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「ふつう、」って、なんですか?

誰かに喧嘩を売りたいわけじゃないのです。
けど、書き残したいのです。

はらだのこころのさけび

言われると、心がざわつくのです。

「ふつう、〇〇だよね」
「一般的には、〇〇でしょ」
「常識的に考えると、〇〇だと思うんだけど」
オンでもオフでもたまに聞くワード。

・・・どーしても引っかかるのです。

きっとね、無意識なんだと思うのです。

話をしていて、だいたい引っかかるタイミングとしては
「私はそう思ってないけど。」
そう感じているとき。
話している相手は
自分と同じことを当然思っているだろう。
だから当然同意してくれるよね!!!!!

くらいの勢いで話してくれてはいますが、
残念ながら私はそうは思っていない。
真っ向から否定していないけど、
実質、わたしのことを否定をしているその状況。
相手が私を傷つけようと思っていってるわけじゃないし、
自分が相手の価値観を変えたいなんて大層なことを思ってないからこそ、
波風立てずに聞き流す。(主に仕事で)
(会議の中でこれをやられると、ちょっと空気が重くなるので苦手)
(どうしてもそのふつうがみんなの共通認識じゃなさそうなときの間の入り方にいつも悩む)

言い返してもね、炎上するの。

だって自分の意見を否定されるのだもの。
価値観が揺るがされているのだもの。
導火線の短い人だったら話の中身以前の問題になります。
「絶対に正しいと思ってる自分の意見を否定するとは何事か!!!!」みたいな。

だけど、
自分の意見を「みんなの意見」として押し付けることで
その他の意見を否定していたりしていませんか?
こどもがゲームを買ってほしいときに使う「クラスのみんなもってるもん!!」みたいに、具体的な名前がたくさん出てこないやつじゃないの?

自分のふつうは、相手のふつう?

にっこり笑ってうなずいて聞いてあげている人も、
もしかしたら違う意見を持ってるかもしれない。
自分の意見のはずなのに「ふつう」とか「常識」とか「一般的」といった大きなラベルを貼ることで、違う考えを発言しにくい場は作りたくない。
他人に面と向かっていうことはほとんどないけれど(だって喧嘩になる)、
せめて自分の心なかでは、
「他の意見もあるかもしれない」ことを念頭に置いて明日からもがんばります。


夫と話をする際には、結構はっきり物申しています。
「今、ふつうっていったけど、私は〇〇だと思ってるんだよね。」
夫婦は他人といえば他人ですが、家庭の中では自己主張します。
子どもがもう少し大きくなってもしこんなフレーズを使いだしたら、
きっと同じように話をするんだろうなぁ。

はらだのほそく

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