物語のはじめの一歩
少し前にこんなつぶやきをした。
1月の初めから取り組んでいた原稿をとある新人賞に送り一息ついた後、新作のプロットを完成させ、さあ初稿を書くぞ、となるといつもこのような症状に襲われる。
いざ書き始めてみるとクオリティの話は置いておいて筆は進むのだが、第一歩目が重く、なかなか書き始める気力がわかない。
それにかなりの文字数を書いてある程度自分の文体が出来上がってきていると思うのに忘れている。
自分と同じ症状に陥っている人もいるのではないか、と思ったのが本記事を書くきっかけである。
自分に対してお尻を叩く意味合いもある。
とりあえず考えられる原因は3つほど考えられる。
1、完璧主義
2、可能性の広がり
3、スタートの重要性
一つずつ考えていこう。
1、完璧主義
これは分かりやすい。自分も含めて物書きというのは基本的にめんどくさがりが多いと勝手に思っているので、なるだけ改稿せずに脱稿したいがそうもいかない。
時間と気力が許す限りとりあえず書いて改稿を繰り返し、ブラッシュアップすれば解決するのだ。
→結論としてとりあえず書けばなんとかなる。
あ、あ、あ、とか。
2、可能性の広がり
これは演出と構成の問題に近いかもしれない。
文芸において特に前者はプロットの段階で考えることができず、いつも悩む。
どこに焦点を当てるか、どのシーンから書き始めるか。
気に入った文体、文章で表現できるのか。
→結論として書いて手直しをする。
完璧さは自分の中にしか存在しない。
3、スタートの重要性
フックやインパクトをもたせようとしてどう表現したら良いか悩む。
これもよくあることだ。
→書いてから文章を編集して組み替えればなんとかなる。
以上の通り最初の一歩はどう踏み出すのか、というよりも踏み出してから考えるのが逆に賢いのかもしれない。
また文章は身体感覚でひねり出すものだから頭で考えるものでもないのかもしれない。
古くは万年筆、現代ではキーボードと自分の指が勝手に生み出してくれる。
なんだかそう思うと文章が書けそうな気がしてくるから不思議なものである。
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