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オンボロサイクル・ダイアリーズ6

◆これまで
 浪人生時代、勉強に嫌気がさした僕は予備校で知り合った悪友、5浪目の岡野と共に自転車で九州一周の旅に出ました。
 自転車が壊れてしまったり、いろいろあって奄美大島にやって来た僕たちは、縁あって島のシゲ爺という人の家に泊めてもらえることに・・・。


 シゲ爺に案内され、僕らは広い家の一室に通されると、たぶん「ここを使っていいよ。」的なことを言われました。

(奄美大島の方言が聞き取れないものが多くて、僕が想像で補っていたので本当にそう言っていたのかは分かりません。)

僕らは背負っていた荷物をおろしました。続いて、洗面所とトイレの場所を教えてくれ、リビングのこれまた大きなソファに落ち着きました。
 リビングは天井がなく吹き抜けで、太い木の梁がむき出しで見えていて、高い所で大きな扇風機がクルクルと回っていました。

 何だかやけに渋いお茶を出してくれて、僕らが口に入れて苦い顔をするのを見て、ニヤッとしてたぶん「苦いだろ。」と言って笑いました。
 僕らが泊めてもらうお礼を言って、これまでの自転車旅と奄美大島まで来た経緯を話すとウンウン頷いて聞いてくれました。
 奄美大島の名所のどこどこには行ったかと聞かれ、僕らはマングローブ林とハブ研究所しか行ってないと答えると、明日連れていってやると言ってくれました。そして、何か嫌いなものはあるか聞かれ、晩ごはんもご馳走してくれるようでした。
 僕らが「何でも食べる。」と答えると、たぶん「いいもん食わしてやるから待ってろ。」と言って、台所に消えていきました。
 服部の兄ちゃんは、「仕事残してるから行って来るわ。」とまた出かけて行ってしまいました。どうやら僕たちを送るためだけに抜けてきてくれていたようでした。
 僕らは、渋いお茶をすすりながら窓の外の奄美大島の夕暮れの景色がだんだんと暗くなっていくのを眺めていると、やがて台所からシゲ爺に呼ばれました。

 台所の木の机の上には魚の煮物やいろんな料理を載せた皿が並べられていました。しかし、真ん中にドンと置いてある大皿だけは空っぽで、シゲ爺がこれから薩摩揚げや天ぷらなんかを作ってくれて揚げたてを食べさせてくれるみたいでした。
 「ビールも飲むか?」と聞かれ、飲みますと答えると麒麟の瓶ビールも何本か出してくれて「先にやっててくれ。」と言って開けてくれたのでした。
 僕たちみたいな招かれざる客にここまで歓待してくれるなんてと感じ入っていると、たぶん「こっちにもついでくれ」とシゲ爺のお洒落なビアグラスを出してきたので、ビールを注いで僕たちは旅の出会いに乾杯したのでした。

「揚げ物しながら飲むのが美味えんだ。」

とシゲ爺はたぶんそんな事を言っていました。とても手際よく、慣れた手つきでパッパッと揚げていき、薩摩揚げ、さつま芋の天ぷら、かき揚げなんかをどんどん出してくれてどれもとても美味かったです。
 揚げ物が終わるとシゲ爺もダイニングテーブルについて、一緒に料理をつまみながらビールを飲んで、僕らの旅の話や予備校の話をしたりシゲ爺のことを聞いたりしました。
 もっと若いのだと思っていたのですが、シゲ爺はなんと御年88歳の米寿で、10年くらい前に奥さんを亡くしてからは一人暮らしなので、料理もお手の物なんだと言っていました。
 生まれた時からずっと奄美大島にいて、若い時は漁協か農協かで働いていて、息子さん2人は福岡とあとどこだったかに住んでいるそうです。

 そんな話をしながら、ビールを何本か飲んでいたのですが、シゲ爺はたぶん「お前たちなかなか飲める口だねえ。」的な事を言って、秘蔵の芋焼酎を出してきてくれました。
 僕は焼酎は初めてだったのですが、最初試しにストレートで飲んでみたらあまりに強くて、シゲ爺に水割りを作ってもらいそれはとても美味しく飲むことができました。

