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一時間だけの贅沢、桜の下で深呼吸。

きょうは汗ばむぐらいの陽気になるでしょう、と天気予報が告げていたので、妻をちょっと花見に誘った。と言っても大げさなものじゃなくて、もともと食べるつもりだったお昼ごはんを適当な容器に詰めて持って行くだけ。ふたりで錆だらけのオンボロ自転車を漕いでお気に入りの公園に向かった。

最近(ようやく)賢くなって、晩ごはんの調理の際多めに作って常備菜にすれば次の日以降のメニューに持ち越せる、という知恵がついた。きょうのおかずは「鶏胸肉と玉ねぎの南蛮漬け」に「ほうれん草の胡麻和え」。どちらも昨日の夜の残り物。おにぎりも妻が先日炊いて、小分けに冷凍してくれていた「かやくごはん(関東では炊き込みごはん)」と「黒豆おこわ」。あとは一本だけ季節外れのコタツの上でぼんやり横たわっていたバナナと、魔法瓶にアイスコーヒー。

桜の季節に必ず訪れるお気に入りの公園がちょっと離れたところにあった。川べりの小さな、ともすれば少しみすぼらしいような公園だけど、古びた凸凹のレンガ壁が四方のうち二辺を囲っていて、それが数本だけのソメイヨシノをぐっと上品に引き立てる背景になっていた。たぶんこの場所に昔建っていた工場か何かの塀だけが残ったんだろう。平日の静かな昼下がりにそこで桜を眺めていると、そこに流れていたとても長い、穏やかだけれども大きくうねり波打つような時間を感じた。

久しぶりに訪れると残念ながらレンガ壁は一部が取り壊されて、ずいぶん風通しのよい、でも同時にどこかポカンとした、ただもうだらしなく広がって軽々しい風景に変わってしまっていた。

お花見02

残念だけど妻とベンチに腰を下ろし、間に合わせのお弁当を広げた。鶏胸肉の南蛮漬けは大好きなコウケンテツさんのYouTubeチャンネルで見たのをさっそくマネした一品。昨夜もおいしかったけど、一晩置くとさらに味が馴染んで丸くなっていて、青空の下で食べるにはこの上ないご馳走に思えた。南蛮酢に加えるお酢をごま油じゃなくオリーブ油にしてるあたりがどこかスッと軽みのある味わいにしてくれててさすがだなと思った。ごま油にするともう少しこっくりした味わいになると思う。これは夏、冷蔵庫で冷やして食べたいねと妻が言う。たしかに。

お花見03

ほうれん草の胡麻和えは何の変哲もない一品。最近ほうれん草が安くて、緑の松明かのように大きく葉を広げたものが一把60円そこそこだったからと妻が買ってきてくれた。苦味やえぐみが少なくて食べやすい。歳をとってだんだんほうれん草が好きになってきた気がする。

お花見04

レンチンして焼き海苔を巻いたかやくごはん。これも絶品。具は切干大根、にんじん、ごぼう、お揚げさん。優しい香りが春の風をまとって鼻をくすぐる。

平日の昼間とあって、公園には我々夫婦以外に誰もいない。スイートスポットまみれになったバナナの皮を剥いて妻と半分こし、スズメたちが桜の蜜を吸うのをぼーっと眺める。

スズメたちは冬のダウンウェアを脱いで、ずいぶんスリムになっていた。

「ああやってスズメが蜜吸った後の花をポイって落とすから、地面にあんな萼ごと落ちてる桜があんねんで」と妻が教えてくれた。

足元を見ると黄色いタンポポの花も一ヶ所に集まって落ちていた。こっちはたぶん、人間の子どもの仕業だろう。

淀川の上に広がった空を、伊丹空港に向かって降りる旅客機のエンジン音がぼんやりとふやけながら渡って行った。

ここ何年も、金銭的な贅沢はぜーんぜんできてない。笑っちゃうぐらい貯金が貯まらない。そもそも何十年もこの国の賃金は上がらず、あれもこれも値上げで家計を圧迫する。そんなこと言ったら、隣国は戦争をやめないし病気の蔓延は収まる気配がない。まあ正直明るい材料に満ちた暮らしとはとても言えない。

でもだからこそ、こうやってときどき、それがたとえたったの一時間でも隙間を見つけて、季節を感じながらゆっくり深呼吸できるような機会を設けていかなくちゃなと思った。

「ささやかだけどこういう季節行事を大事にしたいね」と言ったら妻はキョトンとして「ささやか? めちゃくちゃ贅沢やと思うけど」と言った。

素直に嬉しいなと思った。毎年一緒に桜を眺めてくれる人がそんなふうに言ってくれること、そしてそういうことを言う人だと自分がわかっていることがもっと贅沢だなと思った。


錆びついた自転車にもう一度またがり、自分は再び仕事へ。妻は梅田の百貨店へ限定出店のスイーツを買いに行くというので、公園のそばの交差点で手を振って別れた。

ようし、やるぞう。まだもうちょっとがんばるぞう。

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