オンボロサイクル・ダイアリーズ5
◆これまで
浪人生活が嫌になった僕は、予備校でできた友人と自転車で九州一周の旅に出ることに。
しかし、道半ばの鹿児島で自転車が壊れてしまったので、進路を一転、船に乗って奄美大島へとやって来たのでした。
まだ真っ暗闇、朝5時の奄美大島へ下り立った僕たちは、ここまで運んでくれた巨大なフェリーが沖縄へと出港していくのを見送った後、行くアテもなく途方に暮れてしまいました。
半分寝ぼけた頭でどうしたものかと考えていると、ガラス張りの窓の向こうにファミレスの看板が光っているのを見つけました。たしか、デニーズかなにかだったような気がします。
昨晩はフェリーの食堂でうどんしか食べていなかった僕たちは、まずは腹ごしらえをすることにしました。朝っぱらから、僕はハンバーグを、岡野はステーキを頼んでガツガツと食べました。
故郷を遠く離れ、奄美大島までやって来た事になんだか興奮して、もりもり食べたい気分だったのです。
朝ご飯を食べ終えてお腹が満たされると、港に置いてあったパンフレットを見ながらこれからの計画を話し合いました。
特に目的があって来たわけではありませんでしたが、とりあえず2、3日のんびり滞在してみようということになりました。
そして、行ってみたい場所なんかをピックアップしているうちに、だんだんと空が白んできて港の街並みが姿を現してきました。
奄美大島の港町は三方を山に囲まれた小さな町で、僕の育った瀬戸内海の港町と似た平地が少なくギュッとコンパクトな町でした。
しかし、一つ全く違ったのが海の色でした。
到着した時は、真っ暗で見えなかったのですが、日が昇ってみると透き通る海の透明度にビックリしてしまいました。
フェリーが停泊していたコンクリートの岸壁から海を見下ろすと、朝日に照らされてうす水色の海がきらきらと輝いて、海底の白い砂地まで見ることができました。
巨大なフェリーが停泊していた所ですから、おそらくけっこうな深さがあったはずですが、海底まで綺麗に見ることができました。
対して、僕らのよく見る瀬戸内海というのは遠目に見ている分には綺麗なのですが、近づいて見ると水は緑色のような青色で、暗くて、ゴミやなにかの油なんかも浮いたりしていて、自分でも書いていて嫌になるのでこの辺で止めておきますが、とにかく奄美大島の海の綺麗さに僕たちは感嘆させられたのでした。
「これが、限りなく透明に近いブルーってやつか。」
岡野も息をついて呟いていました。
ひとしきり海の眺めを楽しんだ後、僕たちは島のパンフレットに載っていたマングローブの林に行ってみることにしました。
マングローブというのは、海水と淡水が混ざり合う汽水域に生息する植物だそうで、南米のアマゾンなんかに生えているイメージだったので、日本にもあるんだと驚きました。
奄美大島くらいからは亜熱帯気候になるので、僕らの住む本州とは気候も植生も全然違うのでしょう。
僕たちは、奄美大島を南北に走る幹線道路沿いを歩いてマングローブの林を目指しながら、時折通る車にヒッチハイクをお願いしていると、やがて1台の赤い車が止まってくれました。
金髪のツンツン頭にサングラスをかけたイケイケな兄ちゃんが窓から顔を出すと、
「おう、兄ちゃんらどこ行くんや?乗せてったるわ!」
と言ってカラカラと笑いました。
僕らはお礼を言って車に乗り込むと、その大阪弁の兄ちゃんは「おれは服部や。」と名乗りました。
僕らはマングローブ林を見に行きたいことや、これまでの旅の話をしていると、宿は決めてるんかと尋ねてきました。
これまでの旅では、僕らはだいたい野宿してきていたのですが、「奄美大島はハブがいるから、絶対に宿をとろう。」と岡野が主張していました。そういう訳で安宿を探していると言うと、
「だったらうち泊まってってもええで。部屋いっぱいあるし、シゲ爺も喜ぶわ。」
と言ってくれ、なんのアテもなかった僕らは喜んで泊めてもらうことにしたのでした。
服部の兄ちゃんは、大阪から奄美に移住してきたそうで、地元の新鮮な魚を使った海鮮居酒屋をオープンする準備中なんだと言っていました。
家は、シゲ爺という親戚のお爺さんの家に厄介になっているそうです。居候の身なのに、勝手に僕らを泊めるのを決めてしまっていいのかなと、一抹の不安はありましたが、「かまへん、かまへん。」と笑っていました。
マングローブの林は大きな公園みたいになっているようで、服部の兄ちゃんは駐車場で僕たちを下ろすと、電話番号をメモして渡してくれました。
「夕方迎えに来たるから電話してな。」
そう言って窓から腕を突き出してバイバイすると、颯爽と去っていったのでした。
