
リビングのTVの前で、真波が倒れていた。真っ赤な顔をして息が荒い。額を触ると、かなりの熱さだった。
「先生!先生!開けてください!」
百合香の仕事部屋に取って返し、ドアを力一杯ノックする。
「えっ、藤田さん?!」
百合香が公佳の顔を見て驚く。
「先生、真波ちゃんが!救急車を呼んでください!」
慌ててリビングへと向かった百合香は、ぐったりと倒れている真波を見るやいなや悲鳴を上げた。
「―真波!」
 
搬送された救急病院で、真波はインフルエンザから肺炎を併発していると診断された。入院が必要だという。
真波のことも心配だが、病院に居る限り医師や看護師に任せることが出来る。百合香の方がかなり動揺して、半ば錯乱状態だった為、手続きや一旦家へ戻っての入院準備なども全て公佳が付き添った。荷物を持って再び病院へ戻った時には真夜中になっていた。
「ありがとう。藤田さんが来てくれなかったらどうなってたか…」
消灯後の病院の廊下の椅子に座り、百合香が力なく項垂れている。
「急遽、エッセイの仕事が入ったの。亜美は都合がつかなかったんだけど、この位なら数時間で出来ると思って、真波に『DVDを見てて』って言って仕事部屋に…。でもなかなか出来なくて、あんなに時間が経ってたのも気付かなくて…」
百合香は、自販機で買った温かいコーヒーの缶を握りしめる。
「あの子、確かに今日は普段よりも大人しかった。苦しいのを我慢してたのかもしれない。それなのに気付きもしないで…。母親失格ね、私」
「…」
公佳は何と言って良いか分からず、黙って百合香の背中を撫でるしか出来なかった。
「一人で子供を育てるのが、こんなにも困難だなんて知らなかった。“育てる”ってことを軽く考えていたのかもしれない。私の判断は間違いだったのかな…。どうしよう、このままだと、私が、真波を不幸にさせてしまうかもしれない」
「そんなこと…、そんなこと、ないです!」
思わず叫んだ公佳の言葉に、百合香が顔を上げる。
「真波ちゃんは、楽しそうでした。お絵かきでは先生と二人で歩く絵を描いて、折り紙は『ママに見せる』って大切に箱にしまって。ままごとでは『ママのカレーだよ』ってご飯を出してくれるんですよ!真波ちゃんは、先生のことが大好きなんです」
公佳は、いつのまにか自分が泣いていることに気付いた。
「それに先生は、努力してるじゃないですか。真波ちゃんと一緒に、幸せに暮らすための努力。私にシッターを頼んだのも、そのためでしょう?だから、先生の傍に居る限り、真波ちゃんは決して不幸にはなりません。何の根拠もない言葉かもしれませんけど、でも、絶対、絶対、大丈夫です!」
「うん…。そうだね。ありがとう、藤田さん」
百合香の頬にも涙が伝っていた。
「困った時は私が居ます。私も一緒に真波ちゃんを見守りたい。あの子が育って行くところを見たい。百合香さんを、一人にさせない!」
公佳は、隣に座る百合香をぎゅっと抱きしめた。籍を入れた時に誓ったことを今また心の中で呟いて、公佳はキッチンへと急いだ。

「好きです。こんな時に言うのは反則なのかもしれないけど、私も、百合香さんと真波ちゃんの生活の中に入れてください。二人で、真波ちゃんを育てていきましょう」
 
あの深夜の告白から七年が経った。
真波が退院するのとほぼ同時に、公佳は一人暮らしをしていたアパートを引き払い、百合香のマンションに半ば強引に住み始めた。真波は「キミちゃんがずっとお家にいるの?嬉しい!」と素直に喜んでくれた。
その二年後、公佳が二十歳になったのを機に、正式に養子縁組の手続きをした。百合香の親は絶縁している為、会うことは叶わなかったが、公佳の親には籍を入れる前に三人で挨拶に行った。驚かれ、最初は反対もされたが、時間をかけて説得し、最終的には納得してくれた。今では有難いことに真波を“孫”として可愛がってくれている。
しかし、入籍を一番喜んでくれたのは意外なことに“亜美さん”だった。「百合香に、貴方のような頼もしいパートナーができて嬉しい」と心から祝福してくれた。二十も年下の公佳を“頼もしい”と言ってくれて、何だかくすぐったいような気持ちにもなったが、素直に嬉しかった。今でも時々、亜美の新しいパートナーと二人で田嶋家へ遊びに来てくれる。
 
「キミちゃん、遅いー。お鍋の具財出しといたよ!」
キッチンから公佳を呼ぶ声がする。
「はいはいー、今行くから!」
返事をしながら、ベッドサイドに飾っているフォトフレームをちらりと見る。養子縁組の届けを出した後で、三人で撮った記念写真だ。三人共、笑っている。
(三人でいる限り、絶対不幸にはならない。そのための努力は、決して怠らない)
籍を入れた時に誓ったことを今また心の中で呟いて、公佳はキッチンへと急いだ。

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