 そんな風に過ごしていたところ、突然台所の扉がバッと開かれて50代くらいのおばちゃんがドシドシと入って来ました。

「あんた達、人ん家で何やってるの!」

目を吊り上げて怒っています。
このおばちゃんはどうやら近所に住むシゲ爺の姪らしく、シゲ爺の家によくわからない二人組が押しかけていると聞いて飛んできたのでした。

 シゲ爺がおばちゃんに説明してくれて、たぶん「服部の兄ちゃんが連れてきて泊めてやることになった」的なことを言っていたと思います。
 僕らも自転車旅をしてきたことや、ヒッチハイクをしていて服部の兄ちゃんに泊まっていいと言われた経緯を説明しましたが、おばちゃんはカンカンに怒っています。

「あの服部って人だって、親戚なんて言ってるけど、ほんとかどうか分かったもんじゃないんだから。」

と衝撃的なことを言っていました。
シゲ爺の方を伺うと、亡くなった奥さんのお兄さんの孫らしいのですが、確認はとれてないそう。
 僕らが言えたことではないですが、そんなよくわからない人をよく居候させていたなと、奄美大島の人の大らかさに感心してしまいました。

 このおばちゃんは勝代さんと言って、服部の兄ちゃんがシゲ爺の家に居候し始めた頃から気に入らず、目を光らせていたそうですが、それが今回さらに居候が増えたのでカンカンになっていたのです。
 まあまあ、とシゲ爺の方が宥めてくれて、せっかく来たんだからとお茶を入れて出してくれて、それを飲みながら話をしているうちにだんだんと僕らが無害そうなのが伝わったのか、怒りをおさめてくれました。それでも、明日には出て行ってどこかに宿をとることを約束させられ、「それでも非常識よ…。」とブツブツ言いながらやがて帰っていったのでした。

 勝代おばさんが帰って行くと、シゲ爺はまた焼酎を取り出して飲み始めながら、たぶん「気にせんと、ゆっくりしていっていい。」的なことを言ってくれたのでした。
 問題の人物、服部の兄ちゃんは結局夜が更けても帰って来ず、僕らは風呂に入って寝てしまいました。


 翌朝、起きてゴソゴソと荷物を片付けていると、シゲ爺が朝ご飯ができたと呼びに来てくれました。
 ダイニングテーブルにつくと、トーストとベーコンエッグを出してくれました。てっきりご飯に味噌汁だと思っていましたが、シゲ爺は朝食はパン派のようでした。
 朝食を食べた後は、家の隣にある畑で野菜をとったり手入れをするのを手伝いました。トマト、ナス、きゅうり、ピーマンなどいろんな野菜の畝が並んでいました。家で食べるものは何でもここで作っていて、食べきれない野菜は勝代おばさんや近所の人にあげるんだ、と得意げでした。
 僕らも汗をかきながら野菜を収穫したり、雑草を抜いたりと野良仕事をしました。

 お昼ご飯を食べるとシゲ爺は「良いところに連れてってやる。」と言うと車に乗って10分くらいのところにある入り江に連れて行ってくれました。
 そこは細長い湾の奥まった所にある小さな入り江で、砂浜が真っ白に光っていました。
 車を下りて、砂浜に下りてみるとサラサラの白い砂の上にはあちらこちらに珊瑚の欠片が落ちていました。人の指くらいの大きさで、白くて表面がちょっとボコボコしていて軽い石みたいでした。
 僕らはそれを集めてまわると、あっと言う間にかなりの量の珊瑚の欠片が集まり、山を作ることができました。

「こいつを持って帰って売り捌けば大儲けだぜ〜うっしっし。」

 岡野は目を$マークにして邪な金儲けを考えていましたが、シゲ爺曰く、珊瑚を持ち帰るのは法律で禁止されているそうで、岡野はしぶしぶ諦めたようでしたが、コッソリと一欠片ポケットに滑り込ませようとしている所を僕が目撃してしまったので、手首をペシっと叩いて「それ、ノンノン!」と制止したのでした。
 岡野はチッと舌打ちして悔しそうにしていましたが、抜け目のないやつなので油断できません。