マングローブの森は綺麗な公園になっていて、駐車場の隣にある受付の建物から横はもうすぐ海辺になっていました。
そして一日に何回か、マングローブの森の中をカヤックに乗ってグルっと一周するというツアーをやっていました。
一人が一艘ずつ小さなカヤックに乗り込んで、ガイドさんからまずオールの漕ぎ方と舟の動かし方を教えてもらいます。みんな何となく動かせるようになったところで、いよいよマングローブの林に向かって出発です。
20人くらいの団体でガイドさんを先頭にカヤックの船団が森の中を進んでいきます。
マングローブの森は、アマゾンのジャングルみたいに鬱蒼としている感じではなくて、木の枝の間からあちこち光が差し込んでいて明るく、スイスイ進むカヤックが風をきって行くのでとても爽やかな気分でした。
幅のある川を進んでいたかと思ったら途端に狭くなってきて、木のトンネルをくぐって行くような所もあったりして藤岡弘探検隊にでもなったようです。
途中で岡野とちょっとした競争をしたりしながら最後は海まで出て、もこもこしたマングローブの森を眺めました。
そうして一時間程のツアーは終わりましたが、なんとも面白い体験で日本にもこんな所があったのかーと感心していました。
カヤックツアーが終わった後は、ビールを頼んでマングローブの木々を眺めながら過ごしました。
「日本にもこんなところがあったんだなー。教科書では知ってたけど。空気が全然違うんだなー。」
「うん。ここまで来て良かったかもなー。」
気候や植生が違うのは地理の教科書で知っていた事でしたが、深く青い空の色、逆に薄く透明な海の色、吹く風の匂い、マングローブの箒のように広がった根のボコボコした手触りはリアルに僕たちを感じさせて、捕らえてしまい、もう2度と予備校の教室には戻れないような、そんな解放感に僕たちは包まれていました。
そんな時間を過ごし、マングローブの森を後にした僕たちが次に向かったのは通称「ハブ博士の研究所」みたいな施設で、ハブの生態を解説してくれたりハブショーを見れるということでした。
奄美大島に着いて以降、ことさらハブに警戒していた岡野は、道を歩いている時も草陰からハブが飛び出してこないかとか、木の上からハブが落ちてこないかとうるさく言っていましたが、ハブ博士の研究所でハブへの対策を得ようとしているようでした。
白衣を来た眼鏡のニセ「でんじろう先生」みたいなハブ博士はハブを片手に講義して、長い牙を見せてくれたり、ジャンプさせてみたりしてハブの生態を解説してくれました。
ハブというのはかなり攻撃的な蛇のようで、人間を見つけたらジャンプして飛びかかって噛みついてくるそうです。現在では、血清があるので噛まれても死ぬことはあまりないそうですが、万が一首や頭を噛まれてしまったらヤバいという話でした。それ以降は、岡野は特に首元を気にしてガードしているようでした。
ハブといえば、有名なハブVSマングースを見てみたいところですが、この頃にはもうやらなくなってしまっていたそうです。
ハブ研究所を出てしばらくブラブラしていた僕たちでしたが、やがて夕方になってきたので服部の兄ちゃんに電話をかけてみました。場所を伝えると目立つ赤い車がすぐにやって来てくれました。
車に乗せてもらってマングローブ林がすごく良かったとか、得たばかりのハブの知識を披露しましたが、
「ハブ研究所なんてモノ好きやなあ。俺は行かんなあ。」
とハブには感心がなさそうでした。
そして、10分くらい走ると丘の上の一軒の家の前に泊まりました。古くて大きい田舎の家ですが、やはり何となく本州のとは趣きが異なっていて沖縄みたいなな感じです。
荷物を下ろして、服部の兄ちゃんの後について玄関に回りました。
「シゲ爺〜。おーい帰ったでー。ちょっと来てやー。」
玄関で呼ぶと、やがて一人のお爺さんが出てきました。
シゲ爺と呼ばれた老人は、歳は80歳くらいで、このくらいの歳の人にしては背が高く175cmくらいあるがっしりした体系をしていました。白髪を短く刈り込んで肌がよく焼けています。
シゲ爺が何かたぶん「おかえり。」的な事を言ったと思います。
※ 僕らはこの後、しばらくシゲ爺の家に厄介になりますが、奄美大島の方言がかなり聞き取れない部分があり、僕らはフィーリング頼りでコミュニケーションをとっていたので、会話内容は僕の当てずっぽうの想像だったかもしれません。
服部の兄貴は僕らのことを紹介し、「ヒッチハイクで拾って、しばらく泊めてやってええ?」と聞くとシゲ爺は頷いてたぶん「いいよ。」的なことを言いました。
つづく
次回、「南の島の生活」
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