見出し画像

幸運と興奮

幸運と興奮について。

ついさっき、いましがたの出来事だ。

歯医者を終えた私はその足でゆうちょ銀行のATMへと行き現金を引き出し、そのまま近くの横浜銀行ATMへと行った。

ATMでの手続きを終えて一息ついた私は喉が渇いていた。そうだ、歯医者を終えてから何も水分をとっていないのだ。

私は食べないことは我慢できるが飲まないこと、渇きは我慢ができない。

ひとつのトラウマがある。

小学生のころ入っていた少年野球チームでのことだ。あのころ、まだ昭和の時代、水分をとらない、我慢することでなにか底力みたいなものが発揮できると考えられていた時代。暑い夏の日、試合前、水を飲むことが禁じられたことがある。私以外のチームメイトがどうだったかは今となってはもう思いだせないのだが、水を飲むことを禁じられた私は、ひどく落ちこんだ。膝を抱えて地面を向いているとなぜか涙が出てきていた。泣いている私を見て監督は、何も泣くことないだろう、活躍してくれよな、と笑いながら冷たい麦茶かなにかをくれた。周りの大人たちも笑っていた。その試合、活躍できたかどうかなんてまったく覚えていない。覚えているのは地面を見ながら泣いていた自分だ。

以来、というと少し大げさだが、大人になり移動手段で電車を使うことの多い私は、水分を持たずに電車に乗ることができない。水、お茶、コーヒー、なんでもいいのだけれども鞄の中に飲みものがある。その安心感に変えられるものは私にとってないのだ。

話しを戻そう。

ATMの隣のセブンイレブンでクリスタルカイザーのペットボトルを手にとりレジへ向かう。会計をしようと鞄の中からスマートフォンを手にとろうとするとない。そうか、ポケットかとポケットを探しても見つからない。そんなはずはない、と今度はまた鞄の中をまさぐる。どう考えてもスマートフォンの重さを感じない鞄を。

この間、たぶん5秒ほど。一瞬にして血の気が引く。そのまま駆け出そうかと思ったが、水を買うだけの冷静さは持ちあわせていた私は、現金で会計を済ませ、ペットボトルを鞄に入れ、急ぎ足、駆けながら隣のATMへと戻る。ATMからセブンイレブン、またATMへ。

たぶん3分ほどだろう。私が使用していたATMに髪の長い女性がいた。ATMで後ろから声をかけるのはどうかと思ったが、すでにいっぱいいっぱいの私はなるべく怪しくないよう、大きな、はっきりとした声で「すみません、ここにスマートフォンありませんでしたか?」と声をかけた。髪の長い女性は少し驚いた様子ながらも事情を察してくれ、あたりを探してくれたのだが「え、見てないけど」。

絶望×絶望。

動転した私がATMを出ようとしたそのとき、ATMの自動ドアが開き、そこにひとりの小柄な女性がいた。「もしかしてスマートフォン落としました?交番に届けようと思ったんだけど」

こうして幸運にも私は落としたスマートフォンを手にすることができた。なにかお礼をという私に、その小柄な女性は「とんでもない、とんでもない」と足早にその場を去って行った。

ATMにスマートフォンを忘れてからまだ1時間と少し。この興奮と幸運を誰かに伝えたい。あわよくば分け与えたい。そんな大それた考えを持つほど今の私は無敵なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?