 白い珊瑚の砂浜はとても綺麗で僕らは、岬の先の方まで散歩しながら、オーシャンブルーの海と白い砂浜の対比を眺めては感嘆していました。
 浜辺を一周した僕らは、やっぱり海にも入っときたいよなということで、膝まくりしてジーパンが濡れないギリギリの所まで進んで冷たい海の水と、ムニムニした砂の心地を楽しんでいました。
 やがて岡野が手押し相撲をやろうと、良くない提案をしていたので、初手で思いっきり手を突き出してひっくり返してやりました。

「5浪もしてるから体なまってんじゃないの。楽勝だな」

僕が笑いながら勝利宣言してやると、ビショビショになった岡野はヤケクソで飛びついてきて大外刈りをかけられ、今度は僕がひっくり返されました。

「卑怯者、手押し相撲じゃないぞ!」

僕が避難すると、

「正義は勝つ!」

とワケの分からないことを言って海面に飛び込んで、沖の方にクロールで逃げて行ってしまいました。
僕も後を追いかけて、50mくらい泳ぐとやがて岡野は止まりました。

仰向けになって腕をだらんと広げて伸ばしプカプカ浮いています。

「あー奄美大島さいこだなー。」

僕も同じ姿勢になってプカプカ浮きました。

「この世の楽園を見つけたなー。」

僕らは雲一ない青い空をただ眺めながら、波のない穏やかな入り江でしばらくそうしてただ浮かんでいました。
やがて、シゲ爺が浜で待っていることを思い出して泳いで戻ると、

「なかなか泳ぎ上手えじゃねえか。」

的なことを言われカッカッカと笑っていました。
服がビショビショに濡れてしまった僕らは一旦家に帰って着替えると、今度は服部の兄ちゃんが作ろうとしている海鮮居酒屋に行ってみることにしました。

「儂もまだ見たことねえんだ。」とシゲ爺も言っていて、車で隣の集落へと向かいました。
 古民家を改装して居酒屋にするのだと、服部の兄ちゃんは言っていましたが、着いてみるとそこは古民家というよりは廃屋とか廃墟といったような趣きの建物でした。
 周りでは服部の兄ちゃんと他何人かがあくせくと作業をしています。僕らを見つけるとやって来てました。

「おう、来たか。どや、俺の海鮮居酒屋は。まだ改装中やけど。」

どうもこうもボロいという以外の感想がありませんでした。

「ボロいっすね。」

僕が正直に答えると、意外にも満足気に頷きました。

「そやろ。これがなんと土地建物駐車場こみで10万やで。基礎と柱はしっかりしとるし、綺麗に直せば良い味でるでコレ。ええ買い物やったわ。」

 10万円か。10万円だったら確かにお得かもしれないなと僕も思いました。廃屋の買い物をした経験がなかったので、その時の僕はよく分からないだけでしたが、この10年後、僕も同じ経験をすることになります。

 服部の兄ちゃんは2人の仲間と開業を目指しているようで、みんなでトンカンとDIY作業をしていました。
 僕らが何か手伝うことはあるかと聞くと、駐車場に砂利を敷いてほしいと言われました。車10台分くらいのスペースの駐車場は舗装されておらず、土が剥き出しでした。雨の日なんかは水たまりができてグシャグシャになってしまうので、砂利をしいてお客さんの靴がドロドロにならないようにしてあげます。
 駐車場の端に砂利の山があって、そこからシャベルと一輪車で広げて敷いてほしいということでした。僕らは一宿一飯の恩を返すべく、頑張って砂利を運んでいきました。
 シゲ爺は晩飯の用意があるからと言って帰ってしまい、帰り際に晩飯は5時からだぞと言って去っていきました。
 いつまで居るのかとか、今日も泊まっていいのかとか肝心な話をしていなかったなと思い、僕と岡野は話し合って、明日くらいにはそろそろ帰るかということになりました。

 その日は夕方まで砂利を運びましたが、来た時間が遅かったこともあり最後まで仕上げることはできませんでした。
 やがて5時が近づいて来たので歩いてシゲ爺の家まで帰りました。服部の兄ちゃんはまだもう少し仕事をするようでしたが、「暗くなったら帰るって言っとって。」と伝言を頼まれました。
 
「島って晩飯早いんだな。まだカンカン照りだぜ?」

帰り道を歩きながら岡野が言いました。たしかに、日はまだまだ高く、奄美大島は7時過ぎても全然明るい所でしたから、全然夕飯という感じがしません。

「まあ早く食って早く寝て、明日は早く起きて、駐車場仕上げないと。」

 僕らは島を去る前にはなんとしても駐車場の砂利敷きは済ませたいと思っていました。

 シゲ爺の家に帰ると、ご飯を並べて待っていてくれて、また一緒に晩飯を食べビールを飲んで、焼酎を飲んでいると服部の兄ちゃんも帰ってきました。
 僕らは改めて、「昨日、今日と見ず知らずの僕らを泊めて頂いてありがとうございました。」とお礼を言って、明日帰ろうと思いますと伝えました。
 すると服部の兄ちゃんは

「なんや、自分ら夏休みなんやろ?もうちょっとゆっくりしていきいや。」

と言ってくれ、シゲ爺もたぶん

「学生なんだから気なんか使わないで、もう何日かいていい。」

みたいな事を言ってくれたのでした。シゲ爺の優しさと大らかさに僕らはなんだか泣きそうになってお礼を言いました。

 厳密には、僕らは学生ではなく浪人生で、夏休みではなく夏期講習をサボっていただけでしたが。

 そして、「では駐車場を完成させるまでお世話になります。」、と言って延泊させてもらうことが決まったのでした。
 勝代おばさんが知ったらまたカンカンに怒ることでしょう。

「うわ、あのオバハン来たんか。俺おらんくてよかった〜。うるっさいオバハンやろ。」

服部の兄ちゃんも相当睨まれているらしくひ〜という顔をしていました。
そうしてその日は4人で飲み明かし、奄美大島の夜は更けていったのでした。


 翌日からは早起きして、朝はシゲ爺の畑仕事を手伝い、その後は服部の兄ちゃんの居酒屋の改装を手伝う日々になりました。

 奄美大島には僕らが見た以外にも、有名なガジュマロの木があったり、滝があったりと観光スポットはたくさんあったのですが、何とか駐車場を完成させたい僕たちはそういったものを見ている暇はなくなっていたのでした。

 もくもくと働いて次の日には砂利を敷き終わると次は駐車場の周りに木の柵を作る作業が待っていました。
 まずは、大きなハンマーで木の杭をガシガシ叩いて地中に埋め込んでいきます。30cm程打ち込むと、グラグラすることなくシャンと一人立ちするようになりますが、一本打ち込むだけで玉のように汗が流れ出て息が上がります。
 散々自転車をこいで体力がついているはずの僕たちでしたが、休み休みで作業は遅々として進まないのでした。駐車場の周りをグルっと囲むのに何本の杭を打ったかは忘れていましたが、これだけで2日くらいかかったような気がします。

 お昼ご飯はいつもシゲ爺がおにぎりを持たせてくれたり、たまにシゲ爺もやって来て仕事を眺めてから一緒にお昼ご飯を食べたりしました。
 駐車場の隅の木の下の石に腰掛けて僕らの仕事ぶりを眺めたり、駐車場の砂利のボコボコしているのをちょっとならしたりしてくれて、4時になると「晩飯の用意だ。」と言って先に帰っていくのでした。

 ある日、僕たちは柵の杭打ちが全部終わったので、杭と杭を繋ぐように横板を取り付けて、それを白いペンキで塗っていました。
 シゲ爺はその日もお昼頃におにぎりを持ってきてくれたので一緒に食べようとしていたのですが、

「今日はいいものがある。」

とニイっと笑って、こっちこっちと車のトランクの方まで連れてくると、大きなクーラーボックスの中には緑色の瓶ビールがギッシリと入っていて、氷でキンキンに冷やされていました。ずっと炎天下の下作業していた僕らは思わずジュルリと涎が垂れそうになる思いでした。

「たまには外で飲むのもいいかと思ってな。」

シゲ爺のベリーナイスな差し入れに、僕らは喜んで服部の兄ちゃんを呼びにいくと、

「うおおーサンキューやんシゲ爺!みんなで飲も飲も、」

と服部の兄ちゃんの仲間たちも一緒に、ビールをあけて乾杯しました。
 その緑色の瓶ビールは麒麟のハートランドと言って、普通の瓶より少し小ぶりで皆が一本ずつ持って口をつけて直のみしていました。  
 がっしりした体格で白髪、白ひげのシゲ爺が立って瓶ビールに口をつけている様はダンディでとても絵になりました。

 その後は、シゲ爺が大量に持ってきてくれたビールを飲みながら作業していましたが、ビールが力をくれたのか、ペンキで柵を塗るのにも刷毛の動きにキレが増したようでサッサっと流れるように白く塗っていけたのでした。
 そうしてその日の午後いっぱいで柵を白く塗り終えた僕たちは、ついに駐車場を完成させることができたのでした。
 あとは駐車場の道路側にお店の看板を立てるだけでしたが、それはプロの看板業者に発注しているらしいので、僕らの仕事はこれまでです。
 5日の時間をかけた僕たちの駐車場を眺めて、満足な誇らしい気分で服部の兄ちゃんに報告すると、

「ええやん、ええやん。ありがとな。」

と大いに喜んでくれたのでした。

 駐車場も完成したし、今度こそおいとまする旨をシゲ爺に伝えてお礼を言うと、その晩はお別れ会を開いてくれました。
 それまでも毎晩、酒盛りをしていたのでそれまでと同じと言えばそうなのですが、僕らは何度もお礼を言って、その度に元気でなとビールをついでくれて、シゲ爺も元気でとビールをつぎ返して、帰ったら手紙を書きますと言って住所を聞いたりと、お別れムードは寂しかったですが、それ以上に楽しくて、駐車場を完成させた達成感もあってとてもいい会でした。
 途中、勝代おばさんも来たりして、結局こんなに居座ってと小言を言ったりしていましたが、最初の日のような怒りはなくなっていて、「まったくもう。」といった感じでした。

 そして翌日、お昼過ぎくらいに家の前でシゲ爺と固い握手をかわして、

「ありがとうございました。それじゃあシゲ爺、お元気で。」

と言ってお別れすると、服部の兄ちゃんに港まで送ってもらい、僕らは奄美大島をあとにしたのでした。
 僕らは来た時と同じように、食堂でうどんを食べて、大部屋の隅でざこ寝して翌朝には鹿児島の港に到着しました。



 その後は、シゲ爺とは何年か年賀状を送りあっていましたが、僕らが社会人になって2年くらい経った頃、勝代おばさんからはがきが届き、シゲ爺が亡くなったことを知ったのでした。

 僕と岡野は浪人生の時以来7年ぶりに奄美大島の地に立ちました。
 社会人になった僕らは、船ではなく飛行機で、ヒッチハイクすることなく空港の近くでレンタカーを借り、カーナビでシゲ爺の家の近くを探して入力して向かいました。
 そんなに時間が経った感じはしていませんでしたが、いろんなことがうろ覚えになっていてシゲ爺の家を探すのに骨が折れました。
 やっと記憶の中の目印を見つけて、最後の角を曲がると、僕らの記憶の中にあったままのシゲ爺の家がそこにありました。

 チャイムを押しても誰も出ないので、近くの勝代おばさんの家に行くと、僕らの記憶よりもちょっとだけ老けたおばさんが出てきました。
 僕らを見て最初訝しげな顔をしていましたが、僕らが7年前に一週間程お世話になって、おばさんからシゲ爺が亡くなったとはがきをもらったことを説明すると、誰だか分かったようで

「ああ、あの時の!立派になって。」

と驚いていました。
 Tシャツにジーパンをはいた浪人生が、今や立派な社会人に…ということはなく、その時も変わらずTシャツにジーパンでしたが。
 おばさんは僕らを家にあげると、よく冷えた麦茶を出してくれました。

「前に来た時は、叩き出されそうな剣幕をされてましたが。」

と僕らが笑うと、

「だってどこの馬の骨とも知らない汚い二人組がシゲ爺の家にあがりこんでるって言われたんだもの。そりゃそうでしょ。」

とおばさんも笑っていました。
 僕らはその後の僕らのことやシゲ爺のことをしばらく話しました。
 シゲ爺の家には今、服部の兄ちゃんがそのまま住み続けているらしく、僕らも手伝った海鮮居酒屋はどうやら繁盛しているようでした。5時から開店するようなのでそれに合わせて僕らも行ってみることにしました。

「どうするの?今回も泊まっていくの?」

と聞かれましたが、流石の僕らもホテルを予約していますと言って笑って断りました。そして、

「そのせつはご迷惑おかけしました。」

と謝ると、

「いいのよ。シゲ爺もおもろい奴らだったって言ってたわよ。」

と笑っていました。

その後は島を一周ドライブしてみたり、マングローブ林とハブ研究所をチラ見したりした後、シゲ爺に教えてもらった珊瑚の白い砂浜へやって来ました。
 僕らは並んで腰を下ろして砂浜のうえに体育座りしていました。

「シゲ爺に、会いにこないとだったな。」

岡野がポツリと呟きました。

「うん。」

 僕も同じことを考えていました。その後の大学生の時でも、社会人になってからでも、来ようと思えば来る時間はいくらでもあったのです。

「でも、今日こうやって来た。これでヨシっだ。」

僕はつとめて明るい声を出して言いました。

「それに奄美大島はこの世の楽園だ。シゲ爺も草葉の陰でハブと一緒にこっちを見てるよ。」

岡野はアホかっと言って笑うと、

「よしっ、また手押し相撲対決しようぜ!」

と言って立ち上がりました。

「お前、反則するからイヤだ。」

 僕は断りましたが、結局砂の上で手押し相撲対決することになって、僕はまたしても岡野をひっくり返してやりました。


 そんなことをしているうちに時間が過ぎてしまい、お店についたのは7時を回ったころでした。
 僕らが作った駐車場に車を止めると、柵のペンキが剥がれていたりして、「塗り直さなきゃな」と岡野と話ながら店に入ると、服部の兄ちゃんの海鮮居酒屋は繁盛しているようで、ガヤガヤと人が溢れていました。
 僕らは空いていたカウンターの2席に腰を下ろすと生ビールを注文して乾杯しました。

「シゲ爺に。」
「シゲ爺と奄美大島に。」

カウンターの奥では服部の兄ちゃんらしい人物が忙しそうに料理を作っていました。
 邪魔をしては悪いので僕らはこっそり覗き見してシシシシと笑いながら、お酒や料理を注文していきました。
 金髪のツンツンヘアーだった服部の兄ちゃんの頭は長年の無理がたたったのか、かなりオデコにキテいて綺麗なM字になっていました。

「ベジータだ。」

僕が言うと、

「奴がナンバーワンだ。」

と岡野がベジータの声マネをしたので僕らは吹き出して笑ってしまいました。
 やがて10時くらいになるとお客がまばらになってきて、手が空いてきたようだったので僕らは「おーい。大将さーん。」と言って服部の兄ちゃんを呼びました。「なんですか?」と懐かしい大阪弁を言いながらやってきて僕らの顔を見ると

「お前らやんかー。いつからおったんや。」

と驚いていました。
僕らはひとしきり再会を喜んで、

「ちょっと待ってな。11時で店閉めるからそしたら飲もな。」

と言うと厨房に戻っていきました。
 その後お店が閉店すると、僕らは3人で飲み始め、服部の兄ちゃんは「また泊まってけやー」と誘ってくれ、僕らはホテルをとってるからと断っていたのですが、せっかくだからシゲ爺の家で飲み直そうということになり、シゲ爺の家まで歩いて、グダグダ飲んでいるうちにそのまま寝てしまったのでした。

(ホテルは夕方チェックインして荷物をおいていました。)


翌日、服部の兄ちゃんと集落にあるシゲ爺の墓参りをしました。

「シゲ爺なー、俺の店にもたまに顔出してくれて他の客とよう話よったけど、お前らのこと持ちネタにしとったで。アホな浪人生2人を一週間泊めたったって。」


 海を望める丘の上に立つシゲ爺のお墓からは、島も海も空もよく見えて、ハイビスカスが真っ赤に咲いていました。


つづく

次回、「オンボロサイクル・ダイアリーズ 旅の終わり・浪人の終わり」


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